第47話 いくつかの謎解き


 メルシー伯爵はものすごい剣幕だ。いつも冷静で感情を抑えた印象の人だったのに、今日はまるで別人のようだ。




「わかりましたわ、すぐにアントワネット様にお返ししますから。どうぞそんなお怒りにならないで」




 ポリニャック夫人はひるんだ様子はない。泰然自若として、優雅さはそのまま。いや、むしろ増しているくらい? そして




「あなた、こちらのお箱をアントワネット様に返して来てちょうだい」 と 侍女に指示する。




 とりあえず、抵抗せずにメルシー伯爵の言い分を聞くのね、と三人がこのバトルを見守っていると、




「いえ、私にお返しください。本当に大切なものですから、私からアントワネット様にお返しいたします」とまだまだ抵抗を続けてくる。全身から怒りのオーラが立ち昇るのが、場にいる全員に伝わってくる。




「メルシー伯爵。お怒りをどうぞお収めください。このお箱はアントワネット様から許可をいただいて貸していただいたものなのです。お怒りになる理由が……よくわかりませんわ」




 しおらしい表情をうかべ、どうしてこんな風に非難されるのかしら? という風情を浮かべる。しかし、メルシー伯爵は全く意に介さない。




「アントワネット様はあなたにお優しいですからね。ただ、それはもともとマリア・テレジア様のもの。マリア・テレジア様の大切なコレクションをあなたが自由にしていいとは、私には到底思えませんな」




「まあ、そんなおっしゃりよう……」




 メルシー伯爵とポリニャック公爵夫人のこのバチバチのバトル。




 とりあえず、蓋に描かれた動物が何かを言わなくてはならない危機から逃れたと言えばそうなのだが。




 あまりの言葉の電撃続きに何が起きて、どういう状況なのかつかめていない三人は、二人の表情をかわるがわる見ているだけで、言葉もはさめない。というか挟んだら、誤爆されそうだ。




 ふいにメルシー伯爵が三人に向き直り言う。




「さあ、あなたたちも一緒に行きますよ」 




 突然、戦場に引きずり込まれる三人。




「え?行くってどこへ?」 アンは思わず、問い返す。




 アンは、まだ今日の任務を終えていないと思っている。




✔ ポリニャック公爵夫人のひととなりを本人と会話して知る


✔ 招待客からポリニャック公爵夫人の情報を得る


✔ 招待客からアントワネットの情報を得る


✔ 招待客からアントワネットとポリニャック公爵夫人の関係について情報を得る




 この四つのうち、最初の一つしか、クリアできてない。それですら、まだまだ足りない位なのに。


 今日のパーティーで出来る限り、計画を進めてしまいたいと思っている。元の部屋に戻り、ブランカ公爵夫人たちに、ポリニャック公爵夫人の人となりやら、アントワネットの話を聞いておきたい。




 でも確かに、ポリニャック公爵夫人と動物の名前でまた戦うとなると面倒な局面が続くのかもしれない。




 そう思い直し、隣のアイリスとフィービーを見ると、こっちは、


「今は逃げたほうがいいわ」 の視線を投げかけてくる。さすがはハリウッド女優。目の演技もお手の物だ。




 アイリスは、二人のバトルを心配そうに気遣う表情の裏に、


 フィービーはどうしていいのかわからないわ、と戸惑う表情の裏に、




 退却の意思を伝えてくる。






 ここは引き下がる、に多数決で決まった。その瞬間、




「メルシー伯爵、わかりましたわ。ご一緒いたします」 すかさずアイリスがメルシー伯爵に従う旨を伝える。




「うむ。ではそのお品をこちらへ」 メルシー伯爵は、侍女に命令する。トレイに載せた小箱を奪い取ろうとするかのようだ。侍女はどうしたものかと、公爵夫人の顔色をうかがうが、




「いいのよ。お返ししなさい」 表情は穏やかさを保っている。誰も知らない人がここだけ見たら、メルシー伯爵が、たおやかな夫人をいじめているように見えただろう。




 ポリニャック夫人が悪役貴婦人として君臨できる理由――


 三人はこの五分間のバトルで学んでいた。




 引き下がるタイミングや、余計な波風を立てない穏やかさや、被害者のふりをして相手を悪く見せる手法を、彼女はマスターしている。




 エメ男爵夫人みたいにいつもゴリゴリの自己主張ばかりだと敵が増えるだけ。ヴェルサイユではそれでは立ち行かないとわかっているのだろう。 




 さすがはアントワネットに気に入られ続けているだけのことはある。その分、手ごわい。




「では失礼いたしますぞ。さ、あなたがたも」






――――




 部屋を出て、ヴェルサイユの廊下を歩く四人。


 メルシー伯爵は箱を載せたトレイを大切そうに持ちながらゆっくりと歩いている。先ほどの性急さはどこにもない。




 彼の後に続く美女たちは聞きたいことがいっぱいある。


 ポリニャック夫人がいる場では下手に口にできない言葉も、廊下ならば大丈夫。




「メルシー伯爵、どうしてあのお部屋にいらしたの? そしてずいぶんお怒りでしたけれど」 最初に口を開くのは大体アン。




「驚かせてしまいましたね。先ほどですね。あるところから、ポリニャック公爵夫人があの小箱をアントワネット様から借りたと聞きましてね。取り返さねばと思ったのです。あんな大切なものを安易に貸してしまうアントワネット様もアントワネット様だが、借りる方も借りる方。貸し借りできるようなものではないのです。」




 まだ言葉に多少怒りを感じる。そして彼があの箱を大切なものとあがめているのはジャポンの芸術品だからではなく、マリア・テレジアへの忠誠から、に思える。




「じゃあ、やはりあれはマリア・テレジア様の遺品なのですか?」 こういえば、ポリニャック公爵夫人が言っていた、「マリア・テレジアから受け継いだジャポンの芸術品」の真偽をはっきりさせられる。




「うむ。マリア・テレジア様はあのジャポンの芸術品をシリーズでコレクションしておられて、それをすべてアントワネット様にお贈りになられたのです。本当に貴重で大切なものなのです」




 メルシー伯爵の口ぶりからはとにかくマリア・テレジアに対する忠誠心の高さが伝わってくるが――




 そんなことよりも……




 三人は、本当にマリア・テレジアの遺品であり、ジャポンの芸術品だとわかって、突然不安になってしまう。




 なぜなら、まさかの鎖国時代の日本から、遠くこのヨーロッパまで芸術品などが輸出されていたなら、日本人がヨーロッパに、フランスに来ていないと断言できないではないか。




 今まで日本人と言っておけば、身元は絶対にバレないと思っていたのに、まさかまさかの日本とフランスの交流を見つけてしまうと、焦りと不安しか感じない。




「で、では、ジャポンの方も他にいらっしゃるのですか?」 怖いけれど聞いておかなくては。




 メルシー伯爵は、アンの問いを誤解する。




「もしかしたら、このヴェルサイユで同郷のジャポネに会えたら嬉しいのですが、伯爵はご存じでしょうか?」 と受け取っていた。




「いいえ。私はあなた方以外には知りません。残念ながらあなた方以外にジャポネはいないでしょう。お寂しいことと思いますが」




 お気の毒ですがいないのですよ、というニュアンスで返してくれる。




 美女たちからすれば、日本人がいたら詐称がばれてしまうのだから、お気の毒でもなんでもない。




 メルシー伯爵の後ろで三人ははぁ……と安堵のため息を心の中で漏らす。




 今度はアイリスが尋ねる。




「ところで、先ほどポリニャック夫人が、公爵夫人だと知ったのですが―― 以前、メルシー伯爵やエメ男爵夫人は、伯爵夫人とおっしゃっていたかと記憶しております。あれはどうしてなのですか?」 




 動物の名前事件でうっかり忘れそうだが、パーティーの最初に感じた疑問をアイリスは忘れていなかった。




「いや、なに簡単なことですよ。ポリニャックが公爵になったことに、ヴェルサイユのほとんどが納得していないのです。いくら何でもアントワネット様も大盤振る舞い過ぎるのです。だから、陰ではみなポリニャック伯爵、ポリニャック伯爵夫人と呼ぶのです」






――ポリニャック夫妻に対するアンチテーゼが、伯爵呼ばわりだったのか。闇の深いヴェルサイユ貴族たち…… ひとつ謎が解けた。






「そういえば、エメ男爵夫人にお誘いを受けたパーティーだったのに、ご夫婦ともいらっしゃらなかったわ」アイリスがふと思い出したように言う。もちろん思い出してなんかいない。最初からおかしいと思っていたのだった。






「ああ、それですか。エメ男爵ご夫妻は先ほどまで一緒だったのですよ。私がポリニャック夫人のところへいってお品を取り戻すと知ったら、今日はパーティーの参加を取りやめるとおっしゃいましてな」




 なるほど。エメ男爵夫人はメルシー伯爵がこの小箱事件でポリニャック公爵夫人の立場が悪くなるかも? とでも踏んでいるのかしら。落ち目の人と一緒にいると、大体一緒に落ち目になっていくから、それを避けたってことかしら?




 招待状を手に入れて、パーティーに参加しようとしていたくせに裏表のある彼女らしい。




 色々と謎が解けてくる。




「メルシー伯爵――」 最後はフィービーが尋ねる。




「何でしょうか?」 心なしか、メルシー伯爵もフィービーには優しい。




「そのお箱なのですが――」 




「何でしょうか?」




「私たちはジャポンの南方出身なので、動物名がわからなかったのですが、ご存じでしょうか?」フィービーはアイリスの答えを上手に取り入れて言う。




「動物?」




「蓋の絵の」




「ああ、これはですね――」




 え?メルシー伯爵は動物の名前がわかるの? あんな動物、絶対にこの世に存在しないわよ。












「あれは――――リスと聞いています」






 リス? リスっていった?


 ドングリを食べるあのリスのこと?


 蓋の絵の動物、顔がカマキリ型だったわよね? 




 「まさか!」




 三人は美女という共通点はあったが、性格はそれぞれ違っていた。


 でも、リスと聞いて綺麗にハモってしまう。





 あれは絶対にリスではない。リスというより魔物に近い!




「いいえ、リスですよ」 




 なんてことなの―――日本人、どれだけ絵がへたくそなのよ~~~



―――――あとがき



この人騒がせな箱には名前があります。「籠目栗鼠蒔絵六角箱」といいます。かごめりすまきえろっかくばこと読みます。フランス語では何というのかわかりませんが、私は実物を見たことがあります。確かにどうみても、リスには見えませんでした。アントワネットのコレクションはこの小箱だけではなく、70点ほどあったそうです。


https://www.ntv.co.jp/marie/works/detail06d.html


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