第48話 腹の中は真っ黒、でもいつも白いドレス


「あれはリスですね」 と話すメルシー伯の後ろで、三人は目を見合わせる。そして、心でのけぞった。



 アンは以前、SNSに動物のイラストを描いてアップしたことがある。




 カフェでナプキンにボールペンで描いた簡単な犬のイラスト。でもコメント欄は好評で、続けて猫だの、うさぎだのも描いたのだ。そのなかにリスの絵もあった。 もちろん実物を見たり、他のイラストを見て描いたのではなく、リスってこんな感じだったわよね?の記憶をたどって描いていた。




「アンが描いた絵も、アン同様に美しい」なんてコメントを見て、ちょっとだけ気分を良くしていたのを覚えている。




 でも、プロじゃないのだから、ちょっとうまい程度。その辺、ちゃんと自覚はある。




 素人がお茶を飲む間に、ササっと描いた絵と比べても、絶対この小箱のリスのほうがへたくそでまちがいない。




――女優が描いたリスのイラストの方が上手ってどういうことよ。漆部分の品格と絵のレベルが全然つりあってないじゃないの! 




 アイリスはと言えば、もうすぐで、「九尾のきゅうびのきつねですわ」、と言いそうだった自分を思い出す。


 蓋の絵がリスと聞いて、一番打ちのめされている。




 ポリニャック公爵夫人に詰め寄られた時、なんとか南北のジャポンの形を利用してごまかせた。


でも、もう一度詰め寄られたら、「これはジャポンの魔物の一種、九尾の狐ですわ」と言おうとしていたのだ。 




―――言っていたら大恥だったわ――――




 知性派のアイリスは、論理思考の持ち主だった。心の動物園の中を3周しても、あの動物を見つけられず、もしかして架空の動物かしら?と思い直し、公爵夫人とギリギリのバトルを繰り広げながらも、




 脳内では、ジャポンの架空の動物、妖怪までチェック範囲を広げていたのだ。




 河童を最初に思い出した。ううん、あれは全く違う。このしっぽが特徴的だから―――と、論理思考の結果、「九尾の狐」だと辿り着いた。





 それが、リスだったなんて。このアイリス・ヴァンダーウォーターがリスをキツネに間違うなんて!! なんてことなの! 絶対に誰にも知られたくない! 




 アメリカ人でありながら、「九尾の狐」を知っている自分に、ちょっとだけ酔っていたわが身が恥ずかしい。




◇◇




 フィービーはといえば、大学時代のチャリティーミュージカルを思い出していた。


 キャストは全員動物。だから、俳優たちは 小道具の被り物作りからスタートした。


 狼だの、熊だの、猿だのは、恐ろし気に、リスやカッコウは、可愛く見えるよう作ったのだ。


 出来は所詮、学生の素人レベルだが、それでも十分、リスはリスに見えた。観客から「あの動物は何?」なんてクレームは来てない。子供たちにもリス役やカッコウ役は大人気だったのに。



 そうよ、素人が、イラストや写真を見ながら、絵よりも難しい 被り物をつくっても、何とかリスに見えていた。ううん、リスそのものだったわ! なのに――




――仮にもアーティストが、あんなレベルで仕上げてくるなんて。プロ意識が欠如しているんじゃない? 



 それぞれ、心の中でリスと格闘してしまう。






 ふいに、前を歩くメルシー伯爵が、




「ところで、あなたがたはなぜポリニャック公爵夫人と?」 とフィービーを振り返り、尋ねてくる。




 三人がポリニャック公爵夫人と何を話したか知りたいのだろう。


 メルシー伯爵にとって、ポリニャック公爵夫人は過去も今も、絶対の敵だ。マリー・アントワネットをたぶらかしている危険人物という認識しかない。




「それが……見せたいものがあると言われて連れていかれたんです」 フィービーが答える。




「見せたいものがこの小箱、というわけですな」




「ええ。でもご親切じゃなかったようですよ。色々嫌味を言われましたわ」 アイリスが付け加える。




「それはそうでしょう。あなた方の演技指導のお話は私が伝えたとたん、アントワネット様が彼女に伝えてしまっておられるから」




―――ちゃんと、仕事してくれていたんだ!




「じゃあ、ポリニャック公爵夫人はそれを妬んで?」 




「まず間違いありませんな。虫も殺さぬ顔をしていますが、全く面倒なお方でしてね」




「一見親切そうに見せかけて、相手を陥れるタイプですよね」 アンが先ほどの会話を思い出し、はっきりとポリニャック公爵夫人の人柄を断罪する。




「その通りです。腹のなかはいつも真っ黒ですよ。でもいつも白いドレスをまとっている。そんなタイプです。だから、あの内面に気づかない人が多くて困ったものですよ」


―――言い得て妙。 腹の中は真っ黒、でもいつも白いドレス。



 それにしても、メルシー伯爵がこんなにポリニャック公爵夫人の悪口を言うなんて。相当、悪い印象を持っているのだろう。






「ところでこれからどこへ行くのでしょうか?」 




「どこへも行きませんよ。あの場から離れてお伝えしたいことがあったからああ言ったまで、ですから」




 メルシー伯爵は前を歩きながらいう。




「アントワネット様にあなた方のことをお話しましたらね、演技のお話にご興味を持たれまして。三日後にお時間を取ってくださるそうです。こんな話、あの方の前では言いたくもありませんからね」




―――――ええっ! やっと? やっと会えるの?





「アントワネット様に会えるのですか?」 




 ここでリスへの嫌悪、日本人芸術家への恨みは消し飛んだ。三人の顔が輝く。やっとやっとここまできた!




「ええ、あなた方の噂は、他でも耳にされていてご興味をもっていらっしゃいます」




「それでいつ?」 性急にアンは聞く。




「三日後でございます。また追ってお知らせいたしますゆえ、お待ちください」 メルシー伯爵は先ほども三日後と答えたのにまた質問するアンに不満も見せず答える。


 だんだんアンのストレートさに慣れてきた様子で、とくに声色も変わってない。




「――――では、あなた方のアパルトマンはこちらでしたね。ここでお別れしましょう」




 小箱の載ったトレイを大切そうに持ちながら、彼はアントワネットの居室方向に向かっていった。




「ふうぅ。お騒がせな箱だったわね……」 アンが言えば。



「でも色々わかったこともあるじゃないの、アン」 フィービーが慰める。



 確かに色々なことが分かった。それは進展なのだから、良い方へ向かっている……はず。




✔ マリア・テレジアはジャポンの漆器コレクションをアントワネットに遺していた

✔ ポリニャック伯爵夫人と呼ぶのは、アンチポリニャックたちのせめてもの抵抗

✔ ポリニャック公爵夫人はすでにアンたちをジャポン出身じゃないと疑っている(誰の入れ知恵?)

✔ やっと、マリー・アントワネットに会えることになった




 全部が全部、良いことじゃないけれど……






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