第42話 ヴェルサイユ式、Twitterの洗礼
「まあ、あなたがたがジャポンからいらした! 年を取らない美女たち!」
たるみの目立つ小太り貴婦人がこう言えば、
「エメ男爵夫人のおしわをなくしたんですって! ヴェルサイユ中の評判があなたたちね!」
痩せてしわが目立つ貴婦人が大げさに話し、
「本当にお顔におしわがないのね、三人とも美しいわ」
老けるのを今から怖がっているそぶりの、若い貴婦人も口々に、声をかけてくる。
ここは ポリニャック伯爵夫人が主催するパーティー。ヴェルサイユ宮殿の中の豪華なサロンの一室。舞踏会と聞いていたのに、違っている。
「エメ男爵夫人に騙されたんだわ!」アンが言えば、
「舞踏会に釣られたのね、私達」フィービーが返す。
「でも大丈夫よ、舞踏会なんて踊っているばかりで話せやしないもの。こっちの方が都合がいいわよ、アン、フィービー」 アイリスはいつも冷静ににこやかに対処してしまう。
みれば舞踏会ほど広い場所ではないけれど、部屋のしつらえは、素人目に見ても豪華絢爛。
エメ男爵夫人が成り上がりのお金持ちで、調度品にお金をかけていても、こことは比べ物にならない。
でもまだ肝心のポリニャック伯爵夫人は、お出ましじゃないの。
それらしき姿は見えない。
最後に登場するのかしら?
ポリニャック待ちのアンたちに、色々な人が次々に話しかけてくる。三人はワインを飲むすきもない。
―――もちろん、話しかけられる理由は、化粧水とクリームの威力!(23・24話)
二十一世紀から、ヴェルサイユの情報収集のために持ってきた化粧水とクリームが大評判で皆が欲しくてたまらないのだろう。
でも三人はどこか釈然としないというか。
貴婦人に声をかけられるのはね、いいの。そもそも―― 私達、ファンにいつも声をかけられているもの。美人ハリウッド女優というのは、私たちのことですもの。
持参したコスメが ヴェルサイユに広まるのも良いわ。ありがたいと思っている。
自分たちの評判が高まるのは、願ったりかなったり。アントワネットにつながる情報収集もうまくいくはずだから。
――でも、エメ男爵夫人にコスメを手渡して、二週間ほどしかたっていない。
こんなに評判が広まるもの? ヴェルサイユって数千人居るって聞いているけれど。
あまりに化粧水とクリームが評判になりすぎていて、何かおかしいと思う。
……上手くいきすぎて、「何かおかしい」 というあの感覚。
同じことをフィービーも思っている。
「アン、十八世紀ってTwitterとかあったのかしらん?」 不安をジョークにして耳元でささやく。
「私の記憶ではなかったはず……」 アンもジョーク気味に返す。
アイリスは、近づく貴婦人たちを手慣れた様子でさばいている。
彼女の柔らかい物腰は、初対面の貴婦人対策にはパーフェクト。
その後ろで二人はひそひそ話を続けていく。
「エメ男爵夫人が、相当触れ回ったから評判になったのだとは思うけど……」
「なによ、アン。思うけど……って?」
「あのサンジェルマン伯爵が変にからんでいたら、嫌だし面倒だなって思うの」
サンジェルマン伯爵とは、あの後会えていない。
でも彼だけが、アンたち三人が二十一世紀から来ていることを知っている。もちろん、彼も二十世紀から来ていると聞いたのだから、こちらも相手の弱みは握っている。そこはお互い様だけれど。(29・30話参照)
でも、同じタイムスリップした者同士、共闘するイメージが全く浮かばない。
上品そうな物腰だけど、裏がありそうなうさん臭さがすごくて、結局、彼の腹が読めないまま、不安だけは続いている。
「サンジェルマン伯爵が私たちの評判を高めるなんてことする? それじゃイイ人じゃない?」
「そうじゃなくて、評判を高めるように見せかけて【罠】かもってことよ。フィービー」
罠のところはささやくように伝える。
「そんなヤバいやつなの? でも確かに用心するに越したことないわね。私達、まだポリニャック伯爵夫人にもアントワネットにも会えてないんだものね」
フィービーはサンジェルマン伯爵に会っていない。(28話参照)
だから、彼の人となりについて感覚でつかめていないが、自分たちの状況が好ましくないと承知している。
マリア・テレジアの依頼をこなすどころか、ターゲットの二人、マリー・アントワネットにもポリニャック伯爵夫人にも会えていないのだから。
「とにかく貴婦人たちに何で知っているのか聞いてみるわ」
どんな小さい謎でも、早めに解いておくほうがいい。
まさかと思うけれど、サンジェルマン伯爵がポリニャック伯爵夫人にアンたちがアントワネットからポリニャック伯爵夫人を引き剥がすために来ている、なんて伝えていたら、
――――最悪の結果になる。一瞬で任務失敗。
アンは、アイリスの横に並ぶ。
「アイリス、私も皆様にご挨拶させて」 ほがらかな笑顔を浮かべ、場に混ざり込む。
一斉にアンに注目が注がれる。アイリスとアンが並ぶと、美女パワーが倍増して場のオーラがますます強まる。でも二人はレッドカーペットにいるかのごとく、貴婦人たちの視線を優雅に受け止めていく。(顔立ちは第8部分のヴィジュアルイメージを参照ください)
「アン、もちろんよ。こちらの方が、ブランカ公爵夫人よ」
アイリスが小太りの貴婦人を紹介してくれる。
「ブランカ公爵夫人、お目にかかれて光栄ですわ」
「アイリスさんもお綺麗だけれど、あなたもこんな近くでも、しわが全くないのね。まるで天使の様だわ」
天使ですって。嬉しいじゃない! でも二十一世紀でも、美人の誉れ高くSNSでは「なりたい顔、ナンバー1」だったのよ。(1話参照) 十八世紀でも二十一世紀でも美貌パワー炸裂ってことね!
「天使だなんて! 本当にクリームのことがこんなに広まってしまって戸惑っておりますの。エメ男爵夫人のおしゃべりにはまいってしまいますわ」
「あら~。私が聞いたのはエメ男爵夫人じゃないのよ。ヴェルサイユは噂が風のように流れていくのよ。あっという間に面白いお話は広がるの」
え? あっという間に広がるってどういうことよ。SNSないのになんで?
もうひとりの貴婦人も言う。
「サロンで聞いた話を、皆さんがまた別のサロンで話すでしょ? だから、あっという間に広がるのよ」
そんなにおしゃべりなの? 他にやることないの? 仕事とか勉強とか子育てとかあるでしょ、普通……?
「まあ、じゃあ、一人が五人に話したら、その五人の方がまたそれぞれ五人に話すということですか?」
アイリスも、不思議に思っていたのだろう。アンの意図を汲んで、さらに確認をしていく。
「そうよ、翌日に話すどころか、午前に聞いた話を午後に話したりするのよ。だから、ヴェルサイユで私の知らないことなんて、ないのよ」
何と――。デジタルに匹敵する、おしゃべりパワー!
当時、ヴェルサイユに住んでいるのは貴族がほとんどで、彼らは暇だった。
そもそも仕事もない。子育ても人任せ。
だから、うわさ話に興じるくらいしか、やることがなかったのだ。
これがヴェルサイユ式 リアルTwitterとういうわけね。十八世紀、なんか、信じられない。
でも、サンジェルマン伯爵が何かしているんじゃなければ、少しほっとする。
――そこへ。
「皆様、お待たせしてしまってごめんなさい」
穏やかな、それでいて威厳を秘めた声が聞こえてきた。
貴婦人たちが一斉に、声の方に向く。
…… とうとう、ポリニャック伯爵夫人のお出ましだわ。
―――とうとう、敵に出会える。
ポリニャック伯爵夫人を見間違えたりしない。肖像画で何度も見た。ヴィジェルブランの絵は彼女をそのまま、写し取っている。
わずかにブルーグレイが入った、薄色のシックな色のドレス、髪飾りもつけていない。
ピアスは、シンプルなフープピアス。
――意外。これは二十一世紀でもよく見かけるアイテム。もっと豪華かと思った。
でも、 肖像画に描かれていたのはこのピアスだったわね、確かに。
「ねえ、アン」 アイリスがこっそり笑いながら耳打ちする。
「ちょっとくらいの美人って、彼女のこと言ってたでしょ?どう、実際に出会って――」
「私たちの方が美人に決まっているでしょ! 二十一世紀ははるかに進化しているのよ! 美貌も人柄も!」
これを聞いて、アイリスはさすがはアンと苦笑する。
―――あとがき
今回、ヴェルサイユ式、Twitterとタイトルにしてありますが、
これは実際、こんな風だったらしいです。
当時はプライバシー意識も低く、盗み聞きが罪ではなかったため、
ヴェルサイユの貴婦人、貴婦人に使える侍女、小間使いなどが
色々な話を聞いては、20km離れたパリでべらべらしゃべったわけですね。
だから、アントワネットが何をしたかなどが、あっという間に伝わり、
更に、王妃に相手にされていない貴族たちが、恣意的に悪い方にひねって
話すので、アントワネットは必要以上の悪人になっていました。
この時代、手紙は親展はなく、全部届いたら皆に読み聞かせるものでもありましたので、海外の情報も1週間ほどで届いてしまい、そこからあっという間に
広がっていったようです。
そもそも、シーザーの書いた『ガリア戦記』にも、(ガリアは当時のフランスの表現です)やたらとガリア地方の人間がおしゃべりだと記載されているのですが、
フランス人はとにかく歴史的におしゃべり!のようです。
ちなみに書かれたのは紀元前、です。1700年ほどおしゃべり好きで通しているのが
フランス人と言えるでしょう。
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