第29話 年を取らない詐欺男! サンジェルマン伯爵



「あなたたちは秘密を守ってくれそうだわ」




 エメ男爵夫人はいきなりアンとアイリスにこんなことをいってきた。




 秘密を共有して仲間意識を持たせようというのだろうか。


 悪だくみに誘う時の言葉にしか思えない。やれやれ。面倒なひと。




 エメ男爵夫人はふうとため息をつきながら、同情を誘うつもりが見え見えな雰囲気で言う。




「実はウチはね、爵位を買った家なの。もともとの貴族ではないの。夫と二人で頑張ってここまで登ってきたのだけれど、ヴェルサイユときたらウチみたいなのをバカにするのよ。それが悲しくてね」




 この当時、爵位はお金で買えてしまう。




 エメ男爵はなにがしか事業でうまくいき、有り余るお金で爵位を買い、さらにヴェルサイユに住むという栄誉にこぎつけたのだろう。今でいう成金というやつ。




 そして、ビミョーに成金が嫌われるのは、いつの時代も一緒なのだろう。




「でもね、お金があるのは由緒ある家柄の人たちじゃなくてウチよ。ウチのほうがお金はあるの。夫の事業のおかげでどんどんお金が入ってくるんだから。でね、私はあのヴェルサイユの古株たちをおとなしくさせたいの。それであなたたちのアレ、分けてほしいのよ」




 アレ、が強調されて、すごく嫌らしく聞こえる。




 これがエメ男爵夫人の腹ね。ヴェルサイユの古株さんたちに化粧水とクリームを渡して、なんとか歓心を買おうとしているのね。




 ふんふん……気の毒な気もしないではないけれど、由緒ある家柄の貴族たちが嫌うのは、成り上がりだからじゃなくて、こういう何とも言えない俗っぽさじゃないかしら。言わないけれど。




「私たちの化粧水とクリームをお分けすればいいのですね、ちなみに何人分くらいですか?」




 アイリスがさらっと答えて、話を進めてくれる。




「そうねえ、ご旅行中ならば、ヴェルサイユにはそんなに長くいらっしゃらないのでしょう? そしてジャポンに帰れば、いくらでも手に入るのでしょう?」




 ええ、そりゃあもう、一刻も早くお仕事すませて二十一世紀に帰りたいわ。マリア・テレジアがご褒美くれるっていうから、ここに来ただけだもの。




 そして、化粧水とクリームのことなら、おっしゃる通りに戻ればいくらでも手に入るわよ。数ドルで。数十ドル出せばもっと効果のあるお品がいっぱいあるし。




 ただ、戻るのはジャポンじゃなくて、二十一世紀の未来なのだけど。




「今あるものを全部いただけないかしら?」




「え?」 二人の声がハモる。




「全部とおっしゃいましたか?」




 アンとアイリスは顔を見合わせる。でも、心中隠して、笑顔を浮かべながら、だ。


 目の奥で エメ男爵夫人は想像以上のずうずうしさね、と会話する。




「ええ、全部くださらない? すぐにジャポンに帰るのならば、お困りもないでしょう?」




「とおっしゃられても……突然のことですからどうお答えしたらいいのか」




 アイリスが上手に時間を稼ぐ。こういう会話はアンより、アイリスの方が上手い。




「あなたたち、ポリニャック伯爵夫人に会いたいのでしょう? 会わせてあげてもいいのよ。シャルロットから聞いたわ」




 ボスキャラ、ポリニャック伯爵夫人に会わせてくれるの?! それが本当ならば、オーケーしてもいい。化粧水とクリームは惜しいものじゃないのだから。でも、抜け目なさそうなエメ男爵夫人。




 アイリスがアンの膝に手を置く。すぐにオッケーしてはだめ。詳細を聞くのよ、のメッセージだ。もちろん! こういうぐいぐい相手に突っ込むときはアンの出番だ。




「ポリニャック伯爵夫人と会わせていただけるのはとてもうれしいですわ。でも、遠くで一目見るだけとか、ご挨拶だけとか、そんなのでは、ジャポンに戻って皆に話もできませんわ。ゆっくりお話しできると嬉しいのですが」




 上品だけれど、言っていることは、「じっくり話せるの? そうじゃなきゃ、渡さないからね」というきつめの意思表示だ。 エメ男爵夫人ならこのくらい言っても大丈夫だろう。




「ゆっくりは無理よ」




 即座にエメ男爵夫人はアンの依頼を却下する。




「でも私は彼女が開催する舞踏会に招かれているの。このヴェルサイユでの舞踏会よ。その時に、あなたたちを紹介してあげるわ」 




 舞踏会。ヴェルサイユの舞踏会。本当はポリニャック伯爵夫人とさしで話す場がベストだけれど、その日が来るのを待つよりも、まずは少しでも会って話すことが先決だろう。心が決まった。




「わかりましたわ。ちなみに舞踏会はいつでしょうか?」




「二週間後よ。こればっかりは私の一存で明日とか明後日にはできないから」




 確かにそうだろう。




「あ、そうそう。私とあなたたち三人、のほかにもう一人仲間がいるのよ。ご紹介するわ」




 男爵夫人が声をかけると、隣の部屋から四十才くらいに見える男性が入ってきた。エメ男爵ではない。




 身なりがとてもいい。従者ではない。誰だろう?




「この方、サンジェルマン伯爵とおっしゃってね、博識でルイ十五世様にも重用されていたことのある素晴らしい方なの、いったん国外に出られたのだけど、最近戻っておいでなのよ」




「これはこれは、本当に美女ぞろいですな。失礼、私はサンジェルマン伯爵というものです」




 サンジェルマン伯爵と名乗る人物は、アンとアイリスににこやかに笑顔を見せる。黒髪の中肉中背の男だ。エメ男爵夫人と比べて、嫌らしい感じはない。上品で知的だ。




 でも、サンジェルマン伯爵? どこかで、どこかで聞いた名前。 誰だっけ?




「サンジェルマン伯爵は今、千歳を超えていらっしゃるのよ。信じられる? クレオパトラとも話をしたことがあるんですって。年を取らない方として有名なのよ」




 年をとらない!!!二人は思い出した!!


 サンジェルマン伯爵!!!


 子供の頃、『不思議な人物大全』で読んだあの人!



 二十一世紀のネットでも検索すれば、いくらでもヒットするサンジェルマン伯爵。




 年をとらない不思議な男、サンジェルマン伯爵。そうだ、この顔 ネットで見た顔と一緒だわ!!でも何か、何かおかしい……




注) サンジェルマン伯爵は検索すればいくらでも出てきます、ウィキペディアでは大人しめの情報だけですが、その他のネット情報はかなり、噂を盛り込んで楽しませてくれます。


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