第6話 甘いシャーベットの声を持つ 優雅な美女
アンは「十八世紀に行く」というとんでもないプランを、デバイスの向こうの美女にどう伝えるか、いいアイデアを持っていない。
そもそも、自分は何をやっている? 私はおかしくなっている? という思いはまだ頭の半分以上を占めている。
だが、マリア・テレジアとうっかり、あの場で約束してしまった。
イエス、と。
そして、こんな風にも思う。
――――タイムスリップはこの世の中に密かに実際にある。だから、映画や小説などになっているのではないか。
だとしたら、もしかしたら本当に十八世紀に行けるんじゃないか?と。
映画の主役をあわよくばという、野心の気持ちもたっぷりある。とにかくハリウッドでもうひと花、咲かせなくては。
画面に映る女性はサックスブルーの淡いモヘアのバレエネックのニットを着ている。栗色がかった赤毛の髪はセミロングでふわふわにカールされている。
でも、あくまでさりげなく相手に気を使わせないぎりぎりのレベルで自然にまとめられている。
こんなのバカな男になんて全くわからないだろう。
なめらかな首からデコルテ、そして鎖骨がとても美しい、首に巻き付いている細い鎖がキラキラ光って彼女の美しさを際立たせている。
少しだけ哀しみをたたえた瞳。そして、柔らかな微笑み。
「この顔立ち、マリア・テレジアでも絶対にケチをつけられないわ」
アンは心の中でつぶやいた。美肌加工なんて施さなくても、その美しさは際立っている。
綺麗な歯並び、形の整った唇、美しい輪郭、すっとした鼻筋、誰が見たって「美人」だ。
あるものは憧れ、あるものは畏怖し、あるものは恋し、あるものは嫉妬するような、そんな美しさだった。
アイリスの仕事はアンと同じ。女優だった。ハリウッド女優だ。アンよりも売れっこで、演技派の美人女優。
顔立ちやプライベートのファッションは清楚さや可愛さも取り込むタイプだったが、話せば静かな知性と落ち着きを感じさせる。
強気で多少女王様キャラが混じったアンとも、苦も無く合わせてくれているのか、なぜか合うのだ。
女王様を好意的にたしなめる、執事キャラというと近いだろうか。
「アン、お久しぶりね。話したかったわ」
甘くてでもどこかひんやりした彼女の声。この声は特徴的で、誰の耳にも心地よい。 彼女は美しさでも演技でも定評があったが、声も彼女の人気を爆上げしていた。
甘いシャーベットのような声、と評される彼女のもう一つの武器。
「本当にいいタイミングだったわ。私ここのところ忙しかったでしょう?」
アイリスはアンがどこから話そうかと悩んでいるのを知らずにどんどん話を続けていった。
「カリフォルニアの撮影が終わったの。これからしばらくはゆっくり過ごすわ」
アンはアイリスの撮影が終わり、しばらくゆっくりするという話を聞いて、マリア・テレジアの言っていた
「そうなるようにすべてが流れていくでしょう」という言葉が嘘ではなく、着々と進んでいるのだろうか、、こんな気持ちが芽生えてきた。
ひとしきり、撮影時のトラブルとか、共演俳優の外面の良さに呆れた話などを交えて近況報告を聞いた後、アンは聞いてみる。
「撮影が終わってこれからしばらく何をするの?」
こんな簡単な質問ですらドキドキしてしまう。
「しばらく旅行に行ったり、ゆっくりしようと思うの」
え! アイリスはこれから休暇ですって? 何という偶然!?
「フランスに行こうと思っているの。祖母がフランス人なのに子供の時に何回か行ったくらいだから。ゆっくり回ってみたいわ。ほら、私ヨーロッパ史が好きでね、歴史って面白いじゃない」
―――休暇の上に、フランスへ?
アンは驚く。マリア・テレジアの言っていた通りだ。マリア・テレジアが『選択の糸』を彼女に使っているのだろうか。
「アイリス!! ヴェルサイユ宮殿なら、一緒に行かない? ねぇアイリス、一緒に行きましょう!」
マリア・テレジアがすでに『選択の糸』を操っているなら、身構えて計算して小細工を弄しても意味はないのかもしれない。どこかでそう思ったのだろうか。ずいぶんと雑な誘い方をした。
「アン、どうしたの? あなたと一緒にフランスへってこと?」
アイリスは、アンの雑な誘い方に驚きと笑みを浮かべながら答える。
「そう、おかしな話だけど、そうなの。でもね、意味はアイリスが考えているのと全然違うから」
「どう違うの? 何か面白い話なの? アン、あなたっていつも危なっかしくて、聞いていて飽きないわ」
アイリスはゆったりと微笑み、特に興味を示したわけでも不快感を示すわけでもなかった。
「ええ、面白過ぎるのよ、ねえ、十八世紀のフランスに行かない? 一緒に!」
「う~~ん、十八世紀? きっと不便よ。行くなら未来がいいわ」
冗談だと思われたらしく、答えも冗談で返ってきた。笑顔と手元のマグカップを口に運ぶ動作をプラスして。
マグカップの中身はたぶん、以前インタビューで話していた、オリジナルブレンドのハーブティーだろう。デトックス効果のある特別なブレンド。
自然なスタイルで美貌をキープするのがアイリスだった。
アイリスの態度は、どこか落ち着いていて、拒絶されたと感じさせない。ここで引いたら、ただのおバカさんで終わってしまう!
「アイリス、実はね……」
どれほどの時間をかけて説明しただろう。先日のシュテファン大聖堂博物館での話を、行きつ戻りつ話した。とにかく、誰が聞いても信じられない話だから伝え方に困る。
アンは一蹴されないように、できる限り丁寧に大聖堂博物館の出来事を伝えた。
アイリスは、引き続きお茶を飲みながら、穏やかに聞いてくれている。いつも優しいアイリス。そして、アンのお世話を楽しんでくれるアイリス。
「アン、わかったわ。素敵なご褒美つきなのね? なら十八世紀に行こうじゃない」
――――え? そんなにあっさり??
アイリス、ちょっと。その反応、それでいいの? 十八世紀へ行くのよ? わかっている? あなた慎重なタイプだったでしょ?
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