エピローグ

 リクハルドがクラリッサにプロポーズ(?)をしてから数日後。

 ようやく訪れてきた休みに、リクハルドは実家への道を急いでいた。


「ふんふんふーん」


 意図せず、そう鼻歌が漏れ出してきて、にやける口元が止まらない。

 結局あの日から、仕事で忙しくなったせいでろくに会えなかったのだ。今日久しぶりにクラリッサに会えるとなり、高鳴り弾む胸を抑えきれない。

 もっとも、そんな姿でも周囲の婦人からは『平和を謳歌している帝都を見て安心している将軍』という姿に見えるのだから、実に顔というのは詐欺に結びつくものだ。


「いよっし、到着!」


 本来ならば休日前の仕事終わりから実家に顔を出すのだが、昨夜はヴィクトルに誘われて飲みに行ったのだ。こないだの詫びに奢れ、と言われると返す言葉がなく、その後バルトロメイやアルフレッド、久しぶりに会ったヴァンドレイなども途中から参加し始め、将軍ならではの苦労などを愚痴る会に発展してしまった。

 おかげで、寝たのは明け方だ。昼に起きて、そのまま身支度をしてここまでやってきた自分を褒めたいくらいである。もっとも、多少の体調不良など妹の前では全力のリクハルドにとって、些細なものである。


 いつも通りに門を開き、顔馴染みの執事に挨拶をしてから中へと入る。

 今日は宮廷の執務も休みと言っていたし、アントンもクラリッサもいるだろう。むしろ、 クラリッサがいないのならばリクハルドが実家に顔を出す理由が一つもない。


「あ、お義兄様!」


「おお、クラリッサ!」


 すると、そんなクラリッサと廊下で出会う。

 鍛練の後の湯浴みをしていたのか、どことなく上気した頰と石鹸の香りがする。いつも午前は鍛練をしていると言っていたし、もう終わらせたということだろう。さすがに、こんな日に全身鎧フルプレートで迎えられたくなかったので、良いタイミングだったらしい。

 まずは、抱きしめる。


「会いたかったぞ!」


「はい、私もです。お義兄様!」


 ぎゅー。

 二人でひたすらに抱きしめ合って、それから名残惜しいけれど離れる。

 なんと新鮮なことか。妹に抱きつこうとして殴られたり剣で叩かれたり蹴られたりしないなど、リクハルドにとっては初めての体験である。ちなみに殴るのはリリスで剣で叩くのはアルベラで蹴ってくるのはヘレナだ。

 ふぅ、とリクハルドはまず息を整えて。


「俺もこっちに引っ越すかな」


「来られるのですか?」


「ああ。まぁ、その……なんだ、クララと、婚約をしたわけだしな……」


「……」


 かーっ、と二人揃って顔が赤くなる。

 一応、ずっと妹でいてくれと言ってしまったけれど、その後ちゃんと言ったのだ。結婚しよう、と。

 まだ式を挙げていないわけで、婚約者にして妹というよく分からない関係になってしまった。


「んで、まぁそのあたりを親父に相談しようと思っていたんだけど……」


「お義父様なら、先程来客があって応接室の方に行かれていましたけど……」


「誰が来たんだ?」


「綺麗な女性の方が来ていました。私は知らない人だったのですけど……」


「ふーん……」


 もしかすると、アントンも再婚するのだろうか。

 まぁ、こんな風に子供全員が結婚をするということになり、寂しくなったのかもしれない。相手がどんな女かは知らないが、アントンが選ぶ相手ならばそれほど問題があるわけではないだろう。こちらの屋敷に引っ越そうと思っていたけれど、もしもアントンが再婚するのならばちょっと別に物件を探した方がいいかもしれない。


「まぁ、こっちの屋敷からでも駐屯所には通えるからな。クララがいいなら、親父と同居って形になるけどどうだ?」


「あ、はい。私はそれで大丈夫です。私も、まだまだたくさんお義父様には聞きたいことがありますし」


「宮中侯の仕事も、覚えるの大変だろうからな」


「……はい。まずは法律を丸暗記することから始まるそうです」


「うげぇ」


 絶対にやりたくない。

 もしも宮中侯になるとか宣言していたら、そんな地獄が待っていたのか。やめておいて良かった、と心から思う。


「あれ?」


「おや」


 すると――目の前の階段から、随分と見知った顔が降りてきた。

 二階にある応接室から出てきたのだろう。つい昨日顔を合わせたばかりのそれは、週に三度は必ず見る顔である。

 だが、ここにいる理由が何一つない――ステイシーだった。


「将軍、奇遇ですね」


「いや、お前がここにいる方がおかしいんだが」


「少し所用がありまして、訪ねただけですよ。もうお暇します」


「……」


 そして、その後ろから顔を出してくる、随分と疲れた顔をしたアントン。

 ステイシーとどんな話をしたのか分からないけれど、随分と憔悴している。まるで新しい頭痛の種が割り込んできた、とばかりに。

 一体どんな話をしていたのだろう。ステイシーの方は随分楽しそうだけれど。


「……あのな、リクハルド」


「どうしたんだよ、親父」


「……少しばかり、言いにくいことがある。だが、断れなんだ。儂の力の及ばないところから、圧力をかけられたのだ」


「いや、一体……?」


 アントンがそれほど憔悴するような案件とは、一体どれほど重要なことなのだろう。

 まさかお家取り潰し――そんな最悪の予想が思い浮かぶが、それほどのことを犯しているはずがない。そもそもアントンは清廉な家臣であり、宰相を任されるほどに皇帝から信任されているのだ。

 加えて、そのような案件を伝えにくるのがステイシーだとは思えない。あくまで彼女は、銀狼騎士団の副官でしかないのだから。


「……お前に、紹介しておこう。お前の、新しい妹だ」


「新たに妹になりましたステイシーです。よろしくお願いします」


 アントンの口から出た、わけの分からない言葉と。

 ステイシーの口から出た、わけの分からない言葉に。


「はぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


「いいですね。いいリアクションですよ、将軍」


「ど、どういうことだ!? 一体どういうことなんだ!?」


「いえ、言葉通りですが」


 ふふん、と胸を張るステイシー。

 そもそもステイシーとレイルノート家に何の関係もない。そしてステイシーは軍人でありアントンが官吏である以上、そこに関わりなど何一つないのだ。

 だというのに、ステイシーがレイルノート家の養女になる――それは、一体何故なのか。


「ど、どういうことなのですか、お義父様!」


「いえいえ。私の方から無理を言っただけですよ。クラリッサちゃん」


「……ま、まさか」


「ええ、そういうことです。理解が早くて助かりますね」


 ステイシーとクラリッサが、視線で火花を散らす。

 そこにいる相手が明確な敵だと――そう判断しているがゆえに。


「お前……」


「将軍と、付き合いが長いのはこちらの方ですからね。それを、ぽっと出の女が妹になったからといってその座に甘んじるというのは許せませんよ。私も少々、伝手を使って無理やりにねじ込みました」


「何だよ、伝手って」


銀狼うちの将軍に、少々力を使っていただきました」


「……」


 将軍――『銀狼将』ティファニー・リード。

 彼女は『ヘレナ様の後ろに続く会』という組織の会長であり、その組織は帝国全土に根を張っている。中には高位の貴族も珍しくないほどに所属しているのだ。

 その圧力を使ってアントンを脅し、ステイシーを養子にとるようにした――納得だ。それだけの力を、あの謎の組織は持っているのだから。


 だが。

 既に、リクハルドはクラリッサと婚約をした身――。


「よろしくね! お兄ちゃん!」


「ぶごふぅっ!」


「お義兄様!?」


 ステイシーの言葉に、思わずそう心を揺さぶられてしまう。それは妹を心から愛するリクハルドにしてみれば、当然の反応だ。

 だが、そんなステイシーに対して、気丈にクラリッサは睨みつけて。


「お、お義兄様は、私と婚約をしました! わ、渡しません!」


「ああ、それは大丈夫ですよクラリッサちゃん。そのくらいのことは分かっていますから」


「は、はい……?」


「なに、簡単なことですよ」


 ステイシーが指を一本立てて、勝ち誇ったように笑みを浮かべる。

 まるでクラリッサの考えが足りないと言うかのように。


「将軍……いいえ、お兄ちゃん」


「ごふっ……な、なんだ……?」


「ここに二人の妹がいます。一人は、もうすぐお兄ちゃんの奥さんになります。もう一人は、ずっとお兄ちゃんの妹です。さて、どちらを愛してくださいますか?」


「うっ……!」


「こちらの妹に、結婚の予定はありません。ずーっと妹ですね」


「うぅっ……!」


「お義兄様っ!」


 魅力的すぎる妹の存在に、思わず揺らいでしまう。

 ずっと結婚をすることなく、リクハルドの妹としていてくれる――それは、リクハルドにとって理想的すぎる妹だ。


「さぁ、どうしますかお兄ちゃん!」


「お義兄様! 惑わされないでください!」


「ずっとあなたの妹ですよお兄ちゃん!」


「お義兄様!」


 クラリッサに左手を。

 ステイシーに右手を。

 そうやって、二人の妹に挟まれて取り合いをされる、そんな現状。


 リクハルドは、幸せを噛み締めていた。

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恋とシスコンとフルプレート 筧千里 @cho-shinsi

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