第30話 夕刻

 結果として、アルフレッドも無実だった。

 突然やってきて蹴り飛ばしたリクハルドに対して、「ごめんなさいごめんなさいもうしません!」と泣きながら平身低頭しており、やはりこいつが下手人かと判断して問い詰めたところ、どうやらリクハルドの勘違いであり別件だったらしい。詳しくは聞いていないが、闘技場に出ている女に執心していて半ばストーカーのようになっているのだとか。全くもって、八大将軍は問題がある者ばかりだと嘆息する。

 だが、問題はそこではない。

 問題は――誰が、リクハルドからクラリッサを奪おうとしているのか、だ。


「ううむ……」


 碧鰐騎士団の駐屯所を後にしながら、腕を組む。

 間違いなく八大将軍だと言っていたのだが、リクハルドの考える候補は全員あたった。その上で、誰一人候補がいないというのはどういうことなのだろう。

 ヴィクトルは違う。アルフレッドも違う。

 そうなると、残る独身の八大将軍はルートヴィヒくらいのものだ。市井にまで知れ渡っている女好きの将軍との縁談を、それほどまでに嬉しそうに言うだろうか。

 色々と考えが逡巡するものの、答えは出ない。

 一体どういうことなのだろう。全てはリクハルドの勘違いなのだろうか。


「……クララに聞いてみるか」


 こうなったら、本人に直撃だ。

 下手人が分からない以上、奪われる相手であるクラリッサに誰であるのか聞けばいいだろう。その上で、粛清を行えばいいだけの話だ。

 例えどのような相手であれ、『黒烏将』の矢は貫き穿つのだから。


「うっし、実家行くか!」


 足を、レイルノート侯爵家へ向ける。

 仕事中であり、宮廷にわざわざ来なければいけない案件を抱えていたけれど、そんなことは忘却の彼方だ。執務室にはまだ厄介な書類たちが残っているけれど、そんなもの妹に比べれば優先順位は低い。

 全ては、クラリッサに関してのことを整理してから――。


「よぉ」


「……なんでここにいるんだよ」


 と、そのように気合を入れて、レイルノート侯爵家へ向かおうとしたリクハルドの前にいたのは。

 今日も今日とていつも通りの自由人らしく、真っ昼間だというのに酒を飲んで赤ら顔になっている『白馬将』ルートヴィヒだった。

 最近、妙に八大将軍と会うことが多い気がする。少なくともこの一週間の間で、会っていないのはヴァンドレイくらいのものではなかろうか。

 けけけっ、とルートヴィヒが笑う。


「てめぇに会いに来たわけじゃねぇよ。俺が飲んでるところにてめぇが来ただけだっての」


「平日なんだから仕事をすべきだと俺は思うんだがな」


「そういうのは優秀な副官の仕事だろぉがよ。俺ぁ有事の際に騎馬隊を率いるだけしか能がねぇ男だぜ?」


「……」


 ルートヴィヒの答えに、何も言えない。

 事実、白馬騎士団の副官であるギリアム・ウェリントンは、何度となくルートヴィヒが降格するたびに新しい『白馬将』に就任したのだ。だが、それと共に白馬騎士団の強みが失われてギリアムが降格し、再びルートヴィヒが『白馬将』になる、というのをリクハルドは少なくとも三度目にした。

 その理由として、ギリアムは優秀な副官だが指揮官には向かないという事実がある。

そして、そんな優秀な副官がいるからこそ、こんな風に将軍が放蕩の限りを尽くしても問題なく騎士団が動いているのだ。

 全くもって羨ましい現実である。こちらの副官は全く働かないというのに。


「あぁ、ま、せっかく会ったついでだ。前の話、覚えてっか?」


「前の話?」


「俺の可愛い姪っ子の話だよ」


「ああ」


 そういえば言ってたな、くらいの記憶である。そもそもリクハルドに、妹以外の女に対する興味は皆無なのだ。それが見たこともないルートヴィヒの姪っ子のことなど、記憶の彼方に吹っ飛んでもおかしくないレベルである。

 だが、それがどうしたのだろうか。


「明日な」


「は?」


「いや、だからお前との顔合わせだよ。明日の昼メシでも一緒に食ってくれ」


「急すぎねぇか!?」


 あまりの事実にそう叫ぶが、ルートヴィヒはけけけっ、といつも通りに笑う。

 確かに話は聞いていたけれど、まさかこんな風に唐突に明日とか言われるとは思わなかった。

 そもそも、既に時刻は午後であり夕刻に近い。ここで偶然会わなければ、どうするつもりだったのだろうか。


「あー……まぁ、俺もよ、今日中にお前に伝えるつもりだったんだよ」


「俺にだって予定があるんだが」


「ま、いいじゃねぇか。こっちの方が先約だ」


「……」


 まぁ、予定といっても実家に戻ってクラリッサと一緒に過ごす、くらいだけれど。そもそも予定でも何でもない。

 ルートヴィヒはやはり、下卑た笑みをその顔に浮かべながら。


「お前に伝えようと思って、黒烏騎士団の方に向かってたらよぉ」


「ああ」


「酒場があるじゃねぇか。そりゃ飲むだろ」


「……」


 完全に駄目人間である。

 ここを偶然、リクハルドが通りがからなければどうしたのだろうか。リクハルドにしてみれば迷惑な話を回避できて嬉しいが、絵姿とはいえ慕っている相手との昼食をセッティングされ、それを華麗に無視された姪っ子の気持ちを考えると物悲しい。

 はぁ、と溜息を隠そうともせず、ルートヴィヒに目を向ける。


「……で、いつだよ」


「中央通りに『綿人形亭』って店があんだろ? 昼にあそこ行ってくれや。俺の名前出せば案内するように言ってあるからよ」


「そこまでセッティングしといて、どうして俺に声をかけるのを忘れるんだ」


「仕方ねぇじゃねぇか。酒が俺に飲んでほしいって言うんだからよ」


「……ああ、そうかよ」


 酔っ払いの戯言に、これ以上付き合ってはいられない。

 ひとまず、急に決まってしまった明日の予定に辟易するが、これで白馬騎士団に対して借りが一つ作れるのだから安いものだ。予算の七割を得ることができるというのは大きい。

 適当に会って飯を食って、ちょっとくらい質問に答えればそれで終わりだろう。


 まぁ、せめて昼まではクラリッサと一緒にいることにしよう。


「ああ、そうだ。やっと思い出したぜ」


「何をだ?」


「ほら、お前言ってただろうが。姪っ子の名前教えろって」


「ああ、そうだな」


 せめて名前くらいは知っていなければと思っていたのは事実だ。

 事前に名前さえ分かっていれば、色紙にでも名前を書いてサインを用意しておけばいいだろう。リクハルドにはその価値がいまいち分からないけれど、八大将軍から貰ったサインを部屋に飾っている者もいるらしい。

 以前騎士団の運営資金が足りなかったとき、リクハルドがひたすらにサイン色紙へと筆を走らせて売り、当座の資金を獲得したという過去もあったりする。それくらいよく売れるのである。


「クラリッサだ」


「……え?」


「クラリッサだよ。クラリッサ・アーネマンだ。きっちりそう書いてやれよ」


「……」


 クラリッサ。

 その名前は、先程までずっと考えていた名前だ。

 まさか、ここでその名前が出るなんて。


「ふーん……」


「どうした?」


「いや……別に」


 ふむ、リクハルドは首を傾げる。

 リクハルドの妹と、ルートヴィヒの姪っ子。


 どちらもクラリッサだとは、妙な偶然もあるものだな、と。

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