第29話 勘違いの襲撃

「ヴィクトルてめぇこの野郎!」


「いきなり何だよお前!? こないだといい今日といい!」


 赤虎騎士団駐屯所。

 風の如く、矢の如く、とにかく全力で走ったリクハルドは息を荒げながら、いつも通りに赤虎騎士団の駐屯所で書類仕事をしていたヴィクトルの襟首を掴んで絞めた。受付の事務官に用件を尋ねられたが吹き飛ばして。

 そして、そんなリクハルドの襲来に対してヴィクトルは戸惑いながら、しかし首を絞められることは全力で回避していた。具体的には、首を絞めるリクハルドの両手を掴んで抵抗しているわけだが。

 さすがに父アントンと違い、現役で大陸でも五指に入るとされる武人、ヴィクトルの力はさすがに強い。


「俺から妹を奪う奴は神でも殺す!」


「誰がお前の妹を奪った!?」


「ふざけんな! 俺の妹との縁談を進めるんじゃねぇ!」


「は、はぁ!?」


 理解できない、とばかりに叫ぶヴィクトル。

 だが、リクハルドはその程度の言葉で止まらない。そもそも一度思い込んだら全力であるリクハルドは、そう簡単に止まるわけがないのだ。ヴィクトルにやってきた縁談は完全にクラリッサだと思い込んで止まらないのである。

 ヴィクトルはそんな、意味不明に襲いかかってくるリクハルドに戸惑いながら、しかし武に特化した八大将軍として相応しい膂力でもってリクハルドの腕を外す。そしてぜぇぜぇと首を押さえながら、瞬時に距離をとった。

 一歩では踏み込めない距離まで離脱したヴィクトルに、リクハルドは舌を鳴らす。


「おい、リック……」


「なんだ!」


「本気で俺とやり合う気か?」


 ぎろり、とリクハルドを睨みつけるヴィクトル。

 その右手で、視線を動かすこともなく近くの剣を手にとって。


「お前が妹狂いだってこたぁ、知ってる。妹のことになると周りが見えなくなるってことも知ってらぁ。ちょっとくれぇなら、愚痴も聞いてやる。酒を飲んで忘れたいってなら、付き合ってやる。でもな……こんな風に、意味も分からねぇことで襲い掛かられて、黙っていられるほど俺は大人しくねぇぞ」


「意味が分からんだと……?」


「ああ。お前の妹との縁談なんざねぇよ。つか、お前の義理の弟になるとか気持ち悪くて無理だわ」


「……」


 ヴィクトルの言葉に、嘘はないように思える。

 だが、実際にヴィクトルは言っていたのだ。バルトロメイが女を紹介してくれると言って、それを受けるつもりだと。

 リクハルドの知るバルトロメイは、熊と豚と猪と幻想にしか存在しない鬼を合わせて人間で割ればこのような顔になるのではないか、と思える凶相だ。そのような見た目をしているがゆえに、最近まで浮いた話が一つもなかった。

 だが、皇帝が正室を娶ると共に――その娶った正室も妹であるヘレナであるため、皇帝ファルマスはいつか殺すリストに入れているが――後宮が解体され、その後宮にいた側室の一人を妻として娶ったのだという。

 そして、バルトロメイが女を紹介する伝手があるとすれば、そんな妻の紹介しかない。そして後宮にいたという過去がある以上、その交友関係にクラリッサがいてもおかしくない。


 結論。

 バルトロメイがヴィクトルに紹介する相手はクラリッサ以外にいない。


「本当か」


「本当だっての……信じねぇって言うなら、やるか? やり合ってもいいぞ。これ以上話を聞かねぇってなら、伸して黙らせてやらぁ」


「……いいだろう」


 ひょいっ、とヴィクトルが剣を一つ投げてくる。

 当然ながら、真剣ではなく木剣だ。リクハルドはそれを受け止め、構える。

 模擬戦、である。


 勿論真剣ではなく木剣を使っているということで、安全といえば安全だ。だが木剣であっても、当たりどころが悪ければ死ぬこともある。実際にリクハルドの知る限り、数人ほど模擬戦で死人が出ているのだ。

 そういう者については騎士団内殉職という扱いになり、個人的に行われた模擬戦で死んだという不名誉だけが残り、騎士団弔慰金も支給されない。個人的な諍いで死んだ者にまで保証をするほど、騎士団は甘いものではないのだ。

 そして、そんな模擬戦をヴィクトルとリクハルドという、武に特化した二人が行えば。

その帰結は一つ。


 どちらかは――死ぬ。


「弓のねぇお前が、俺に勝てると思うか?」


「妹のことで激怒している俺が、お前なんかに負けると思うか?」


「上等。いつでもかかってこい」


「いい度胸だ。死ぬ覚悟はできているということだな」


 ヴィクトルを挑発する。

 リクハルドにしてみても、負けるつもりはない。そもそも激怒しているリクハルドに、冷静な判断などできないのだ。こんな案件で八大将軍が二人、命がけの模擬戦を行うことの馬鹿らしさなど考えるはずもない。

 そして、一触即発――そんな空気になった、そのとき。


「失礼、邪魔するぞ……受付の事務官が倒れていたが、一体何が……」


 そこで。

 ヴィクトルの執務室にそう言いながら入ってきたのは、もう一人の下手人――『青熊将』バルトロメイ・ベルガルザード。

 何か、騎士団での用件があってやってきたのだろう。その右手に書類の束を抱えて入ってきたバルトロメイは、入ったその瞬間に木剣を構えて睨み合っているヴィクトル、リクハルドの二人を見て目を見開いた。


「おい、お前たち何をしている!?」


「止めんなバルト! こいつは一度伸しておくのが正解だったんだ!」


「俺から妹を奪う奴は、神でも殺す!」


「何を言っているのだ!?」


 さすがに、八大将軍が二人私闘を行うとなって、見守るという選択肢はない。

 バルトロメイはすぐに書類の束を手近な机の上に置いて、一瞬でリクハルドの背後に回り込み、その体を羽交い締めにした。

 どちらかだけでも、落ち着かせなければいけない――そう判断したのだろう。そして、明らかにまともな判断ができそうにないのはリクハルドの方だと判断したのだ。賢明な判断である。


「離せ!」


「離せるか! 落ち着け! ヴィクトルも剣を下ろせ!」


「てめぇも許さねぇぞバルトロメイ! クララを俺から奪う奴はお前でも殺す!」


「何を言っているのだ!?」


 意味が分からない、とばかりにそう叫ぶバルトロメイ。

 白々しい――そう感じながら、リクハルドは叫ぶ。


「お前がっ! ヴィクトルに女を紹介するとか言い出したんだろうが!」


「は、はぁ!? い、いや、そ、それは、そうだが……!」


「クララを紹介なんぞさせるかぁ!」


「誰だそいつは!? 知らんぞ!?」


「……え?」


 すっ、と体から力が抜ける。

 そして、ようやく落ち着いてくれたリクハルドに対して、ヴィクトルも嘆息して剣を下ろした。その表情は不機嫌だったが、それでも八大将軍同士が私闘をすることのデメリットを判断できないほどに激昂してはいないらしい。

 リクハルドは、バルトロメイの方を向いて。


「お前がヴィクトルに紹介する相手は、クラリッサじゃないのか……?」


「違うが……」


「そう、だったのか……」


 ゆっくりと、木剣を腰に差す。

 どうやら、リクハルドの勘違いだったようだ。そして、勘違いと分かれば冷静になることができる。

 ふぅっ、と大きく嘆息して。


「すまなかった、ヴィクトル」


「い、いや……何なんだよお前、マジで……」


 素直にそう謝罪をして、そして考えを改める。

 候補は二人――『赤虎将』ヴィクトル、『白馬将』ルートヴィヒ、『碧鰐将』アルフレッド。

 ルートヴィヒの可能性は低い。ヴィクトルは違う。そうなれば――残るは、ただ一人。

 ぎっ、と帝都の西――碧鰐騎士団の駐屯所がある方向を、睨みつけて。


「アルフレッド……!」


「おいリック、今度は何……」


「百回殺す!」


「何なんだよお前!?」


 ヴィクトルのそんな声など聞くことなく。

 リクハルドは全力で赤虎騎士団の駐屯所を走り抜け、碧鰐騎士団の駐屯所へ向けて走り出した。

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