第3話 穏やかな夕餉
ひとまず、その日の夜は夕食を三人で囲むことになった。
レイルノート侯爵家は一応、ガングレイヴ帝国が未だ小国の一つでしかなかった頃から仕えている名門の家柄である。そのため、雇っている料理人も貴族家として申し分ないものだ。同じものを市井で食べようと思えば、それこそ一般人の月収が一食で飛ぶほどである。
リクハルドにとって、食べ慣れたものは軍の食事だ。それこそ、ゲリラ戦で野草しか入っていない青臭い鍋を食べたことだって数知れない。だが、基本的に美味しいものを食べたいと思うのが人として当然の考えである。
だからこそ、こうやって週末だけは実家に戻って夕食をタダで食べているのだけれど。
普段はアントンと顔を合わせて、いつ宮中侯を継ぐのだ、早く軍を退任しろ、貴族としての自覚があるのか、という叱責ばかりの食卓だが。
「わぁ、今日も美味しそうですね」
「うむうむ。我が家の料理人は腕が良いからな。クラリッサは成長期だからな、もっと食べなさい」
「はい。ありがとうございます」
リクハルドにしてみれば、食べ慣れたいつもの夕食だ。
だが、その出てくる料理の一つ一つに対して、新鮮に驚きを見せるクラリッサを見ながら、どことなく鼻の下が伸びてしまう。血を分けた実の妹は可愛くて可愛くて仕方ないが、こういう新鮮な反応を見せてくれる義理の妹も可愛いものだ。
しかし。
クラリッサに食事を勧めながらも、どことなく頬を緩ませているように見える実の父に、つい猜疑的な視線を送ってしまうのも仕方のないことだろう。
「おい、親父……」
「む、何だ、リクハルド」
「本当に……クラリッサは養子なんだろうな」
「は? お前、何を……」
「お袋の代わりじゃ、ねぇよな……?」
リクハルドの言葉に、アントンが目を見開く。
アントンの妻でありリクハルドの母であるレイラは、既に故人だ。それも最強無敵、天下無双と謳われた大英雄であり、レイラがいなければガングレイヴ帝国の版図はここまで広くならなかったであろうと評判の、まさに歴史に残る偉人だ。
そんなレイラが病に罹り亡くなって、既に十五年近くになる。そして、その間誰一人として後妻を娶ることがなかったのだ。
リクハルドの覚えている、母の姿――当時、『殺戮幼女』と渾名された、母とは思えぬほどの幼い見た目。
今まではアントンがずっと亡き母に操を立てているのだとばかり考えていたが――本当のところは、幼女趣味だったのではなかろうか。
そんな疑念を込めて、アントンを睨みつけるが。
「馬鹿なことを言うな、リクハルド」
「……」
「ふん……まぁ、お前がどう考えようとも構わん。儂はただ、クラリッサを次期宮中侯として教育するのみだ」
「あ、あの、よろしくお願いします。が、頑張ります」
「うむ。だが、今はまず我が家に慣れるといい。それに、まずは宮廷の職に就いてからになる。まずは事務官として功績を積んでからだな。明日からは昼間に家庭教師を呼んである。一年後には宮廷の職に就けるように努力をしなさい」
「はい」
アントンの言葉に、素直にそう頷くクラリッサ。
色々と突っ込みどころ満載だが、しかし本人がそれを望んでいるのなら仕方ないだろう。
「リクハルド」
「あん?」
「先も言ったが、クラリッサを儂の養子に、と勧めてきたのは皇帝陛下だ。元々、クラリッサは陛下の後宮にいた身であるが、教養もあり出自も良い。そこで、愚息がいつまで経っても宮中侯を継いでくれぬ儂に話が来たのだ」
「……後宮?」
「ゆえに、儂はあくまでも四人目の娘として教育を施……おい、どうしたリクハルド」
ぷるぷると、怒りに拳を震わせる。
後宮。
その言葉は、リクハルドにとっては鬼門。
可愛くて可愛くてたまらない、愛しくて愛しくて頬ずりしたいほどの妹――ヘレナを奪ったのは、後宮なのだ。
当時、リクハルドは最前線にいたが、後でヘレナが後宮に入ったことを知り、毎晩のように枕を涙で濡らしたものだ。純粋なヘレナのことだから虐められてはいまいか。可愛いヘレナのことだから皇帝に味見されて純潔を散らしているのではないか。そして、それを誰にも相談できずに泣いてはいまいか――考えるたびに、黒烏騎士団全軍を率いて帝都を攻めようとしては副官に止められた。
そして、新たな妹クラリッサ。
これほどまでに可愛らしく、そして純朴な少女を、皇帝が放っておくわけがないだろう。
きっと、一夜の火遊び程度の気持ちで、皇帝という圧倒的な権力を用いて手篭めにされたに違いあるまい。
「あー……」
「先程からどうしたリクハルド。おい、リクハルド?」
「いや、俺が皇帝をブチ殺す理由がもう一つ増えただけだ」
「何を堂々と反逆宣言しているのだ貴様」
「俺から妹を奪う奴は、神でも殺す」
リクハルドの殺すリスト。
アロー伯爵家嫡男、ドレル・アロー(愛しいアルベラを奪ったクソ野郎)
ガルランド王国第二王子、ルーフェウス・アール・ガルランド(可愛いリリスを奪ったクソ野郎)
ガングレイヴ帝国皇帝、ファルマス・ディール=ルクレツィア・ガングレイヴ(←NEW)
ちなみに、ドレルとルーフェウスの二人は実際に一人で闇討ちしようとして、愛しい妹二人に全力で怒られた経緯があったりする。
その際に言われた、アルベラからの「ドレルを傷つけたら兄様のことを嫌いになります」リリスからの「ルーフェウスに手を出したら兄さんでも絶対に許さないから」という言葉たちによって、彼の凶行は止められているのだ。
「まったく、貴様はいい加減に妹離れをしろ……」
「俺から妹を取れば何が残るんだよ」
「いや、だからそういうことを堂々と言うなと……」
むっしゃむっしゃと出される料理を貪りながら、ふん、と鼻を鳴らす。
そんなリクハルドを見ながら、楽しそうに笑うクラリッサ。
ああ――久しく忘れていた、この空気。
妹が一緒にいる――その事実の、何と素晴らしいことか。
「クラリッサ……ええと、通称はクララか?」
「あ、はい。お義兄様。親しい者からはクララと呼ばれています」
「じゃあ、俺も呼ばせてもらおう。クララ」
「あ、ありがとうございます」
愛称で呼ぶと、それだけで少し顔に熱が走る。
そして、同様にクラリッサも恥ずかしいのか、顔を伏せた。
そんな所作の一つ一つが、とんでもなく可愛らしい。
「まぁ……改めてだが、リクハルド・レイルノートだ。今日から、クララの兄になる。よろしく頼む」
「は、はい。い、至らぬ身ですが、一生懸命頑張りますので、よろしくお願いします」
「いいや、頑張らなくてもいい」
きらりーん、と。
リクハルドは、そんな固めの挨拶を行うクラリッサに向けて、白い歯を見せる。
きっとそれは、彼の内情を知らなければ、爽やかな笑顔に見えるかもしれない。
「いいか、クララ。この世の真実を教えてやろう」
「は、はい……?」
「妹というのは、存在するだけで価値がある。それだけでこの世界の何よりも価値あるものだ。数多の宝石とて、金銀財宝とて、妹という唯一無二の美しさには決して勝てないんだ」
「は、はぁ……?」
「クラリッサ、聞かなくてもいいぞ」
リクハルドの、そんなよく分からない熱い主張に。
アントンはそう、冷たく無視することだけを勧めた。
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