第2話 義理の妹
「先日、話をしただろう。養子をとると」
「……あー」
アントンにそう言われて、どことなく父の頭皮のように薄くなっている記憶が蘇る。
リクハルドにはそもそも宮中侯を継ぐつもりが全くなく、軍人として一生を終えるつもりでいる。だというのに何度も何度も宮中侯を継ぐように言い続けたアントンがようやく折れて、養子をとることを決めたとか。
だが、てっきり男だとばかり思っていたのだけれど。宮廷の要職にいる者は、そのほとんどが男であるし。
「陛下に宮中侯を継ぐ相手を探しており、養子をとる旨を伝えたところ、クラリッサを紹介されたのだ」
「へぇ。男じゃなかったんだな」
「歴史上、女性の宮中侯というのも前例がないわけではない。それに加えて、皇帝陛下からの推薦だ。将来的に宮中侯を継ぐにしても、陛下が後ろ盾にあることは大きい」
「なるほどな」
「よ、よろしくお願いします!」
ぱちくりとした眼差しに、陽光に映えると金色にも見える鮮やかな茶色の髪。その顔立ちは整っており、十分な美少女である。
だが、背丈や顔立ちから考えるに、あまりにも幼いのではなかろうか。
「クラリッサ、紹介しよう」
「い、いえっ! ご高名は存じております! 『黒烏将』リクハルド・レイルノート様!」
「ああ、俺を知ってんのか」
「お噂はかねがね!」
別段、不思議ではない。
リクハルド自身にはあまり自覚はないけれど、それなりに名は知られているのだ。少なくとも、ガングレイヴ帝国の中にも八人しか存在しない武の頂点、八大将軍が一人である以上、名前くらいは誰だって知っている有名人なのである。
どこかの店では絵姿まで売られているとのことだし、顔も知られているのだろう。無駄にご婦人には人気があるという話は聞いたこともあるし。
「へぇ。俺の噂、ねぇ……」
「か、かの三国連合を相手に、エスティ王国の守戦に優れたカルパック将軍の軍を相手に、何度も奇襲を重ねることで翻弄して国境を突破し、そのまま王都まで攻め込んだというお話は聞いております! あらゆる戦場に突如として現れる黒い烏を、周辺諸国は恐れているとさえ噂に高いです!」
「……ふーん」
つい先日、終わったばかりの大戦。
ガングレイヴ帝国の北に位置するエスティ王国、ムーラダール王国、ダリア公国の三つの国が連合した、三国連合。小国が三つ集まっただけの弱小の連合体だと思われていたが、先日まで続いた戦争において、ガングレイヴの脅威となったのだ。
三国まとめてもガングレイヴ帝国に及ばない国力でありながら、それぞれの国が連携をして対処することによって、国境をなかなか突破することができなかったのである。特に、その当時にガングレイヴ帝国が南北の二正面作戦を行っていたこともあり、兵力が不足していたという現実もあるけれど。
そんな中で、同盟国であるガルランド王国から援軍としてやってきた歴戦の猛将、『紅獅子』ゴトフリート・レオンハルトと共に三国連合の一角、エスティ王国の国境を突破したのがリクハルド率いる黒烏騎士団だったのだ。
一年弱は続いた戦において、リクハルドが初めて突破口を開き、エスティ王国を落としたのである。その後は国力の一角を失った三国連合は瓦解し、ムーラダール王国もダリア公国も、ほぼ臣従のような形で和睦を締結したのだ。
そのあたりの情報に詳しいご令嬢というのも、何となく違和感がある。
「まぁ、いいや。つまり、こいつは怪しい奴じゃねぇってことだな」
「だから何度もそう言っているだろうが」
「ならいい。クラリッサとか言ったな」
「は、はいっ!」
ぎろり、とクラリッサを睨みつける。
宮中侯を継ぐつもりはない。だが、レイルノートという家名を背負っているのは、長兄であるリクハルドだ。長女ヘレナはガングレイヴの姓を名乗っているし、次女アルベラはアロー伯爵家、三女リリスはガルランド王家の姓を名乗っている。レイルノートの家は継がずとも、家名だけは残しておかねばならないという義務感くらいは持っているのだ。
だからこそ、その家名を汚すことは、許さない。
「親父が何をどう言ったかは知らねぇが、レイルノートの名を汚すようなことだけはするな」
「は、はいっ! 誓います!」
「よし」
まぁ、素直そうだ。
人となりは割と顔に出るものである。大抵の人間が第一印象で「あ、こいつ気が合わない」と思うのは、その性格が顔に出ているからだ。
クラリッサは純朴そうな顔をしているし、その性格も恐らく悪くはないのだろう。顔だけでそれを判断するのは性急かもしれないが、リクハルドは割と戦場に出て長い自分の勘を信じている。勘のおかげで命を永らえることのできた戦争だってあったのだ。
いざというとき、頼れるのは己の勘だけなのである。
だが。
そんなリクハルドの、どことなくほっこりとした空気が。
アントンの一言で、崩壊した。
「まぁ、お前にとっては四人目の妹ということだな」
「…………あ"?」
長女ヘレナ、次女アルベラ、三女リリス。
その三人は、リクハルドの愛してやまない血を分けた妹である。
唯一の男子にして長兄である自分を、兄上、兄様、兄さん、と慕ってくれる可愛い可愛い妹だ。
妹のためならば命を捨てる覚悟もあるし、妹のためならば世界中を敵に回す覚悟もある。妹のためならばどれほど金を使ったところで惜しくないし、妹のためならば人殺しさえ厭わない。
そんな、リクハルドの愛してやまない妹。
そこに、訳のわからない異分子が入ってくる――。
「む? 事実を言っただけだが……」
「おい、親父」
リクハルドにとって、愛する妹は三人だけだ。
養子であり、義理の妹という立場になることは分かる。だが、たかがそれだけだ。生まれてから今まで成長を見てきたわけでもないし、幼い頃から慕ってきてくれたわけでもない。一緒にお風呂に入ったわけでもないし、夜中に怖いからと花摘みに付き合ったわけでもないし、日頃の感謝にと手書きの似顔絵を貰ったわけでもない。
そんな愛する可愛い可愛い妹。
それを、ただ名乗るだけで、どれほど罪深いものか――!
「ふざけんじゃねぇ! 俺の妹は、血を分けた三人だけだ!」
「は……?」
「いきなり現れて妹だって言われたところで、受け入れられるわけがねぇだろうが!」
「いや、普通受け入れると思うが……」
「妹! その言葉に詰め込まれた愛が! どれほどのものか親父にわかるのか!」
「……分からんが」
「妹……それは己の半身にして愛の証。そこに存在するのは可愛く可愛く育ってくれたことに対する感謝、そして兄妹という揺るぎない絆がそこにありながらも、しかして限界以上に近付くことのできない背徳……! それを! 今日初めて会った相手に名乗られてたまるか! そうだろうがぁーっ!」
「お前は何を言っているんだ」
リクハルドの魂の叫びに、そう疑問符を浮かばせるアントン。
妹が好きだということは以前から知っていたが、ここまで来るともはや病気である。
「だからっ……!」
「あ、あのっ! も、申し訳ありません! お
「……」
クラリッサが、そう口を挟む。
それと共に、リクハルドは口を閉ざし。
そして、ゆっくりとクラリッサを見た。
「……もう一度」
「へ?」
「もう一度だ。もう一度言え」
「も、申し訳ありません……?」
「違う、その次」
「……お義兄様?」
「うん」
お義兄様。
割と悪くない響きである。どことなく、たどたどしいのがより素晴らしい。
うむ。
「妹よ!」
「あ、ありがとうございます! お義兄様!」
まぁ。
血が繋がってるかどうかなんて、どうでもいいか。
筋金入りの妹好きは、そうやって新たに己の妹を一人増やした。
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