第1話 謎のフルプレート

 意味が分からない。

 何故レイルノート侯爵家の中庭に、全身鎧フルプレートを着用した謎の人物が立っているのだろう。

 リクハルドは警戒しながら、その腰元に差してある剣に手を掛ける。軍人として常に帯剣はしているが、武器としては心許ないというのが本音だ。

 本来、リクハルドはあまり前線に出る者ではない。その武技は、主に弓の技の冴えにあるのだから。


「ちっ……」


 だが、愛用の弓は軍の駐屯所に置いてある。まさか帝都の中で弓を使うような案件などあるまい、と置いてきたのだ。

 それに加えて、さすがに実家の中庭にいる怪しい人物を見逃すことはできないけれど、釈明も聞かずに矢を放つわけにもいかない。まずは、向こうの主張を聞くべきだろう。そうでなければ、リクハルドが逆に罪に問われてしまうかもしれないのだ。

 茂みに隠れて、様子を窺う。

 一体、あの全身鎧フルプレートは何をしているのか――。


 まず、屈伸をしていた。しっかりと膝に手をつき、伸ばす。そして屈んで、もう一度立ち上がり、膝を伸ばす。

 次に、伸脚をしていた。足を伸ばして腰を落とし、しっかりと右足を伸ばす。次に逆側の足を伸ばして、そちらもきっちりと伸ばす。

 どう見ても、ただの柔軟体操である。何故それを全身鎧フルプレートを装着したままでやっているのだろう。


「……」


 謎だ。

 意味が分からない行動も然りだが、全身鎧フルプレートはその名の通り、全身を包む鎧である。そして金属でできているそれは、限りなく重いのだ。並の人間では、全身鎧フルプレートのままで腰を落として、そのまま上げるなどということはできないだろう。

 自身の中で、警戒を上げる。

 もしも全身鎧フルプレートのままで十全に動けるだけの体力、膂力を持っているのであれば、それだけで強敵と化すのだ。さすがに速度は落ちるだろうけれど、代わりに全身を鎧に包んでいる絶対的な防御力を持っているのだから。


「……」


 全身鎧フルプレートは柔軟体操が終わったのか、今度は正拳突きを始めた。

 形にぶれのない、正確な突きだ。その勢いは鋭く、そして素早い。全身鎧フルプレートの状態でこれならば、脱げばどれほど素早いのだ――そう思えるほどに、強靭な強さを持っている。加えて、重いはずの体だというのに芯が一切ぶれていない。

 並の敵ではない――そう、警戒をさらに上昇させる。

 正拳突きが百を越えた時点で、一旦終了をする様子だ。ぐるぐると腕を回し、それからくるりと踵を返す。

 その向かう先は――屋敷の中。

 思わず、リクハルドはそこから飛び出した。


「貴様っ!」


「は、はいっ!?」


 剣を抜き、その切っ先を全身鎧フルプレートへ向ける。

 全身鎧フルプレートはどうやら驚いているらしく、そんなくぐもった声を上げながら振り返った。当然ながら、全身鎧フルプレートかつ全面兜フルフェイスであるため、その表情は何も分からない。

 どうやら、武器は持っていないようだ。突然のリクハルドの登場に驚いたのか、一歩、二歩、と退くのが分かる。


「貴様、何者だっ!」


「は、はいっ! わ、私は、あ、怪しい者では……!」


「己を怪しい者だと名乗る輩がどこにいる! ここをレイルノート侯爵家と知ってのことか!」


「は、はい! 知っています!」


「なるほど、金品狙いの賊ということか!」


 レイルノート侯爵家は、それなりに代を重ねている貴族家だ。他の貴族家のように領地を持っているわけではないが、宮中侯という仕事を行っているゆえに給金はそれなりに高い。少なくとも、庶民が一生涯遊んで暮らせる程度には溜め込んでいるだろう。

 そんなレイルノート侯爵家の資産を狙って侵入してきたということだろう。

 もうすぐ戻るだろうけれど、今は父アントンも仕事に行っているだろうし、屋敷の中にいるのは数少ない使用人だけだ。そして、実戦経験のない使用人たちだけでは、この全身鎧フルプレートを止めることなどできるまい。

 リクハルドがここに戻ってきていなければ――屋敷の中で、凶刃が振るわれることになっていたかもしれない。


「騎士団に連行する! 覚悟せよ!」


「あ、あの、わた、私は決して!」


「問答無用っ!」


 リクハルドは地を蹴り、剣を振り上げる。

 剣術に関しては門外漢であるし、剣での戦いならば長女ヘレナ、次女アルベラの二人には勝てない。それがリクハルドの自己評価だ。

 もっとも、それはリクハルドの愛してやまない三人の妹たちが、それぞれ将軍すらも一蹴するほどの武力を持ち得るからなのだが。

 だが、決して弱いというわけではない。少なくとも、剣術で己の率いる騎士団――黒烏騎士団に所属している誰にも、負けはしないだろう。専門でなくとも、類まれなる武の素養を持つリクハルドにしてみれば、専門外の武器を用いたところでその力は変わらないのだ。

 恐らく『赤虎将』ヴィクトル・クリークや『青熊将』バルトロメイ・ベルガルザードといった武人を相手にしては、専門である弓を用いなければ勝てないだろうが、それが雑兵ならば一個師団いたところで相手になどなるまい。

 そんな、リクハルドの武。

 その一撃が――。


「――っ!」


「なっ!」


 ひゅんっ、と空を斬る。

 全身鎧フルプレートはまるで剣の軌道が全て分かっているかのように、紙一重でリクハルドの剣先を回避した。直撃をしたところで、全身鎧フルプレートが阻む――そんな慢心が、一切なく。

 ただ二歩だけ後ろに下がっただけの回避は、最小限の動きであるがゆえに、攻撃にも転じることができる。そして、全力で剣を振り抜いたリクハルドに、迫り攻撃を仕掛けてくる全身鎧フルプレートを防ぐ手立てはない。

 思わず、目を見開く。

 どうにかして、まずは距離を取らねば――。


「あ、あのっ!」


 だが。

 恐らくやってくるだろう、と思われた攻撃は、来ない。

 代わりに、全身鎧フルプレートが何やら叫んでいるような声が聞こえる。鎧越しのくぐもった声のせいで、その内容はいまいち掴めないけれど。

 リクハルドはまず体勢を整えて、それから剣の切っ先を再び全身鎧フルプレートへと向けて。


「貴様……」


「き、聞いてくださいっ!」


 強い。

 間違いなく、強い。

 黒烏騎士団の者で、先程のリクハルドの一撃を避けられる者は一人もいないだろう。老練の将兵が揃っている黒烏騎士団でさえ、それだ。間違いなく、将軍に及ぶ手練。

 何故それほどの武を持つ者が、このようなところに――。

 リクハルドは油断することなく、全身鎧(フルプレート)を睨みつけ。


 そこで。


「何をやっているのだ! リクハルド!」


 そう、見知った声が後ろから聞こえた。

 振り返らず全身鎧フルプレートを視界に入れたままで、それが父アントンだと確認をする。恐らく出仕から戻ってきたのだろう。

 しかし、何故屋敷に入ろうとした賊を討伐しようとしたリクハルドを止めるのか。


「親父、こいつは……」


「ああ、もう! 兜を脱げ! こやつは怪しい者ではない!」


「あん……?」


「も、申し訳ありませんっ!」


 全身鎧フルプレートが、がちゃり、がちゃり、と金具を外し、その全面兜フルフェイスを取る。

 それと共に現れたのは、陽光に生える薄茶色の髪。

 そして――その髪の下にある、可憐な顔立ちだった。


「は……?」


 全身鎧、外してみれば、女の子。

 意味が分からない現状に、リクハルドはそう間抜けに口を開くことしかできなかった。

 そんなリクハルドの後ろで、呆れたようにアントンが大きく溜息を吐いて。


「自己紹介をしなさい」


「は、はいっ! は、はは、初めまして! わ、私は、クラリッサ・アー……じゃ、じゃなくて、え、えっと、く、クラリッサ・レイルノートと申します!」


 そんな少女が名乗ったそれは、間違いなくレイルノートの家名。

 アントン、リクハルド以外に誰もいない、レイルノートの姓。

 何故、それをこの少女が――。


「よ、よ、よろしくお願いしますっ!」


「……………………え?」


 あまりにも理解できない現状に。

 リクハルドにできたのは、理解を放棄することだけだった。

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