恋とシスコンとフルプレート
筧千里
プロローグ
リクハルド・レイルノートという男について説明しよう。
まず彼は、大陸でも彼に並ぶ者はいないとさえ称される弓の達人である。その矢は千里先からも敵を射抜くとさえ恐れられ、一矢必殺という異名すら持ち得る存在だ。
そしてガングレイヴ帝国という巨大国家における武の頂点――八大将軍と呼ばれる存在の一人であり、『黒烏将』として黒烏騎士団を率いる将軍なのだ。ガングレイヴ八大騎士団の中でも老練な精兵を多く抱える黒烏騎士団は、最強に程近い存在だとさえ言えるだろう。
それでいて、その出自はレイルノート侯爵家という古くから帝国に仕える名高い貴族家の嫡男である。しかも鮮やかな漆黒の髪の下にある顔立ちも割と整っており、特に鍛え上げながらも細さを維持したその体つきは、世の婦人を虜にするほどのものだ。
そんなリクハルド・レイルノート、三十二歳独身。
彼は、妹を愛してやまないと公言して憚らない男である。
「戻ったか、リクハルド」
「おう、親父」
ガングレイヴ帝都にある、レイルノート侯爵家の屋敷。
本来侯爵位にある貴族は相応の領地を与えられ、領地の発展に勤しむのが当然だ。ゆえに、帝都に別宅は持っていたとしても、その本宅は領地にあるということが多い。
だが、レイルノート侯爵家は帝都に本宅を持つのみで領地を持たない特殊な貴族なのだ。
それは――宮中侯という宮廷を纏め上げる存在であるがゆえに。
「また頭薄くなったんじゃねぇの?」
「うるさい! 誰のせいだと思っておるのだ!」
「そんなに怒鳴ると血圧上がるぞ」
「お前は……」
はぁ、とこれ見よがしに溜息を吐くリクハルドの父――アントン・レイルノート宮中侯。
重ねて言うが、リクハルドは侯爵家の嫡男である。そして嫡男とは、その家を継ぐ長子のことを指すのだ。勿論家の事情によっては長子が即ち嫡男というわけではないけれど、余程のことがない限りは次子以下が家を継ぐことなどない。そして家を継ぐ必要のない貴族家の次男以下は、大抵の場合宮廷の要職につくなり軍に入隊するなりして家を出るというのが慣例である。
だが、リクハルドは軍人である。
貴族家の嫡男でありながら軍への入隊を希望し、そして軍で出世を重ねて将軍まで至ったのだ。そのため、レイルノート侯爵家を継ぐための勉強など全くすることなく、そして宮中侯という無駄に胃痛の多そうな役職を継ぐつもりも全くないのである。
レイルノート侯爵家、唯一の男児リクハルド。
そんな彼が継がないということは、即ち代々宮中侯という地位を受け継いできたレイルノート侯爵家が、アントンの代で潰えるということ――。
「まぁいい……そろそろ家を継ぐつもりになったか、リクハルド」
「何回言や分かるんだよ、親父。俺は死ぬまで現役だっての」
「……我が家の嫡男はお前だ」
「俺が宮中侯なんざ継げるわけねーだろ。そろそろ諦めてくれ」
「……はぁ」
何度かこのように、アントンから軍を抜けるよう言われたことがある。だが、リクハルドはその全てを断ってきた。
リクハルドは生粋の軍人だ。十五のときに軍に入隊し、それからずっと最前線で戦い続けてきた。八大将軍の一人たる『黒烏将』に任じられたときには、これで家を継がなくてもいいと歓喜したほどなのだ。
そんなリクハルドが、今更軍を抜けて家を継ぐつもりなど全くないことなど、分かりきっていることなのだけれど。
これも全て、いつも通りのやり取りだ。そろそろ諦めてほしい、というのが本音である。
「……仕方がない」
「あん?」
「もう、お前も三十二歳だ。今から教えるには、年を取りすぎている」
「……まだ男盛りの自覚はあるけどな」
「今から教育を施したとして、まともに継ぐことができるようになるに、十年はかかるだろう。そうなれば、お前は四十二だ。それならば、別の者に教育を施した方がいいだろう」
「別の者って……他に誰がいるってんだよ」
リクハルドは、そう、眉を寄せる。
レイルノート侯爵家の子は、長子リクハルド以下、長女ヘレナ、次女アルベラ、三女リリスの四人である。
長女ヘレナは現在、当代皇帝ファルマス・ディール=ルクレツィア・ガングレイヴの正妃であり、皇后という地位だ。これが発表されたときには本気で帝国に反旗を翻そうとして、同僚の将軍に全力で止められた。
次女アルベラはアロー伯爵家という田舎貴族の嫡男に嫁入りをして、現在は蛮族の蔓延るその領地を夫と共に支えていると聞く。この結婚を伝えられたときにはアロー伯爵家を潰そうとして、ヘレナに殴られた。
三女リリスは隣国ガルランドの王子のもとへ嫁入りして、現在は王族の一員として何不自由ない暮らしをしている。この結婚式に招待されて全軍を率いて向かおうとして、副官に止められた。
と、そのように妹を溺愛するがゆえの行き過ぎた行動こそあるが、現在未婚の妹は誰もいない。
つまり、リクハルド以外にレイルノート侯爵家を継ぐことができる者などいないはずなのだが。
「養子を取る」
「ああ、なるほど。いいんじゃね?」
「反対すらせんのだな……」
「俺は継ぐ気が全くないからな」
実際に、男児に恵まれなかったゆえに養子に家を継がせるという貴族家も、決して珍しいものではない。
今までアントンは、できれば血の繋がった息子であるリクハルドに次代の宮中侯をと考えていたのだ。ゆえに何度となく呼び寄せ、軍から退くように何度も何度も要請してきたのだ。
全くそれを承諾しなかったリクハルドを、ようやく諦めたということなのだろう。僥倖である。
「ふぅ……まぁ、仕方あるまい。実を言うと、既に陛下から紹介を受けているのだ」
「養子のか?」
「ああ。今週中には我が家へ来てくれるはずだ。お前が承諾してくれるならば、断ることができたのだが……こうなってしまった以上、やむを得まい」
「そうかそうか。そりゃ良かった」
ふぁ、と欠伸を噛み殺しながら、そう言っておく。
養子を取り、後継者として育成するのであれば、口うるさく軍をやめろとは言われまい。リクハルドにしてみれば、それ以上にありがたいことはないのだから。
あとは、精々週末にでもタダ飯を食べさせてもらえればそれでいいのだ。将軍ということで相応の給金は貰っているけれど、色々と使う案件があるせいで年中金欠なリクハルドである。
「ああ、そうだ。親父、またこいつを頼むわ」
「……またか」
「俺の愛が詰まった贈り物だぜ!」
「……」
はぁ、と心からの溜息を隠そうともしないアントン。
その理由――彼の目の前に積まれている、三つの木箱だ。中身は分からないが、その宛先は簡単に想像がつく。そして、それが何よりリクハルドを金欠にしている理由なのだから。
「こいつはヘレナにな。いい鍛練用のダンベルがあったんだ。この重さならあいつは喜んでくれるぞー」
「……」
「んで、こいつはアルベラな。良い轡が欲しいって前言ってたから、特注してやったぜ」
「……」
「最後にこれはリリスな。あいつに似合いの服を見つけたんだ。絶対喜んでくれるはずだ」
「……」
良く言えば、妹想いの男である。
毎月のように高価な贈り物を妹たちに届けており、九割が妹への愛で満ちた手紙を贈り、妹を愛していると公言して憚らないことを除けば、良い兄であるのだろう。
だが、残念なことに。
それは一般的に、変態の領域に存在するのである。
一週間後。
リクハルドは休みということで、再び屋敷でタダ飯にありつこうと、レイルノート侯爵家の屋敷を訪れていた。
ついでに、養子とやらを取るそうだし新しい弟にでも挨拶をしておこうと気紛れを起こしたのである。どんな者かは知らないが、これからもタダ飯をくれなければ困るので挨拶くらいはしておかねば。
と、そのように屋敷の門をくぐり、その庭に目をやって。
「……は?」
そんな庭の中央に何故か
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