第4話 派遣副官ステイシー

 帝都を囲む四つの門の前には、それぞれ門に続く道を守護するように騎士団が二つ駐屯している。

 ガングレイヴ帝国の誇る軍事力の要――八大騎士団は、その八つが一度に動くことなど滅多にない。他国よりの侵略があれば、そこから最も近い位置にある二つの騎士団に対して出動命令が出され、連携して敵軍に当たることが求められているのだ。

 そして、帝都の南門を守護する赤虎騎士団と青熊騎士団のように、一つの方角を守護する二騎士団にはそれなりの連携が求められる。それゆえに普段からも軍事訓練を共にしており、将軍同士の仲が良いというのも特徴であるのだ。

 黒烏騎士団が守護するのは、帝都の西門。

 そして併設されている駐屯所には、女性騎士団とも呼ばれている銀狼騎士団が駐屯している。


「それでは、こちらの書類をよろしくお願いします」


「あー……」


 目の前で山積みになり、そして処理をしきる前に更に山になるという謎の現象を起こす書類と格闘しながら、リクハルドは軽く頭を抱えた。

 将軍になって、最も増えたのは書類仕事だ。

 大抵の書類はその行き先が、最終的には責任者に行くことになるのだ。ちょっとした物品の経費購入だとか、二等兵から一等兵への昇格だとか、そういう細かな書類まで全てリクハルドの元に集まってくるのである。そして、その全てに目を通して騎士団における全てを把握しつつ、陳情に対する対処や査察、時に将軍訓練など極めて多忙なのが将軍という仕事なのだ。

 そのあたりを上手く部下に全て回している『銀狼将』ティファニーだとか、『青熊将』バルトロメイだとか、そういった面々もいる。だが逆に、『赤虎将』ヴィクトルといった、全てを自分で処理する将軍もいたりするのだ。そして、リクハルドのやり方は後者に程近い。

 もっともその理由は、リクハルドの率いる黒烏騎士団の特殊性ゆえなのだが。


 黒烏騎士団は、その名前に『烏』を冠する騎士団だ。そして、その役割の殆どは遊撃である。

 八騎士団の中でも最も老練な兵士ばかりで構成された黒烏騎士団は、持ち前の経験則と嗅覚により最適な戦場を見つけ出すのだ。どこかで盗賊が出没しているとあれば、現地で根城がある場所を探り、一気に殲滅する。敵国からの小競り合いが起こる時期を的確に見極め、事前に配備して自国の被害を徹底的に減らす――そういう、常に他の騎士団よりも先制するという特性から、遊撃が許されている唯一の騎士団なのだ。

 そして、もっと悲しい事実として。

 そんな自由すぎる騎士団であるがゆえに、副官は手勢を引き連れて国内の巡回に、補佐官は適当な部隊を率いて国境の警備に、幹部連中でさえ滅多に駐屯所にはいないという謎の状態なのである。

 リクハルドよりも経験が長く、将軍として適切な人物はいるというのに彼が『黒烏将』を任されている最大の理由は、黒烏騎士団の面々が異常なまでの戦闘狂であるためなのだ。


 最初こそ『黒烏将』に任命されて最高の気持ちだったけれど、その実は言うことを何も聞かないくせに腕だけはいい老練の騎士の手綱を引く役割だったと知って、どれほど絶望したことか。

 今でこそ慣れて、ある程度の手綱を引くことはできるようになったけれど。就任した当初は、何の命令も聞いてくれない奴ばかりだった。あの頃に、反抗してくる者を全員模擬戦で伸したことが功を奏したのだろうか。


「いつもご苦労様です、リクハルド将軍」


「なんでだろうな。嫌味にしか聞こえねぇ」


「何を言いますか、本音ですよ」


 ふふっ、とそう微笑むのは隣の騎士団――銀狼騎士団の副官、ステイシー・ボルトである。

 現在は三十過ぎであるが若々しく、そして長身のリクハルドと並んでも遜色がないほどに女性としては背が高い。何より人目を惹くのは、その身長と共に成長をしたのであろう豊満な胸部だろうか。

 残念なことに妹にしか興味のないリクハルドはちらりとも見ないけれど。

 そして、昔から男の目に晒されてきたステイシーにとって、リクハルドのそのように紳士的な態度は好意的に映るものだった。だからこそ、このように気安く接している部分もあるのだ。

 あまりにも自由人すぎる黒烏騎士団の幹部が常に不在であるがゆえに、執務の一部を手伝うという形で銀狼騎士団からわざわざ来てもらっているくらいに。


「ふぅ……まぁ、見えてきましたね。これなら定時には終われそうです」


「んだな。これ以上追加が来なけりゃ、なんとか終わる」


「今日はこれで終わりだって事務統括官が言っていましたよ」


「そいつは吉報だ」


 うし、と気合を入れて目の前の書類に取り掛かる。

 終わりが見えると、人間やる気が出るものだ。目の前の山さえ終わらせればどうにかなると思えば、それだけで気合が入る。

 そんなリクハルドに対して、ステイシーは微笑んで。


「それじゃリクハルド将軍、終わったらこれどうです?」


 くいっ、と杯を口に運ぶ仕草をするステイシー。

 割と以前から黒烏騎士団に週四で派遣されているステイシーは、このようにちょっとした飲みに誘ってくることがあるのだ。独身である彼女は一人暮らしであり、家に帰っても食べるものがないから誘っている、とは本人談であるけれど。

 そしてリクハルドも、そんな誘いに乗るのも吝かではないため、週一くらいでは一緒に飲みに行ったりしているのだが。二人で。

 そんな経緯もあり、騎士団の中ではリクハルドとステイシーが実は恋仲なのではないかという噂も流れていたりするけれど、そんな噂の後に「いや、あのシスコン将軍のことだぜ」と一言付ければ全員納得したりする。ないわー、と。


 まぁ、普段ならばそんな風にステイシーから誘われたら、大抵リクハルドは行くのだけれど。

 だが、リクハルドは僅かに唇を突き出す。


「あー……」


「何か予定でも?」


「いや……まぁ、今日は実家に顔を出そうと思ってな」


「おや、週末でもないのに珍しいですね」


 リクハルドが週末になると実家に泊まるというのは、騎士団の間でも割と有名な話である。

 その理由として、噂に名高いのは「将来的に宮中侯を継ぐ準備を現在からしているために、週末は勉強している」という根も葉もない話であるのだが、表立って否定もしていないのだ。

 さすがに、「金がないから週末だけは実家でタダ飯食らってる」とはいくら厚顔無恥でも言えまい。


「いや、まぁな……」


「妹さんでも帰ってきているのですか?」


「お?」


 ステイシーの言葉に、リクハルドは眉を上げる。

 そして、限りなく頬を緩ませ。

 端から見れば少々気持ち悪いほどに、嬉しそうな表情を浮かべ。


「お? お? 聞くか? 俺の可愛い可愛い可愛すぎる妹の話を聞くか!?」


「いりません」


「いや、だから」


「いりません」


「妹の」


「いりません」


 そして。

 リクハルドが妹の話をすると仕事が全く進まなくなり、そして長々と喋り続けるから断固として拒否をせよ、というのも騎士団における常識なのである。

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