第5話 義兄と義妹の関係
ステイシーの誘いを断り、仕事を終えたリクハルドは実家の屋敷へと至る道を歩いていた。
普段は週末にならなければ、帰ることのない実家である。今日から仕事の始まった週の頭だというのに、その足取りは当然のように実家へと向いている。その理由は当然ながら、リクハルドの愛して愛してやまない妹に会うためだ。
ふんふんふーん、と鼻歌が意図せず出る。
帝都の中央近くにある実家までは乗合馬車を使わねばならないのだが、そんな馬車に乗っている間もずっとにやにやが止まらず、周囲から不審の目で見られるのが分かる。だが、基本的に己の妹のこと以外は世界全てがどうでもいいリクハルドにとって、そんな視線など何一つ気にならないものだった。
そして馬車を降り、少し歩いた先にあるレイルノート侯爵家の屋敷。
そんな中庭に、当然のようにいるのは
「よぉ、クララ」
「はっ!? あ、り、リクハルド様! こんにちは!」
リクハルドが声をかけると共に、やや焦った様子で振り向くクラリッサ。
今日も可愛いな、
しかし、そんなクラリッサの言葉に、ちっちっちっ、とリクハルドは指を振る。
「違うぞ、クララ」
「へ!?」
「俺は、クララの何だ?」
「うっ……え、ええと……」
恥ずかしそうに、顔を俯けるクラリッサ。
実に可愛らしい反応だ。残念ながら
そして、そんな
「お、お義兄様……」
「うん、よろしい」
「ご、ごめんなさい。まだ、少し、慣れなくて……」
「いいさ。ゆっくりと兄妹になっていけばいい」
クラリッサの頭を撫でる。
当然ながら
「今日は鍛錬をしているのか?」
「は、はい。いつも、朝と夕方には一人で、鍛練をしています」
「そうか」
思えば不思議だったけれど、何故鍛練をしているのだろう。
リクハルドやその部下など、軍人であるならば分かる。常に己を鍛えて、そして有事の際には国を守ることができるように、戦働きをするためだ。
だが、クラリッサがこんな風に汗を流し、体を鍛える意味は特にない。
むしろ、将来的に宮中侯を目指すのであれば、いくら体を鍛えたところで意味などないだろうし。政治の世界についてはよく分からないリクハルドだが、宮廷は魔窟である。そこで役立つのは、腕力よりも体力よりも知略と謀略なのだ。
「何故、鍛練をしているんだ? クララは別に、体を鍛える必要などないだろうに」
「え、ええと……その、私は、後宮にいまして」
「ああ、そうだったな」
皇帝絶対殺す。
そう心の中で誓いながらも、しかし笑顔でクラリッサの次の言葉を促す。
本当に、心の中が妹一色であり変態的なまでに妹を愛していることを除けば、彼は良い兄なのだ。
「後宮で、お義兄様の妹御でもあります、ヘレナ様に師事をしておりました」
「ほう、ヘレナにか」
「はい。その際に、志を同じくしていた他の人たちもいたのですが……私は、他の人に比べて、素養が足りなかったみたいで」
「む……?」
「他の友人には、弓や徒手格闘、棒術や投擲など……色々な才能がありました。ですけど……私は、特に才能がなかったんです」
「ふむ……」
何も言えない。
持ち得る才能は、人それぞれだ。そして、武において素質とは、相応に必要となってくるものである。実際、今でこそ将軍であるリクハルドだけれど、新兵に対する教育を行ったことも何度もあるのだ。
こいつは弓兵向きだ、とか。
こいつは前衛向きだ、とか。
こいつは才能がない、とか。
訓練の際に個人の素養を判断し、その上で最適な部隊に配備することこそが、上官として求められる一つの役割である。ヘレナも、そのあたりの教育をしっかり行った上で、クラリッサに才能がないと判断したのだろう。
そして戦いの才や勇気がなければ、前線で戦うことはできない。それゆえに、リクハルドの場合は才能がないと判断した場合は、輜重隊に回していた。下手に足を引っ張る者が一人でもいれば、それだけで軍の足並みは揃わなくなるからだ。
だが。
「ですから……私は、
「……」
「私にどれほど才能がなくても、リク……鎧が、ちゃんと敵の攻撃を防いでくれます。これさえ着れば、私は他の、才能が溢れる友人とも戦うことができるんです」
「ふむ……」
なるほど、と小さく嘆息する。
才能がないからと戦場から遠ざかることなく、才能がない分を弛まぬ努力で反映したということか。
素晴らしい考えである。クラリッサが貴族令嬢だということを考えなければ。
だが、そこで少し引っかかる。
クラリッサは自分に才能がないと言った。だが、リクハルドにはそう思えないのだ。
それは――初日。
怪しい者がいる、と中庭で鍛練をしていたクラリッサに、リクハルドが襲いかかったあの日。
リクハルドは確かに、剣術に関しては二人の妹に負けるだろう。だが、それほど弱いわけではない。将軍として恥ずかしくない程度の腕は持っている。少なくとも、黒烏騎士団の幹部連中を相手にしても、剣同士の戦いでは負けるまいと思えるほどだ。
だが、クラリッサはそんなリクハルドの剣による一撃を、避けたのだ。
本当に、才能がない者にそのようなことが可能なのか――。
「クララ、今、時間はあるか?」
「へ?」
「折角だ。俺も少し体を動かしたいと思っていた。時間があるならば、手合わせでもどうだろうか?」
「え、ええっ! 良いのですか!?」
「勿論、ただの模擬戦だ。お互いに素手だな」
「は、はいっ! 少々お待ちください! ボナンザっ!」
む、と眉を上げる。
知らない名前をクラリッサが叫ぶと共に、中庭の端に腰掛けていた初老の婦人が小走りで駆け寄ってきた。侍女としての制服を着ているから、恐らくクラリッサに仕えているのだろう。
そんな婦人が、リクハルドの前で小さく頭を下げる。
「初めまして、リクハルド様」
「ふむ……?」
「クラリッサ様にお仕えしております、侍女のボナンザと申します」
「うむ、リクハルド・レイルノートだ。能く仕えてやってくれ」
「はい。それではクラリッサ様、失礼いたします」
ボナンザはそう言って、クラリッサの後ろに回る。
そして、がちゃり、がちゃり、と金具を外す音。それも当然だろう。
だからこそ、
クラリッサが首を金具を外し、そして汗をかいている可憐な顔立ちを晒す。恐らく、リクハルドがやって来るまで、かなりの鍛練をしていたのだろう。汗が眩しい。
そして、後ろの金具を全て外して、クラリッサの体からゆっくりと
動きやすさを重視したであろう、麻でできた白い服と、その下にある起伏の乏しい体が露になった。
「お待たせいたしました、お義兄様」
「……」
「……お義兄様?」
クラリッサはかなりの汗をかいている。
そして、真っ白の麻の服を着ている。
その帰結はどうなるか――そう、ただ一つ。
色々と、透けているのだ。
「え、ええと……あ、あの、お義兄様? どうなされたのですか?」
「……て」
「て?」
「て、て、手合わせはまた今度な! お兄ちゃんちょっと用事を思い出した!」
「え、ええっ!?」
だっ、とクラリッサに背を向けて、駈け出す。
いかんいかん、見てはいかん、とざわめく心を落ち着かせながら。
リクハルド・レイルノート三十二歳。
妹のことを心から愛し、妹以外の何も必要はない、むしろ世界とは妹であると公言し続け、他の女性との接触を絶ってきた人生。その結果。
彼は、何気に初心だった。
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