第6話 明かされる真実
ぜーはー。
鼓動が高鳴るのを感じながら、リクハルドはレイルノート家の屋敷へと入って近くの椅子に腰を下ろした。
クラリッサの前から逃げるように去ってしまった。心からそれを後悔するけれど、しかしリクハルドにも譲れない点があるのだ。
実に困った。
「ああ、もう……」
ちらつく、透けた白い服。それが脳裏を過るたびに、リクハルドはかぶりを振って何度も消し去った。
消え去れ煩悩。
Yes妹Noタッチ――それがリクハルドの信念だ。魅力的に可愛らしく成長してくれた三人の妹はいるけれど、決してそういう対象として見たことはない。小さい頃にはお風呂にも一緒に入っていたけれど、あくまで小さい頃だけだ。
愛してやまない妹ではあるけれど、その愛はあくまで親愛なのである。性的な欲求を覚えてはいけないのだ。
「やめやめ……次は
ひとまず鎧さえ装着していてくれれば、大事なところは全部隠れるはずだ。
そして、既にクラリッサのことを己の妹だと心から認めているリクハルドにとって、
ふぅ、と小さく嘆息して立ち上がる。とりあえず、クラリッサがちゃんと鎧を装着してから、改めて手合わせを――。
「む? おお、リクハルド。来ていたのか」
「ああ……なんだ、親父か」
「なんだとはなんだ」
ここはレイルノート侯爵家であるため、当主であるアントンはいて当然だ。
だが、クラリッサに会うためだけに来たのでアントンのことなど最初から頭になかった。
そんなリクハルドの反応に、少しだけ眉根を寄せながらアントンは続ける。
「しかし丁度良かったな。お前にも伝えておかねばならんと思っていた」
「あん?」
「週末、アルベラが来るらしいのだ」
「なんだと!?」
「何故首を絞める!?」
アントンの言葉に、思わずその襟を掴んで持ち上げてしまう。
十分に長身であるアントンなのだが、基本的にデスクワークばかりで全く鍛えていないために、リクハルドの力に全く抵抗できず持ち上がった。
だが、そんなことはどうでもいい。
問題は、アントンが言葉に出した名前である。
レイルノート侯爵家の次女アルベラ。
現在は東の国境あたりに領地を持つ、アロー伯爵家の嫡男ドレル・アローの妻である。
そして何より、リクハルドが愛してやまない妹の一人なのだ。
「うぐっ……い、いや、さ、先程、文が、届き……く、首から、手を……!」
「こうしちゃいられん! アルベラが喜びそうなものは何だ!?」
「て、手を……!」
「轡はこの間送ったし、あとは……! くそっ、何がある! 何を渡せばアルベラの笑顔が見られる!?」
「離せと言っておろうが!」
アントンの首から手を離し、腕を組んで考える。
けほけほっ、と実の息子から与えられた意味のない暴力に辟易しながら、アントンは噎せていた。
だが、そんなアントンのことなど一切気にすることなくただリクハルドは考える。
「わざわざ俺に会いに来てくれるんだ……ちゃんとしたものを!」
「いや、お前に会いに来るわけではないが……」
「兄想いの妹を持って俺は幸せだぞ! アルベラ!」
「儂に孫のアメリアを見せてくれるという名目だったが……」
「さぁ! どんな服で迎えようか!」
「お前の服になど興味はないと思うが……」
アントンの言葉は何一つ耳に入らず、わざわざ遠くから自分に会うためにやって来てくれるアルベラを想う。
そして、そんなリクハルドの暴走など慣れてしまっているアントンは、ただ溜息を吐くだけだ。改めて、宮中侯をリクハルドに継がせなくて良かったと実感しながら。
そんなアントンの様子も言葉も、妹の来訪という衝撃事実を聞いてしまったリクハルドの目耳には入らない。
「もういい……まぁ、儂が伝えるべきことは伝えた」
「はっ!? 休日出勤だけはならねぇようにしねぇと!」
「教えなければ、お前に殴られる未来しか見えんからな……」
アントンは心から溜息を吐く。
実際に、半年ほど前に末の妹であるリリスが来たとき、リクハルドには伝えなかったのだ。当時は戦後処理などで黒烏騎士団は忙しなく働いており、アントンとしては気を遣って伝えなかったのである。
その結果。
リリスが帰ってからその事実を知ったリクハルドに、思い切り殴られたのだ。
「ああ、それからクラリッサのことなのだが」
「ん? クララに何かあったのか?」
「お前は妹のことしか聞こえんのか」
先程まで完全に無視されていたのに、クラリッサの名前を出した瞬間に反応するリクハルド。
どうしてこんな風に育ってしまったのだろう、と考えてしまうけれど。
アントンは、敢えて何も言わない。
「あの娘は、実に良い。物覚えもいいし、真面目で努力家だ。このままの調子ならば、もう十年も頑張れば宮中侯を継がせることができるだろう」
「十年もかかんのか」
「短い方だ。儂は父に指導を受け、宮中侯を継ぐのに二十二年かかった」
「うげぇ」
リクハルドは、そう表情を歪める。
元より監査という仕事の多い宮中侯は、覚えることが途轍もなく多いのだ。法律は隅から隅まで暗唱できるほどに覚えなければならないし、各部署にある規則規範や書類の種類、また人員についても完全に把握しておかねばならない。それを少しずつ少しずつ、執務をして宮廷の仕事に慣れながら覚えていかねばならないのだ。並の努力ではない。
だが、アントンはクラリッサならばできると、そう感じていた。
それほど頭が良いというわけではないが、とにかく努力家なのだ。できないことはできるまで頑張ることができる、というのも稀有な才能であるとアントンは考えている。
「だが、少しお前に聞いておきたいことがあってな」
「クララのことは心から愛しているぞ」
「そんなことは聞いていない。お前……夜な夜なクラリッサの部屋で何をしている」
「は?」
アントンのそんな言葉に、リクハルドは意味が分からずに眉を寄せる。
だが、アントンの表情は真剣だ。全く心当たりはない。むしろ、リクハルドはクラリッサの部屋になど入ったことなどないのだから。
溜息を吐きながら、アントンはリクハルドの肩を叩く。
「お前が、クラリッサのことを妹だと認めてくれたことは嬉しく思う。だが、あの娘は今が頑張らなければならない時なのだ。心配だということは分かるが、夜は勉強をさせてやってくれ」
「……いや、意味が分かんねぇんだが」
「使用人から聞いている。いつも夜になると、リクハルドが部屋にいるとな」
「いねぇよ!?」
いるわけがない。
そもそもリクハルドはクラリッサのことを愛しているが、夜な夜な部屋に邪魔をするほど気の利かない人間ではない。部屋というのは自身の最も落ち着く場所であり、他者の侵害を受けたくない場所なのだ。
ゆえに、クラリッサと話すのは中庭と食堂くらいのものだ。次の給金で新しい
だが、そんなリクハルドの言葉にアントンもまた眉を寄せる。
「……いないのか?」
「部屋になんて入ったことねぇよ」
「いや、だが使用人は間違いなく、お前に話しかけているクラリッサの声を聞いたと言っていたのだが……」
「俺に……?」
意味が分からない言葉に、混乱してしまう。
何故部屋にいながら、そこにいないリクハルドに話しかけているのか。
そこで、妹の言葉ならば一言一句違うことなく記憶する能力を持つリクハルドが、閃く。
それは――つい先程、クラリッサが言っていたこと。
――私にどれほど才能がなくても、リク……鎧が、ちゃんと敵の攻撃を防いでくれます。
確かに、リク、と言った。言いかけて止めた。
鎧のことを。
「……」
「……?」
もしかすると。
クラリッサは、今装着している
そして、部屋では脱いでいる
つまり、リクハルドは名前だけではあるが――クラリッサを包んでいるようなもの。
「おい、リクハルド……?」
「最高じゃねぇか!」
「は……?」
そんな、端から見れば痛々しい行動にも思われるそれに対して。
重度のシスコンであるリクハルドに、嬉しい以外の感想は何一つ思い浮かばなかった。
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