第7話 親子

 夕食の席を、リクハルドはアントン、クラリッサと共に囲む。

 普段は週末にしか来ないリクハルドの存在に、屋敷の料理人は奇妙な表情を浮かべていたけれど。いつもならば週末にだけ一人分多く作るところを、このような平日に作る羽目になるとは思わなかったらしい。

 そして、いつも通りに全身鎧フルプレート全面兜フルフェイスだけ外して、幸せそうに夕食を口に運んでいるクラリッサに、鼻の下を伸ばす。


「リクハルド、今日は泊まってゆくのか?」


「うるせぇ、邪魔すんな親父」


「儂のどこに責められる要素があった」


 せっかく、幸せそうなクラリッサを愛でていたのに。

 可愛い可愛いクラリッサを見た後で、アントンの薄くなった頭を見ると自分の将来が心配になって堪らない。とりあえず今のところは抜け落ちる気配はないけれど、アントンの頭が薄くなってきたのはここ数年のことだ。

 祖父であるロウファル・レイルノートも、亡くなったそのときにはつるつるだった。自分も将来的には髪に悩むことになるのだろうか――そう、呪われた血を恨む。


「今日はメシ食ったら帰るわ。明日も仕事だからな」


「お帰りになられるのですか?」


「クララがいてくれと言うのなら、泊まっていくぜ!」


「い、いえ、そんな!」


 リクハルドの言葉を、クラリッサが慌てながら否定する。

 思わぬ返しだったのか、言葉に悩んでいるようだ。

 本当に可愛らしく、そしていぢめたくなる。いじめではなく、いぢめである。

 ふっ、と表情に影を差して。


「……そうか、クララはお兄ちゃんにいてほしくないのか」


「そ、そういうわけではありません!」


「遠回しに帰れって言ってるんだな」


「そんなこと! わ、私は、リクハルド様とお話ができるのなら嬉しいです!」


「おっと、クララ違うぞ」


 ちっちっち、と指を振る。

 それだけの素振りで、クラリッサにはリクハルドの意図が掴めたらしい。

 少しだけ顔を伏せて、かーっ、と頬を赤く染めながら。


「え、ええと……」


「うん」


「お、お義兄様……」


 何この可愛い生き物。

 世界で一番可愛いのは妹だと信じてやまないリクハルドにとって、恥ずかしそうに照れるクラリッサもまた良いものである。勿論、普段の元気な姿もいいし、鍛錬に励む真面目な姿もいい。というか、全部いい。

 そんなリクハルドを見ながら、アントンは大きく溜息を吐いていたけれど。


「何をやっているのだ……」


「あ、あの、申し訳ありません、アントン様。リク……え、えっと、お義兄様からは、そう呼ぶようにと……」


「まぁ、お前たちがそれで良いのならば、いいのだが……」


 言いながら、アントンがリクハルドを見る。

 当然ながら、クラリッサ以外は視界に入っていないリクハルドは、そんなアントンの視線など完全に無視である。


「クラリッサよ」


「は、はい! アントン様!」


「儂のことも、お義父様と呼んで構わんぞ」


「そ、そんな!」


「おい、親父!」


 リクハルドが、唐突にそんなことを言い出したアントンを睨みつける。

 しかし、アントンにしてみればリクハルドを兄と呼んでいて、自分のことを父と呼ばせないのはおかしいと考えてのことだ。

 実際、アントンには娘が三人いるわけであり、クラリッサのことは四人目の娘だと思っているのだから。

 しかし、クラリッサは顔を伏せる。


「あ、あの、私……」


「儂のことを、父だとは思えぬか?」


「そ、そんなことはありません! ただ……畏れ多くて」


「生まれた家にも、血の繋がる父がいよう。だが、クラリッサは今、レイルノート侯爵家の一員だ。将来的には、儂の娘として宮中侯を継いでもらわねばならぬ。勿論、公私の区別はつける必要があろうが……このように、屋敷にいる間だけでも、儂のことを父と思って欲しい」


「あ……ありがとう、ございます……」


 アントンの言葉に、クラリッサがそう頭を下げる。

 そんな優しいアントンの微笑みに、どうやらクラリッサの心も解けてくれたようだ。

 今まで、ずっと「アントン様」と呼ばれていたアントンとしても、少しでも家で落ち着けるようになってほしかったから。


「……」


 だが、そんなアントンの言葉が面白くないのはリクハルドである。

 妹に慕われるのは、兄としての務めだ。つまりクラリッサに慕われるのは、リクハルドの務めなのである。

 そこに、何だか横槍を入れられたみたいで、物凄く気分が悪い。


「え、ええと、では……」


「別に聞く必要はないぞ、クララ。こんな奴、ハゲ親父で十分だ」


「えぇっ!?」


「リクハルドっ!?」


 ふんっ、と鼻息荒く、リクハルドはアントンを睨みつける。

 そして、自分の頭が薄くなっていることを十分に自覚しているアントンは、かーっ、と顔を真っ赤にして立ち上がった。

 夕食の席でありながらにして、アントンとリクハルドは視線に火花を散らす。


「リクハルド、貴様……!」


「ふん。事実を言っただけだろうが」


「貴様らが儂に心労を与えなければ、このようなことにはならなかったのだ!」


「そうでなくても未来は一緒だろ。宮中侯なんて心労ばっかじゃねーか」


「レイラの血が何故これほど濃いのだ! 儂の血は子の誰に受け継がれたのだ!」


「いや、そりゃお袋、天下無双だし。血だって濃いに決まってんだろ」


「この妹狂いが! 少しは妹のこと以外を考えろ! 貴族家の長子たる自覚を持て!」


「やなこった。俺ぁ将軍なんだよ」


「お、おやめください!」


 ばちばちと。

 そう火花を散らしながら睨み合うリクハルドとアントンの間で。

 クラリッサが、慌てながら制止した。


「あ、あの! 喧嘩は良くないと思います!」


「だがクラリッサ……!」


「止めんな、クララ」


「おやめください! お義兄様! お義父様!」


「……」


 そんな、クラリッサの必死の制止に。

 アントンが、ゆっくりと腰を下ろした。怒りはまだ湛えているけれど、しかし我慢だとばかりに。

 ふぅ、と小さく息を吐き。


「リクハルド」


「あん?」


「……悪くない。お前の気持ちが少し分かった」


「やっぱ俺、あんたの息子だわ」


「???」


 クラリッサが、よく分からないと首を傾げながら。

 しかし、謎の親子の共通点が見つかってしまい、リクハルドは頭を抱えた。


 どうやら、リクハルドのこの性質は、アントンの血らしい。

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