第8話 デートの約束
「リクハルド、お前、明日は暇か?」
「明日は可愛い可愛いアルベラを迎えるんだが」
週末。
割と仕事が忙しい日が続き、レイルノート家にタダ飯を食らいに来ることができなかったリクハルドが、ようやく訪れることのできた日の夕食で、アントンが唐突にそう言ってきた。
当然ながら、そんな夕食の席はクラリッサも一緒である。今日もいつものことながら可愛らしい。
「どうせ来るのは夕刻だ。昼間は暇だろう」
「あー……まぁ、そうだな」
明日は休みであり、特に予定があるわけではない。むしろ、アルベラが来る予定だからこそ一日空けていたのだ。
夕刻に来るとなれば、日中が暇すぎる。
「クラリッサ」
「ふがっ! あ、ふぁ、ふぁい?」
唐突にそう、質問の矛先をクラリッサへと変えるアントン。
そんなクラリッサも戸惑っているようで、口元をもごもごと動かしながら、食べ物を必死に咀嚼している。割と大量に一口で入れたみたいで、頬に袋があるみたいに膨らんでいた。実に可愛い。
「明日の件なのだがな……少し、所用ができてしまった」
「もごもご……んっ。ええと、はい」
「代理でリクハルドにと思っているのだが……構わんか?」
「あ、はい。わ、私は大丈夫です」
「うむ、ならば良い」
何を言っているのかさっぱり分からない。
明日は休みだというのに、何か勉強をする約束でもあったのだろうか。
と、そう考えていると。
「実は明日、儂はクラリッサと共に日中、街に行く……」
「あぁ!? 何考えてんだ!? てめぇがクララとデートだと!?」
「何故首を絞める!?」
「お義兄様!?」
「この兄である俺を差し置いててめぇがクララとデートするとか百回死なす!」
「ま、待て! 落ち着け! ただの街の案内だ!」
「二百回殺す!」
「何故増える!?」
理不尽にアントンの首を絞めながら、リクハルドは憤慨する。
リクハルドでさえ、クラリッサとお出かけなどしたことはないのだ。だというのに、何故それを実の父に先を越されなければならないのか。
親子という関係であれど、そこに血の繋がりはない。それを盾に妙なことに及ぼうとするアントンを想像して、リクハルドの中では何度殺すかのカウンターが物凄い勢いで増えていっていた。
だが、アントンは首を振る。
「ち、違う……! 一緒に、行く、つもりだった、のだ……!」
「あぁん!? つまりデートをするんだろうが!?」
「わ、儂に、予定が……できて……!」
「……行かねぇのか?」
首から力を抜く。
それと共にリクハルドの手を解き、げほげほと咳き込みながらアントンが恨みがましい目でリクハルドを睨みつけた。
当然ながら、妹のこと以外は何もかもどうでもいいリクハルドに、そんな視線を送ったところで何の痛痒もない。
「ああ、もう……明日、クラリッサに市井の案内をするように考えていたのだ」
「なんでだよ」
「そもそも、クラリッサはアーネマン伯爵家の息女であり、箱入り娘だったそうだ。加えて、後宮に入っていたことで外になどほとんど出たことがないらしい。そんなクラリッサだが、今度友人と会うらしくてな……一人で街に出るのが怖いから、一度何があるのかどこへ入ってはいけないのかを案内してほしいと言われたのだ」
「あ、あの……も、申し訳ありません。私の、わがままで……」
「下手に道に迷い、スラム街などに入り込んではいけないからな……勿論、ボナンザを供にするようには言ってあるが、一度は街に出てみた方が良いだろうと考えてのことだ。だが、残念ながら儂に明日、用事が入った」
「あー……?」
アントンの言葉に、そう首を傾げる。
よく分からないけれど、とりあえずアントンとクラリッサがデートをするわけではないらしい。それだけで安心である。
「そこでお前、明日の日中はクラリッサと出かけてはどうだ?」
「――っ!」
「まぁ、ちょっとした案内だとかで構わん。クラリッサは真面目にやっているからな。息抜きも兼ねてのことだ。まぁ、どこに行くかなどはお前に任せるが……」
「最高じゃねぇか!」
「だから何故首を絞める!」
興奮のあまりにアントンの襟元を掴み、力を入れる。
それだけで虚弱なアントンは逆らうことができず、ただリクハルドの暴力に身を任せるが他にない。
妹が絡むと、大抵このように首を絞められるのがいつものことである。
「げほ、げほ……」
「あ、あの、お義兄様……」
「よぉし、そういうことならいいぜ。だったら、俺がクララに息抜きをさせてやろうじゃねぇか」
「……最初から、素直にそう言ってくれ」
ぐっ、と親指を立ててアントンに笑顔を向ける。
そんなアントンは、首元を押さえながら恨みがましい目でリクハルドを見ていたけれど。
「クララ、どこか行きたいところはあるか?」
「え!? あ、え、えと……!」
「ああ、そうか。あんまり街を知らないんだったな……じゃあ、任せてもらってもいいか?」
「は、はい! お義兄様と一緒に行けるのでしたら!」
「よっしゃ!」
「あ、ありがとうございます」
可愛すぎるクラリッサの言葉に、つい鼻の下が伸びてしまうリクハルド。
ろくに街のことを知らないのであれば、エスコートするのがリクハルドの役割だろう。
どこに行くのか決めなければ――そう、リクハルドは考えながら。
気付いた。
やばい――金がない。
そもそもこうやって、レイルノート家で飯を食っているのも基本的に金がないからである。
給金が出るたびに三人の妹に高級な贈り物をして、自分の生活費を限りなく切り詰めているリクハルドは万年金欠だ。貯蓄などあるわけがなく、財布の中には今月生きてゆけるだけのぎりぎりしか入っていない。おかげで、ステイシーからの飲みの誘いも全部断っているのだから。
「あー、親父」
そう、アントンに声をかけようとして。
そっと、テーブルの下から小さな袋が、リクハルドに渡された。
それは――金貨袋。
「……」
「使え」
そして、リクハルドのことなど大体全部分かっているアントンも、それを理解しているのである。
しかしクラリッサに見栄を張り、金を貸せとは言えないリクハルドの自尊心すらも見抜いて、テーブルの下から見えないように渡してくれたのは、明日のための金。
リクハルドはそれを握りしめて。
「愛してるぜ、親父」
「よせ、気色悪い」
そんな会話を聞きながら、クラリッサは首を傾げていた。
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