第9話 兄妹デート

 翌日。

 リクハルドは早起きして、しかし悶々とした気持ちでもう一度眠ることはできなかった。

 昨夜は興奮しすぎて全く眠ることができず、少しばかり強い酒を飲んで無理やりに自分を眠らせたために、頭に若干の鈍痛が響いているのが分かる。加えて、全身にある倦怠感はどう考えても寝不足のそれだ。

 だというのに、体は絶好調である。心から絶好調である。


 それは――今日が、クラリッサとのデートだからだ。


「うおおおおおおおおお!」


「ひぃっ!?」


 そんなリクハルドの起き抜けの第一声に。

 扉の外にいた使用人が、驚きの声を上げた。











「お、お待たせしました、お義兄様!」


「いいや、全然待っていないとも」


 当然ながら、いくらリクハルドが早起きをしたとはいえ、そんなにも朝早くに出かけるはずがない。

 早起きした体は眠りを欲していたが、すぐにでもクラリッサのところに向かいたい気持ちをひたすらに抑え込んで、リクハルドは朝食をクラリッサと共にした。若干一名の邪魔者が「妙なところに連れていくなよ」とかなんとか言っていたが、華麗に無視である。

 普段の全身鎧フルプレートと違って、クラリッサはちゃんとおめかしをしていた。


 鮮やかな水色のワンピースの上に、白のカーディガンを纏っている。いつも汗が流れている顔には少しばかりの化粧が施され、ただでさえ可愛らしい顔立ちが尚更引き立っているのが分かった。

 皇帝の後宮にいたという事実が間違いないという、それだけの美少女である。勿論、リクハルドにしてみれば妹補正が異常なまでにかかっているために、もしかするとこの子世界で一番可愛いんじゃないかと考えていた。


「さ、それじゃ出かけようか」


「は、はい……よろしくお願いします」


 クラリッサと共に、屋敷を出る。

 ちなみにクラリッサの側仕えである侍女のボナンザは、今日は留守番である。普通に考えて、個人でも超強い将軍であるリクハルドに、そんなリクハルドと戦えるほど強いクラリッサなのだから、外出を一緒にすると何かあったときに足手まといになると考えてのことだ。

 何より、今回クラリッサのエスコートをするのはリクハルドである。

 重度の妹好きであるリクハルドにしてみれば、たとえ侍女であっても自分とクラリッサのデートに人を伴いたくないのだ。


「わぁ……人、いっぱいいますね」


「休日だからな。普段はもう少し少ないぞ。平日だと、混むのは朝市くらいのものだ」


「私、こんな風に誰かとお出かけするのって、初めてでして……」


「そうか。今日はクラリッサのために一日使うからな! 行きたいところがあれば言ってくれていいぞ!」


 ちゃんとアントンから貰った金貨袋も持っている。どこに行きたいと我儘を言われても、全部叶えてやる気持ちだ。たとえそれが隣国だとしても、そこがクラリッサの行きたい場所であるのならば。

 勿論、かといってリクハルドも何も考えていないわけではない。

 昨夜は、ちゃんと計画を練っていたのだ。今日のクラリッサの体調、様子、好み、あらゆる部分を考えたうえでどこに連れてゆくかを、合計で九十七パターン想定した。カフェや公園などを巡る比較的一般的なのを考えた後、仕立屋や小物屋、書店を巡る買い物パターンも考えたうえで、闘技場や武器屋、果ては裏通りに向かうマニアックなパターンも準備済みである。

 さぁ、どれでも来い――そう、リクハルドが身構えて。


「え、ええと……私は、あまり知らないので、特には……」


「そうか? 何か見たいものがあるとか、そういうのはないか?」


「は、はい。お義兄様の連れていってくださるところが、私の行きたい場所です」


 ぎこちなく、そうクラリッサが笑う。

 物凄く抱きしめたいけれど、我慢である。それほど可愛いことばかり言われると、いつ理性が崩壊するか分からない。

 ちなみに、血の繋がった妹であるヘレナ、アルベラ、リリスを相手にするとかなりの確率で理性が崩壊して抱きしめに行ってしまうので、そうなった場合のリクハルドは殴ってもいい、と家族会議で決定された過去もあったりする。

 だが、勿論ながらリクハルドも、ただのデートで済ませるつもりはない。

 ちゃんとクラリッサが楽しめるように、クラリッサのためになるように、何度も何度も考えたのだ。勿論、行きたい場所が特にないという回答も想定済みである。


「昼食にはまだ早いからな……少し、商店街の方でも行こうか」


「は、はい」


「さ、クララ」


「へ……?」


 手を差し出すリクハルドに、クラリッサがそう疑問の声を上げる。

 その差し出された手の、意味を掴めていないのだろうか。


「ん? どうした?」


「あ、あの……?」


「人が多いからな。はぐれるわけにもいかない。手を握って行こう」


「そ、そんな……!」


 かーっ、とクラリッサの頬が真っ赤に染められる。

 そんな初心すぎる反応をされると、それだけで凄くいたずらしたくなってくるものだ。ちなみに同じことをすれば、アルベラやリリスをからならば「子供じゃありませんから」と返される未来しか見えない。

 新鮮なクラリッサの反応に、ついリクハルドの頬も緩む。


「さ、行こう」


「え、え……!」


 嫌がっている反応ではない――そう判断して、クラリッサの手を取って歩く。

 ちゃんと指と指を絡めた、恋人繋ぎである。ちなみにリクハルドはこの繋ぎ方を、妹繋ぎと呼んでいる。何せ妹以外と、こんな風に手を繋ぐことなどありえないのだから。


「あ、あの……お義兄様」


「ん?」


 初めて握ったクラリッサの手に、しっとりとした冷たさと柔らかさ、しかし鍛錬をしっかりやっている一部の固さも感じながら、呼ばれたリクハルドは振り返る。

 リクハルドの胸ほどの位置にある顔立ちは真っ赤に照れていて、やや俯いてリクハルドと目を合わせない。

 そんな反応にも頬が緩んでしまう。


「あの……わ、私、ええと……実家には、兄が、いなくて……」


「そうなのか?」


「は、はい。年の離れた弟が、一人だけいます」


「じゃあ、実家だとお姉ちゃんなんだな」


「はい。最近だと……なんだかませてきて。最近、お姉ちゃんは僕のお嫁になるんだ! って言われたんですよ」


 うふふ、と笑うクラリッサ。

 名も顔も知らぬ弟よ、いずれ殺す。


「そうか」


「あ、そ、それで……えっと、だから、お兄ちゃんがいたのなら、こんな感じなのかな、って思って」


「うむうむ、そうだな。クララは俺の可愛い妹だからな」


「だから……迷惑かもしれないとは、思っています。でも、許してくださるのでしたら……」


 ぎゅっと、握られている手に力が込められる。

 案外強い握力だが、その程度で動じるほどのリクハルドではない。むしろ、妹がそんな風に力強く握ってくるなど、年中大歓迎である。


「ほ、本当の、お兄ちゃんみたいに……思っても、いいですか……?」


「……」


「い、いえっ……! え、ええと……わ、私、血も繋がってませんし……め、迷惑ですよね。その……」


「クララ」


「はいっ!」


 あまりにも甘美な響きすぎて、もう一度聞きたくてたまらない。

 ゆえに、リクハルドは真剣な眼差しで、クラリッサを見据えて。


「もう一度、言ってくれ」


「へ?」


「もう一度だ」


「わ、私、血も繋がってませんし……」


「その前」


「……本当の、お兄ちゃんみたいに、思ってもいいですか?」


「……」


 ふっ、とリクハルドは顔を上げる。

 そんな風に、呼ばれたことはなかった。ヘレナからは「兄上」アルベラからは「兄様」リリスからは「兄さん」と呼ばれていた日々で、その呼称を選択する者は誰もいなかった。


 だが――どれほど甘美な響きだろう。


「クララ」


「は、はい……」


「俺のことは、これからお兄ちゃんと呼んでくれ!」


「ええっ!?」


 リクハルドのそんな魂の叫びに。

 クラリッサは、驚きの声を上げて返した。

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