第20話 仕事終わりに
結局、ルートヴィヒが突然にやってきたせいで仕事が遅れてしまい、リクハルドの仕事が終わったのはとっぷりと日が暮れてからだった。
全く、面倒なことだ――そう思ってしまうが、これで予算関係が潤うのならば問題ない。前回の騎士団戦は敗北してしまったために、駐屯所の修繕や備品の仕入れなど、少々滞っている部分が多かったのだ。そのあたりを、追加予算の七割得ることができるのならば大きい。多少、大幅な修繕工事を行っても大丈夫だろう。
「お疲れ様です、リクハルド将軍」
「ああ、お疲れさん。今日も遅くまで悪かったな」
「まぁ、これが私の仕事ですから問題ありませんよ。明日は銀狼の方で仕事ですので、また明後日ですね」
「お前が来る日と来ない日で、仕事の進みが全然違うんだよな……」
はぁ、と小さく溜息を吐く。
結局、今日も本来の黒烏騎士団副官は、全く駐屯所に顔を出さなかった。伝達で国境近くにいるとのことだったし、帰ってくるのはいつになるのだろう。そもそも帰ってきたところで、書類仕事など全くやらない副官であるので意味はなかったりするが。
明日は山盛りの書類を一人で片付けなければ――そう考えると、今から気が重くなる。
「しかし、遅くなりましたね。将軍、今日はこれどうです?」
ステイシーも帰る準備としてコートを羽織りつつ、くいっ、と杯を傾ける仕草をする。
夜風も寒いし、アントンから与えられた金貨がまだ残っているために、懐はそこそこ暖かい。加えて、クラリッサにどのような顔をして会えばいいか分からないために、実家に顔を出すつもりもない。そして一人暮らしの家に急いで帰る理由もないというわけで、ステイシーの誘いを断る理由はどこにもなかった。
まぁ、たまにはいいか――そう、頷こうとして。
――いえ、一応ここに適齢期の女がいたりしてるんですけどね。
なんとなく、そんなステイシーの言葉が脳裏を反芻した。
突然のルートヴィヒの来訪のせいで有耶無耶になってしまったが、あれはどういう意味だったのだろう。
「……」
「将軍?」
「ん、あ、ああ、どうした?」
「いえ、ですからこれ、どうです?」
「……ああ、そうだな」
今まで、何度も誘われては何度も一緒に行っていたのだ。
今更何を断る必要があるだろう。むしろ、変に断るとリクハルドが変なことを考えているのではないかと思われてしまう。
ふぅ、と小さく嘆息。
そもそも妹のことだけを考えていれば幸せだったはずなのに、どうしてこうなったのだろう。
「まぁ、行くか。あんまり金ねぇぞ」
「奇遇ですね。私、将軍がお金があるという日を見たことがありません」
「うるせぇ」
「ははは。まぁ、安いとこ行きましょう。私もそもそも、高級店は肌に合わない人ですからね」
ステイシーと並んで、夜の帝都を歩く。
女性にしては背の高いステイシーだが、男の中でも高いリクハルドに比べれば低い。仕事中は後ろで束ねている青みがかった黒髪を、駐屯所を出ると共に解いて夜風に晒すステイシーには、どこか妙な色気があった。
何を意識してんだか、と自嘲しつつ。
「何か食べたいものとかあります?」
「まぁ、肉だな」
「あまりそういう、選択肢の多すぎる言葉を選ぶ男性は嫌われますよ。肉の食べられない場所なんてほとんどありませんから」
「じゃあ、どう言えばいいんだよ」
「肉料理でもハンバーグが食べたいとか、焼肉がいいとか、煮込みがいいとか、そういうことを言ってくれれば私も知っている店の中から美味しいところを見つけます。そういう初歩のコミュニケーションくらいはしてほしいものですね」
「うっせぇ」
ステイシーは辛辣だ。だが、かといって不快というわけでもない。
年齢的にはリクハルドの一つ下ではあるけれど、しっかりしたお姉さんタイプなのだ。包容力とかそういうのを求める男には、丁度いい女性かもしれない。そもそも求めるのが妹力という謎の力であるリクハルドには全く意味がないけれど。
ふぅっ、とやや白くなってきた息を吐きつつ、飲み屋街へと到着する。
「安いところなら……まぁ、このあたりですね。肉料理は焼き鳥くらいですけど」
「塩振って焼いた肉が不味いわけがねぇな。いいぜ」
「そういう将軍のシンプルな考えは好きですよ」
「おう。邪魔するぜ」
酒場の扉を開き、がやがやと騒がしい中へと入る。
給仕の女性は忙しそうに働いていたが、リクハルドとステイシーの姿を見ると共に近くにあった空席をすぐに片付けて準備をしてくれた。安い酒場は金額が安い代わりに、回転率を良くして量を注文してもらわなければならないのだ。見上げた接客能力である。
本来は四人掛けまでいけるテーブルを、贅沢に二人で使う。
「はい、いらっしゃいませ! 飲み物何にしましょう!」
「私は果実酒の水割りで」
「
「はいっ、果実酒の水割りと
元気にそう注文を受けた給仕が、そのまま厨房へと走ってゆく。
その間も、他のテーブルから注文を受けながらである。忙しいにも程があるのではなかろうか。
ふふっ、とステイシーが微笑む。
「なんだか久しぶりですね。こうして飲むの」
「んだな。まぁ、明日も仕事だから飲みすぎねぇようにな」
「将軍に言われたくありませんよ。私、将軍を抱えて帰ったことも一度や二度じゃないですからね」
「あー……」
ばつが悪く、リクハルドは頬を掻く。
実際に、ステイシーと共に酒を飲んでそのまま意識を失ったことが、これまで何度もあるのだ。そのたびにステイシーは倒れたリクハルドを抱えて連れて帰ってくれたのである。何故かステイシーの家に。
そして目覚めて、ステイシーの作った朝食をご馳走になってから仕事に向かったこともある。そのあたりも、ステイシーの包容力とかが限界突破しているからであろう。本当に優しい奴である。
「そういえば、今日はルートヴィヒ将軍が来てましたね」
「ん……ああ、そうだな」
「差し支えなければ、ご用件を聞いても?」
「たいした話じゃねぇよ」
程なくして運ばれてきた、
「まぁ、見合いみたいなもんを勧められた」
「……見合い?」
「ルートヴィヒの姪っ子らしい。俺のファンだとか嬉しいこと言ってくれてな。ちょっとしたファンサービスに会ってやってほしいってだけだ。それ以上でもそれ以下でもねぇ」
「ああ、なるほど。それで貸しが作れるのなら安いですね」
「だろ?」
聡いステイシーは、リクハルドのそんな考えもちゃんと読んでいるらしい。
もっとも、さすがに騎士団戦に八百長をするということは隠しておくけれど。そのあたりの不正には厳しい女なのだ。
「一瞬、将軍が結婚するのかと思いましたよ。見合いとか」
「俺に結婚する未来があるとは思えねぇな」
「そうですか?」
「そもそも、俺が異常だってことは理解してんだよ。それでも治らねぇ筋金入りだ。俺は一生妹を愛し続けるだろうし、妹であれば誰でもいいような人間だ。そんな奴に嫁ぐ奴の気が知れねぇだろ。そんな物好き、どこにもいねぇよ」
くくっ、と自嘲を込めて笑ってみる。
リクハルドの悪癖は、リクハルド自身が一番分かっているのだ。分かっていても、心に刻まれたこれが治ってくれないというだけである。
きっとこれからも、こんな風に人生を過ごしてゆくのだ。
だが。
「将軍、残念なお知らせがあります」
「あん?」
「ここに、そんな物好きがいたりしてるんですよね」
「……」
ステイシーのそんな言葉に。
思わず、
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