第24話 日常への回帰
翌日。
必死の想いで夜半に訪ねたヴィクトルに、「帰れ」と蹴り飛ばされた結果、リクハルドはおとなしく自分の家へと戻った。ひとまず、クラリッサの希望を叶えるためにも近々どこかでヴィクトルに頼むつもりではあるけれど、それでも今日の仕事について考えないほどにリクハルドは考え無しではない。さすがに、少しは寝ておかねば仕事に差し支える、と考えて自宅の寝台に入る程度には冷静だった。
ステイシーのいない一人きりの執務室で、ただひたすらに書類と睨み合う。
「……」
朝一番から、事務官の持ってくる書類は止まらない。全く止まってくれない。
もしもリクハルドが体調を崩し、数日休んだ場合は執務室が書類で埋まるのではないかと思えるほどに、その量は膨大だ。どうでもいい案件から重要な案件まで多々あるけれど、その書類は全てが最終的に将軍であるリクハルドの認可を受けなければならないと決められているのだから。
これも将軍としての務め――そう考えながら、ひたすらに文字と睨み合う。
ステイシーがいれば話し相手になってくれるのだけれど、誰もいない執務室では自分との戦いをするしかない。
「……」
だが、そんな風に書類の確認をしながらも、考えるのはクラリッサのことだ。
どうすれば妹が喜んでくれるのかを延々と考えるのはリクハルドにとっていつものことだが、しかしクラリッサがどうすれば喜んでくれるのか、それがよく分からない。
とりあえず、許してもらうためにも次回会ったときには、全力で愛していると叫ぶつもりではある。しかし、実際に目の前でアルベラに向けて叫んでしまったために、それが効果的であるかはよく分からないけれど。
あとは、やはり特殊な趣味だ。
少なくともリクハルドの知る限り、男同士が裸で絡み合っている姿絵が好きだという女性には会ったことがない。クラリッサ自身も変な趣味だということは自覚していたようだし、隠しているだけなのかもしれないが。残念ながら女性関係が手伝いにやってくるステイシーと妹以外は壊滅的なリクハルドにとって、そもそも女性と話す機会が全くないというのが現実でもあるけれど。
「……うぅむ」
常々、リクハルドは思っている。妹のことであるのならば、その全てを理解したいと。
そこで、男同士で絡み合う姿絵を見て、何が楽しいのか考える。もしかすると、リクハルドが知らないだけで高尚な趣味の一つであるのかも――考えてやめた。少なくとも、裸の姿絵を見る趣味が高尚だとはとても言えまい。
やはり、そういうのは女性に聞くべきだろう。
だが、かといってこれをステイシーに聞くわけにはいかない。そもそも昨夜のどうこうで、ステイシーとなんだか微妙な感じになっているのだ。
このまま押されてしまうと、ステイシーとそういう関係になってもおかしくないのではないか、と思えるほどに。
「……」
思い切り、椅子の背もたれに体を預ける。
ステイシーに、不満があるわけではない。そもそも仕事のパートナーであるし、人間性もよく知っている。辛辣ではあるけれど、真面目で諧謔にも富んでいるのだ。不満な点など全くない。
だが、そういう目で見られるか――そう問われると、首を傾げてしまう。
そもそもが、仕事上の付き合いしかなかったのだ。男女という違いはあったけれど、ステイシーはそういう女としての一面を今まで見せてこなかったのである。だからこそ、今までステイシーのことを女性として意識したことがなかったのだ。
それがいきなり、実はリクハルドのことを慕っていた、と言われても驚くだけである。こちらの心の整理ができていない。
「……」
だが、かといってクラリッサのことをそういう対象として見ているのか、と問われるとやはり首を傾げてしまう。
心から愛していることは間違いない。兄として、妹のことを愛するのは当然だと考えているし、この愛に嘘はないと思う。だが、それはあくまでもリクハルドが妹に対して与える愛なのだ。男女間の愛というわけではない。
妹への愛と、女性に対しての愛。
それは一体、何が違うのだろう――。
堂々巡りになりそうな頭を押さえて、諦めてリクハルドは仕事に戻った。どれほど悩んだところで、この疑問が解決するとは思えない。
何が正しいのかなんて、リクハルドには分からないのだから――。
「……ん?」
「将軍! 失礼いたします!」
こんこん、と扉が叩かれる。
また追加の書類が来たか――そう、げんなりしながらも「入れ」と声をかける。それと共に、入ってきたのは当然事務官――ではなく、若い騎士だった。
恐らく伝令に来たのだろう。いずれは来るものではあるけれど、今はひとまず書類が増えなかったことを喜ぶことにした。
「しょ、将軍に、お客様でございます!」
「……最近客が多いな」
「い、いかが、いたしましょうか!」
「まぁいい、通せ。一体どこのどいつだ?」
「は、はっ! 『銀狼将』ティファニー・リード将軍です!」
「……将軍のバーゲンセールかよ」
伝令の兵が、「ご案内いたします!」と叫んで踵を返す。
随分と客が来るものだ、と僅かに思う。昨日はルートヴィヒが来たし、今日はティファニーとかやたら将軍ばかり訪ねてくるものだ。そのように人を訪ねる時間があることが、素直に羨ましい。もっとも、ルートヴィヒについては仕事をしていないだけだが。
程なくして、伝令の兵と共に現れる――幼女。
「失礼。調子はどうですか?」
「相変わらずクソ忙しいさ。お前んとこの副官、週五でくれ」
「残念ですが、週三の今でも十分に便宜を図っていると思ってください。こちらも、ステイシーがいないと仕事が滞りますので」
「そいつは残念だ」
銀色の髪をした幼女――に見える、無駄に若々しすぎるティファニーを見ながら、リクハルドは肩をすくめる。
いつものことながら、軍服がとことん似合っていない。学園の初等部に通っていると言われても納得のできる容姿は、いつ年相応になるのだろうかと思えるほどだ。だが、こんな矮躯をしていながらにして、その知謀と戦略で将軍まで上り詰めたのだから恐ろしい女である。
「で、何の用だ?」
「
「その程度の件で、お前が来たのか?」
「気分転換みたいなものですよ。今日はステイシーがいますので、仕事が順調に進みますから」
「その分、こっちは激しく滞ってんだけどな。今日は残業覚悟だ」
「御愁傷様です」
「ちっ」
ふふっ、とティファニーが笑う。
そして、気分転換に来たというのは本音なのだろう。近くの喫茶店で買ってきたのであろう、コーヒーを机に乗せて椅子へと座った。どうやら、ここで休憩するつもりらしい。
まぁ別段、休憩する程度ならば構わないが――そう、ちらりとティファニーを見て。
試しに、ちょっと聞いてみようか。
「なぁ、ティファニー」
「どうかしましたか?」
「その……妙なことを言い出した、とか思わずに聞いてほしいんだが」
「?」
同じ女性であるし、ティファニーならば何かを知っているかもしれない。
だが、かといって直接的に聞くのもどうかと思う。ならば、ちょっとした話の種程度に促すくらいがいいだろう。
試しに、だ。そう。試しに。
「例えば、なんだけどな」
「ええ」
「俺とヴィクトルがな、姿絵とかで」
「ええ」
「裸で絡み合っていたりしたら……どう思う?」
リクハルドの言葉に、ティファニーはまず、言葉を失った。
やはり変なことを聞いたか――そう、溜息を吐こうとして。
「な、な……!」
「は……?」
「何故、あなたが、それを……!?」
「……」
適当に、なんとなく尋ねてみようと思っただけなのに。
なんだか物凄く一枚噛んでいそうな目の前の女に、リクハルドは小さく嘆息した。
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