第23話 知ってしまった真実

「……」


「……」


 はらりと、床に落ちた一枚の紙。

 無言で、これほどまでに素早く人間が動くことができるのか――そう思えるほどの速度で、クラリッサがそれを回収した。そして、何事もなかったかのように寝間着であろう動きやすそうな服の中に入れた。

 ぜぇ、ぜぇ、と息を荒げながら、真っ赤な顔をしたクラリッサがリクハルドを見る。


「あ、あの、お、お義兄様……」


「あ、ああ……」


「見、ましたか……?」


 何を見たか、というのは愚問だろう。完全に、床に落ちてしまったアレである。

 そして、見たか見ていないかと言われると見たとしか答えようがない。やや目は大きく、全体的に美化されてはいるものの、間違いなくそうだろうと分かるほどに、あの紙に描かれた二人の男はリクハルドとヴィクトルだった。

 そんな二人の男が裸で絡み合っている姿絵――そんなものを、見て何が面白いのだろうか。

 そして、恐らくクラリッサには見られたくなかったものに違いあるまい。そのために、全力で涙目になっていることが分かる。


「その……」


「……み、見たん、ですね」


「……」


 何をどう言えばクラリッサが傷つかないだろうか、と逡巡する。だが、そんな風に何かを誤魔化すような態度が、逆にクラリッサに気付かれる理由となってしまったのかもしれない。

 しかし問題は、だ。

 リクハルドとヴィクトルの裸で絡み合っている姿絵など、何故クラリッサが持っているのだろう。


 リクハルドとて、自分の姿絵が売られているということは知っている。一応、軍の民衆に対する認知度を高める、という目的があってのことだ。そして、無駄に男前であるリクハルドとヴィクトルの売れ行きはとても良いと聞く。

 ちなみに、余談ではあるが『青熊将』バルトロメイの姿絵は、その顔の上半分を隠されて売られているのだとか。あの凶相を描ける絵師はこの国にいなかったらしい。

 閑話休題それはさておき

 売られている姿絵は、あくまで普通のものだ。胸から上を描いているものだとか、剣を構えている姿だとか、そういう軍人らしいものばかりである。少なくとも、リクハルドが覚えている限り、そんな風に裸の将軍二人が絡み合っている姿絵が売られているという話は聞いたことがない。


「あ……」


 そこで、ふと思い出す。

 リクハルドも詳しくは知らないけれど、『銀狼将』ティファニー・リードは既に四十過ぎだというのに若々しく、黙っていれば少女のように見えると評判だ。そんなティファニーは世の男性から非常に愛されており、その姿絵の売れ行きも非常に良いらしい。

 そして、いつだったかティファニー本人が摘発していた帝都の非合法な会社において、そんなティファニーを元にした春画が作られたいたらしいのだ。その売れ行きは、世の独身男性に非常に良かったらしい。

 もしかしたら。

 この、クラリッサが持っているのも、そういう類のもの――。


「……」


「……」


 リクハルドが何も言えず、クラリッサが顔を伏せる。

 涙目で、とても悲しそうに、決して知られたくないことを知られたかのように。


「やっぱり……」


「……」


「変、ですよね……」


「い、いや……」


 そっと、服の中から姿絵を取り出す。

 慌てて仕舞ったからか、ぐしゃぐしゃになってしまっているそれ――だが、それは間違いなくリクハルドとヴィクトルだった。

 どことなくヴィクトルの方が、リクハルドを挑発しているかのような構図。勿論ながら、リクハルドの覚えている限り、こんな風にヴィクトルと裸で絡み合ったことなど一度もない。


「そ、その……クララは、そういうのが、好きなのか……?」


「……はい」


 ちょっと言葉を濁して『そういうの』と言ってみたが、肯定された。

 少しばかり鈍感なリクハルドにも、分かる。つまりクラリッサは、男同士で恋愛をしているのが好きだということだ。

 世の婦人に、そんな趣味があるなんて考えもしなかったけれど。


「……ごめん、なさい」


「何故、謝る……?」


「お義兄様のことを、心から慕っております。お義兄様の妹になれたことを、嬉しく思います。ですけど……私は、こんな風に、ずっとお義兄様のことを、心の中で汚していました……」


「……」


「同好の士が集まったところでは、色々な妄想をいつも話しています。そこでは、お義兄様にはとても言えないような妄想も……たくさん、話し合っています。最近の流行は、妹のことが好きすぎるリクハルド将軍をヴィクトル将軍が無理やりに奪うというのが……」


「……」


 意味が分からない。

 無理やりに奪うというのは一体何を奪うのだろう。どう考えても貞操とかそういう類のものではなかろうか。


 ゆえに。


「……すまない、クララ」


「お、お義兄様……」


 リクハルドはクラリッサに背を向け、そのまま部屋を後にする。

 妹のことならば、全てを許すことができるのがリクハルドだ。そして、そのように言いにくいことを言ってくれたのだから、そこには少なからず信頼があると考えるのが当然である。そう、クラリッサは妹として、兄である己のことを心から信頼してくれているのだ。

 それが、嬉しいと思わないはずがない。


「……また」


「ご、ごめん、なさい……本当に、ごめん、なさい……!」


 クラリッサの、涙まじりの声が聞こえる。

 本当ならば、このまま抱きしめたい。涙するクラリッサのことを愛でたい。


 だが、それ以上に。

 リクハルドは、自己嫌悪していた。


「……」


「あっ! ぼ、坊っちゃま……!」


「リクハルド、貴様、何故このような時間に!」


「……」


 使用人とアントンの声が聞こえるが、全力で無視して屋敷を出る。

 肌寒い風を浴びながら、色々と整理をしたい頭から酒気が抜けたように思える。ゆえに、リクハルドは心から冷静だった。


 だが、それでも自己嫌悪が消えることはない。

 妹のことは誰よりも理解している――それがリクハルドの矜持だった。

 だけれど、クラリッサがそのような目で自分を見ていたこと――それに、全く気付くことができなかった。

 妹の望みであれば、全てを叶えたいのがリクハルドである。

 それが己のことだというならば、何よりも。

 その望みを――叶えたい。


「……」


 屋敷からひたすらに歩いて、向かうのは軍の宿舎である。

 八大将軍のうち、半数はここに泊まっているのだ。例外はあまりの凶悪な顔のせいで共同生活を拒まれたバルトロメイ、女のところに寝泊まりしているルートヴィヒ、既に結婚をして別の屋敷に住んでいるティファニーの三人だけである。

 そんな宿舎の、勝手知ったる階段を上り。


 その扉の、前に立った。


 ごんごん、と強く扉を叩く。

 武人としての、気配を読む力――それが、扉の向こうでもぞもぞと動くそれを察知させた。


「どちらさん……ったく、何時だと思ってんだよ……」


 扉が開かれ。

 そこに、ぼさぼさの髪と眠そうな目の。

 ヴィクトルが、出てきた。


「あん? リック? なんだよ、こんな時間に……。用事なら昼間にしてくれよ……」


「ヴィクトル、頼みがある」


「はぁ?」


 そう。

 リクハルドは、クラリッサの望みならば。

 全てを、叶えてみせる。


「俺と裸で絡み合ってくれ」


「お前が何を言っているのかわからない」


 リクハルドの唐突な願いに。

 そう、ヴィクトルは限りなく常識的な意見を返した。

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