第15話 ヴィクトルの助言
「いや、それどう考えてもお前が悪いだろ」
「何故だ!?」
「お前、それが分からないくらいに病気なのかよ……」
帝都の中央通りから、やや外れた場所にある酒場。
がやがやといつも賑わっているそこは、味よりも量を求める日雇い労働者や自称冒険者など、あまり懐が暖かくない者の憩いの場である。
基本的に資本主義の世界というのはシンプルなもので、対価を払えばそれだけ環境というのも改善されるものだ。しかし、隣のテーブルとろくな距離もなく、いつもやかましい場所であり日に一度は喧嘩の起こる劣悪な環境なれど、賑わっている理由はその安さに他ならない。日雇い労働者のろくに与えられもしない賃金でさえ、腹一杯食って飲むことができるのがこの店の良い点だ。
そんな酒場のカウンターで、肩を並べて酒を飲むヴィクトルとリクハルド。
本来ならば、八大将軍の地位を持つ二人が肩を並べて飲むのに、このような店に来るはずがない。ゆえに誰もそこに将軍がいるなどと思わず、二人とも華美な服装を嫌う性質もあって全く気付かれていなかった。
「まぁ、お前が妹好きだってことは知ってたけどよ……まさか、んな店に通ってるとか……」
「いや、通ってはねぇ。週に一度行くか行かないかくらいだ」
「それを一般的には通ってるって言うんだよ」
「むむ……」
妹に扮した従業員が妹として接してくれて、それにコーヒーも豆はさほど良くないが味は悪くない。ちょっとした時間ができたら少しだけ顔を出すくらいで、それほど通っていると言うのだろうか。
ううむ、と腕を組むがやはり分からない。
「つか、お前って血の繋がってない妹でも良かったんだな」
「妹である限り、兄として愛するのは当然だろう」
「いや、俺妹いねぇから分かんねぇけどさ。なんだ。そういう店でただ妹の振りをしてくれるだけでもいいのか」
「ちゃんと分別はつけてるつもりだぞ。あくまで、あそこの従業員はあの店の中だけ俺の妹だ」
「そういうのが、女を怒らせるんだよ……」
「は……?」
はぁぁ、と大きく溜息を吐くヴィクトル。
しかし、あくまでリクハルドはただ純粋に、クラリッサに軽食を食べさせてあげようとあの店に連れていっただけだ。そして、こういう余興も楽しめるんだぞ、と紹介したかっただけである。それが何故、リクハルドが怒られる理由になってしまうのだろう。
こほん、とヴィクトルが咳払いを一つして。
「まぁ、仮にだ。お前の妹が……仮にヘレナとしよう」
「俺の愛するヘレナがどうした」
「あいつが、軍でまぁ、給金を沢山貰ったとしよう」
「ああ」
「その金を持って、夜の街に繰り出した。そこには、女が金を払って男に歓待してもらうような店がある。そんな店にヘレナが通って、そこにいる男たちが素晴らしいと言い出した。お前はどう思う?」
「その店、焼き払う」
ぎろり、とヴィクトルを睨みつけながら告げる。
そのような、悪意しかない店にヘレナが騙されるなど以ての外だ。店長は八つ裂きにし、ヘレナを口説いた男は全員股間を潰す。きっと、そのくらいのことはやってみせるだろう。
そして、以降そのようなことがないよう、ヘレナの身辺を徹底的に守ることに腐心するはずだ。
「……いや、思い切り物騒だな。あくまでどう思うか聞いたんだが」
「俺の、俺の妹が、そのような悪の道に……!」
「んじゃ、それがもしもただの喫茶店だったらどう思う? まぁ、顔のいい男が給仕をする喫茶店だ。割といい男が揃っているから、ヘレナは通っている。そして、そこの従業員にヘレナが口説かれていて、しかもヘレナも悪く思っていない」
「その店、焼き払う」
二度、同じことを告げる。
先程と同じだ。愛しいヘレナを口説いた時点で、その男は極刑に処されて当然である。店長は八つ裂きにし、口説いた男は全員首を斬ってくれる。
そして、そんなリクハルドの当然の答えに対して、ヴィクトルは小さく嘆息した。
「それは何故だ?」
「当然に決まっている! 俺の可愛い妹に手を出した店など、滅ぶべきだ!」
「だが、そこの従業員はあくまでヘレナという客に対して、普通に対応しているだけだ。何もやましいことはしていない」
「いいや! そんなことはない! きっとヘレナをいかがわしい目で見ているに決まってる!」
「……それを、どうして自分に置き換えられねぇんだ?」
ヴィクトルが、これ見よがしに溜息を吐くのが分かった。
ただヘレナに対して魔の手が及んだという話だけのはずだったのに、何故それほど呆れることがあるのだろう。
小さく、ヴィクトルが首を振る。
「まぁ、そうか……いや、お前も悪いが、お前の妹も悪いな」
「俺の妹を侮辱するのか!?」
「お前……妹に愛されたことあるのか?」
「そ、それは、当然、兄として……!」
「お前の一挙一動に、ちゃんと反応してくれる妹はいたか? お前のことを、心から愛していると宣言してくれた妹はいたか? お前の話を黙って楽しそうに聞いてくれた妹はいたか?」
「……」
ヴィクトルの言葉に、何も言えない。
ヘレナも、アルベラも、リリスも、リクハルドの話など全く聞いてくれなかった。むしろリクハルドの行動一つ一つに対して、鬱陶しいとか面倒臭いとかそういったことを憚りなく言われてきた。
母レイラからも「リクハルドはもうちょっと妹離れしろ」と何度も言われてきた。だが、長兄として妹を愛することは当然だとばかりに、決してリクハルドは行動を変えなかった。
その結果。
本当に――リクハルドは、三人の妹たちから、愛されてきたのだろうか。
「まぁ、俺が知ってんのはヘレナだけだが……あいつの妹ってことは、大抵似たようなもんだろ。んで、ヘレナがお兄様好き好きとか言い出してる姿を見たら、俺は正直吐き気を催すだろうな」
「……」
「んで、挙句にお前の態度だ。そりゃ、向こうから好きとか言ってくれねぇわな。どう思ってるのかまでは知らねぇけど、冷たい態度を取られてきたんじゃないのか?」
「……」
正解である。
リクハルドは、何度となく妹を愛していると公言してきた。ヘレナにもアルベラにもリリスにも、変わらぬ愛を注いできた。
だが、そんな風にリクハルドが愛すれば愛するほど――妹たちは、冷たかった気がする。
それでも、それこそが親しい仲における愛の形なのだと、そう信じて疑ってこなかった。
「女ってのはよ……興味ねぇ相手には、とことん興味ねぇんだよ」
「……」
「興味ねぇ相手がブラックコーヒー飲んでようと、別に何とも思わねぇ。興味ねぇ相手がどこの喫茶店に通っていようと、別に何とも思わねぇ。興味ねぇ相手からどんなプレゼントを貰ったところで、どうでもいい。そんなもんだ、女なんてもんは」
「そ、んな……」
リクハルドが、項垂れる。
興味がない――そう、断言するヴィクトルの言葉に、返す言葉が何もないのだ。
プレゼントを贈ったときには、感謝の文を寄越してくれる。だが、それだけだ。それ以上の何にも触れていない、ただ贈り物に対する感謝だけが綴られた文面を、何度見たことだろう。
ぽん、とそんな項垂れたリクハルドの肩を、ヴィクトルが叩く。
「ま、しっかり反省しろ。その上で次に活かせばいいんだ」
「だ、だが、俺は……俺は、これから、どう生きてゆけば……!」
「お前と手を繋いでくれたのは誰だ? お前のことを誰よりも嬉しそうに聞いてくれたのは誰だ? お前がブラックコーヒーを飲めるってことを、唯一知ってんのは誰だ? 答えなんて、そこにしかねぇと思ってるがな」
「――っ!」
そうだ。
確かに、ヴィクトルの言う通りだ。
ヘレナもアルベラもリリスも、リクハルドの愛すべき妹たちだ。
だが、今日思ったではないか。
クラリッサは、リクハルドが妹にしてほしいこと――その全てをしてくれる、と。
「まずは謝れ。その上で、きっちり男見せろ。あとは……妹としてじゃなく、一人の女として見てやれ」
「……一人の、女?」
「ああ。しっかし、俺もお人好しだな。こっちが男やもめだってのに、お前の恋愛話付き合ってるとか、もう寒気がするぜ。マジでバルトの誘い受けてみっか……つか、マジでゴリラ来たらどうしよう……」
「ちょ、ちょっと、待て。ヴィクトル」
理解が追いつかず、そうリクハルドは制止する。
妹ではなく、一人の女として接しろ――その言葉の、意味が分からない。
「ど、どういうことだ……?」
「は?」
「いや、だから、一人の女として接しろって……」
「はぁ?」
ヴィクトルは、今度こそ心から呆れた顔で大きく溜息を吐いた。
マジかー、とでも言い出しそうに、頭を抱えて。
「いや、だって……そのクラリッサちゃん? お前のこと好きだろ」
「え……」
ヴィクトルの言葉は。
何故か、すとん、とリクハルドの欠けた心のピースを埋めるかのように、入り込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます