第16話 それでもやらかすリクハルド
「クララが……俺のことを……?」
「いや、どう考えてもそうじゃねーの? 大体、嫌いな奴に手作りの昼飯なんか食わせねぇって」
「だ、だが、それも、妹としての愛情だと……」
「お前の可愛い妹三人は、そんな風に飯を作ってくれたことがあんのか?」
「……」
ヴィクトルの言葉に、何も返せない。
一度たりとも、そんなことはなかった。まだリクハルドが軍に入る前には一緒に出かけることもあったが、近所に買い物に行くくらいのものだ。今日のリクハルドとクラリッサのように、二人きりでデートなどしたことがない。
加えて、侯爵家であるレイルノート家には雇っている料理人がいる。そんな腕のいい料理人の邪魔をしてまで厨房で何かを作ろう、と思う者は誰もいなかった。そもそも料理などしている暇があれば鍛練をしろ、みたいな脳をしている三人だけれど。
だが。
クラリッサは、作ってくれた。誰でもない、リクハルドのために。
「ちっ……俺も焼きが回ったな。お前の恋路とかぶっちゃけどうでもいいってのに。つか、んな可愛い義理の妹に好かれてるとか爆発しろ」
「……」
「あー、そういやお前、ステイシーといい仲じゃなかったのか? お前は妹狂いでも、そんなお前を受け入れてくれるのなんざステイシーくらいのもんだと思ってたんだけどよ」
「……」
「……何も聞いてねぇな、こいつ」
ヴィクトルの言葉は何一つ耳に入ることなく、リクハルドはただ悩む。
どうすれば、どうすればクラリッサに許してもらえるのか。
兄として、妹を愛することは当然だった。ヘレナもアルベラもリリスも、態度には出さないだけで心からリクハルドのことを愛してくれているのだと思い込んでいた。
だが。
本当に、そうだったのだろうか。
兄妹ということで、誰よりも近かった――それゆえに、むしろ疎ましく思っていたのではなかろうか。
本当に、本当にリクハルドのことを愛してくれていたのならば。
クラリッサのように――理想の妹として、接してくれていたのではないか。
「うおおおおおおおおおっ!!!」
「ぶっ! 何だいきなり!?」
「……全力で、死にたい」
「死ぬな。とりあえず壁殴るくらいに留めとけ」
クラリッサは、妹として兄であるリクハルドを尊敬してくれていた。
そんなクラリッサの尊敬を、あの喫茶店の中だけで扮している妹に対する愛情を見せたがゆえに、壊してしまったのだ。
どれほどリクハルドは罪深いのだろう。リクハルドが妹として唯一無二の愛情を捧げているのはクラリッサだけだと、きっとそう思っていたに違いあるまい。
それを、あのような店の中だけででれでれとした自分――。
「ああああああああっ!!!」
「だから落ち着け。とりあえず店ん中だから声だけでも抑えろ」
「ヴィクトル! 俺は! 俺はどうすればいい!」
「全力で愛していると伝えろ」
「わかった!」
リクハルドは立ち上がる。
心の準備はできた。リクハルドの何が悪かったのかも全て分かった。
そして、このままではリクハルドを愛してくれる妹が誰もいなくなる。重度のシスコンであるリクハルドにとって、それは生き地獄も同じことだ。
絶対に――クラリッサだけは、失いたくない。
「すまん、ヴィクトル!」
「ああ、支払いは任せとけ」
「次は奢る!」
「お前にそう言われて、奢ってもらった記憶がねぇけどな」
へっ、とヴィクトルが笑う。
そうだっただろうか――そう思い出してみるけれど、そもそも超妹特化記憶力しか持ち得ないリクハルドにとって、ヴィクトルとこのように酒を交わした記憶はあまりない。
そして、レイルノート一家は大抵酒癖が悪く、リクハルドは記憶を失うたちだ。そのときに約束したことが、果たされなかったのかもしれない。
今度こそ忘れないようにしなければ。
「すまん、先に失礼する!」
「ああ。俺はもーちょい飲んで帰るわ」
「ああ、ではまたな!」
ヴィクトルの返事を待つことなく、リクハルドは安酒場から思い切り飛び出した。
夜風が寒くなってきた頃合だが、しかし心はこれ以上ないほどに燃え盛っている。今ならば、走って大陸新記録を出せるのではないかと思えるくらいだ。もっとも、そんな本人は酒に酔っているために若干の千鳥足なのだが、気付いていない。
必死に、必死に、レイルノートの屋敷へと向かう。
どれほど怒られても、どれほど叱られてもいい。
とにかく今は、クラリッサに許してもらうこと――。
ずざぁぁぁっ、と速度の乗りすぎた体に、必死にブレーキをかける。
そして丁度、レイルノート家の屋敷――その目の前で、リクハルドは大きく深呼吸をした。
まだ夜更けと呼ぶには早く、丁度夕餉といったところだろう。
ならば、クラリッサも部屋から出てきて、食堂にいるのではなかろうか。
さぁ、急げ――そう、己の足に鞭を入れて、リクハルドは走る。レイルノート家の玄関から食堂に向けてすら走っていたために、使用人が二名ほど吹き飛んだが華麗に無視である。
そんな、食堂の入り口――。
「ということは、わたくしの妹になるということですのね。わたくしのことは、義姉様でよろしくてよ」
「は、はい。ありがとうございます、お義姉様」
「うふふ。姉様の弟子とは思えないくらいに、礼儀がしっかりしておりますわ。父様、良い後継を得ましたのね」
「まぁな。宮廷の要職に就く以上は、礼儀作法はしっかりしておらねばならん。いずれ、そのあたりも専門の講師を雇うつもりだ」
「わたくしも気に入りました。今後は、もう少し早めに帰ってきてもいいですわね」
「アメリアを連れてくるのならば、いつ来ても構わんぞ。なー? アメリアちゃーん?」
「だー!」
食堂の中で、盛り上がっている三人の声。
アントンとクラリッサは当然だ。だが、もう一つの声。
猛禽類のような威圧感を持ちながら、しかし丁寧な口調を崩さないそれは――間違いなく、リクハルドの愛してやまない妹が一人、アルベラの声である。
先程まで、忘れていた。そういえば、今日の夕刻に来るはずだったのだ。
「アルベラぁっ!」
「むっ!? ああ、兄様。お久しぶりですわ。今までどこにいらしたので……」
「アルベラ愛しているぞぉぉぉぉぉ!!」
「はい兄様、まずは叩き落としますわね」
アルベラに思い切り抱きつこうとした、その瞬間に。
その側に常に持っていたアルベラの木剣が、思い切りリクハルドの側頭部を打つ。
手加減は皆無。場所を考えなければ骨を砕く一撃。
常に、『リクハルドには本気を出して良し』と決まっているがゆえに、リクハルドの行き過ぎた愛が暴走すると、こんな風に妹たちの本気の一撃を叩き込まれるのだ。
くらりと、世界が揺らぐ。
「い、い、いい、一撃、だ……」
「褒めてくださってありがとうございます、兄様」
そして、ただでさえ酔いの回っている頭で、そんな酩酊に耐えることができず。
ゆっくりと、リクハルドは意識を失った。
そんなリクハルドが、最後に見たのは。
「……」
とても悲しそうに、自分を見る。
クラリッサだった。
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