第12話 昼食を終えて
「ふぅ……食った食った」
「……ほ、本当に、全部、召し上がられるなんて」
「いや、実に美味しかった。また、機会があったら作ってくれるか?」
「は、はい……そのときには、ちゃんと、食べられるものを作ります……」
リクハルドの目の前にあったバスケットは、綺麗に空になっていた。
元々、クラリッサが二人分と考えて作ってきたのだろう。だというのに、クラリッサは二つ三つくらいしか食べることなく、残りの全部をリクハルドが食べたのだ。健啖である自信はあるけれど、それでも少しばかり食べ過ぎた感はある。
食後のお茶を飲みながら、小さく嘆息。
「クララはこれから、どこか行きたい場所とかあるか?」
「へっ!? い、いえ、特に……」
「遠慮しなくてもいいぞ。クララの行きたい場所が、俺の行きたい場所だからな」
「そんな……」
僅かに、頬を染めるクラリッサ。
だが、リクハルドの言葉は心からのものである。実際に、一人で行ったところでつまらない場所であっても、それがクラリッサと一緒に行くとなればそれだけで薔薇色に感じるのだから。きっとクラリッサが執務室にいてくれたら、普段の二倍や三倍の速度で仕事をこなす自信がある。
「でしたら……えっと」
「うん?」
「えっと……申し訳が、ないのですが……」
「いいぞ、どこでも言ってくれ」
恥ずかしそうに、顔を俯けて頬を赤らめるクラリッサ。
そんな一つ一つの可愛らしい反応を見ながら、しかしリクハルドの目尻は下がりに下がり、鼻の下は伸びに伸びているものだから、無駄に男前の顔立ちであったところで台無しだった。
クラリッサが、小さく呟く。
「その……カフェ、とか。軽食が、出るようなところに……」
「ほう、カフェか」
「いえ、お義兄様はもう、召し上がられましたし……」
はっ、とそこでリクハルドは目を見開く。
確かに、クラリッサはほとんど食事をしていない。レイルノートの屋敷で、夕食を共にした際のクラリッサは、決して少食というわけではなかったのだ。むしろ、日々の鍛練を行っているクラリッサは、女性にしては健啖な方だと考えて良い。
そんなクラリッサが、自分が食べる分を減らしてまで、リクハルドにサンドイッチを提供してくれたのだ――そう考えると、どれほど罪深いのだろう。
ここは、リクハルドが満腹であったとしても、少しばかり食事のできる店にでも連れていくべきだ。
「すまない、クララ……!」
「え、な、何が……」
「俺が、俺が、全部食べてしまったばかりに……! すまない!」
「い、いえ……むしろアレを召し上がられたお義兄様が凄いのですが……」
「よし!」
頭の中の地図に、この公園から近い喫茶店がある。
リクハルドがプライベートでたまに行く店だ。確か、それほど安くはないけれどメニューに軽食はあった気がする。
残念ながら、他に食事のできる場所といえば安い定食屋くらいしか知らないリクハルドにとって、他に選択肢は全くない。
「俺の、行きつけの喫茶店に案内しよう」
「行きつけが、あるのですか?」
「まぁ、週に一度行くか行かないかくらいだが……」
「それ十分行きつけだと思うのですが……」
「ひとまず、こっちだ。一緒に行こう」
広げたバスケットを閉じて、リクハルドが持つ。
そして、空いている方の右手を差し出すと、おずおずとクラリッサがその手を取った。とはいえ、やはり手を繋ぐことに慣れていないのか、握ったのはリクハルドの小指だけだったけれど。
逆に、そんな初心すぎる反応に、鼻の下が伸びて仕方ない。
「あ、あの……?」
「これが……幸せ、か」
「お義兄様!? 何故達観されているのですか!?」
「俺はもう、いつ死んでも悔いがない」
「亡くなられては困ります!」
あまりの感動に、そう揺さぶられてしまう。
言葉では言うけれど、実際のところリクハルドに死ぬつもりなど全くないけれど。兄たる者、妹より先に死んではいけないのだ。でも、妹のうち誰かが死んだら、そのまま後を追って自死するかもしれない。
「さぁ、こっちだ。少し、入り組んだ場所にあるからな……」
「は、はい……」
クラリッサの手を引き、商店街を歩く。
目指す先の店は、商店街から一つ裏道に入ったところにあるのだ。もっと堂々と店を構えればいいのに、と思わないでもない。
とはいえ、ロクシーの鍛冶屋に比べればまだ分かりやすい方だ。リクハルドも何度となく通っては武器のメンテナンスを行ってもらっているために覚えているが、初見で説明だけを聞いただけでは、きっと迷ってしまうくらいに入り組んだ場所にある。ロクシーに商売をする気がないように見える最大の理由こそ、その立地だったりするのだ。
「そちらのお店は、何があるのですか?」
「そうだな……確か、サンドイッチやオムライス、パンケーキとかあった気がする。あとは、甘い菓子なども出してくれるはずだ」
「お義兄様は、いつも何を?」
「俺はいつもコーヒーだよ。まぁ、あまり良い豆は使っていないみたいだけどな」
「何も、入れないのですか?」
「その方が、風味がよく分かるだろう?」
ふふっ、とリクハルドが微笑む。
確かに、ブラックコーヒーはあまり美味しいと思えないかもしれない。特に、クラリッサほどに若い娘ならば尚更だ。
実際にリクハルドも、元々は妹に対する見栄のためだけに飲んでいた。兄はこんなにも大人なんだぞ、と矜持を示すだけだったのだが、気付いたら割と美味しく飲めるようになっていたのだ。苦味と酸味という、本来ならば不味いと判断できる味しか存在しないというのに、慣れとは怖いものである。
「私、お砂糖を入れないと飲めないものですから……」
「ははっ。クララはまだまだ子供だな」
「もうっ、お義兄様!」
むー、と頬を膨らませるクラリッサの態度が、もう可愛くて仕方ない。
というか、むしろそういう反応をしてほしいがためにブラックコーヒーばかり飲んでいたのだ。だというのに、長女のヘレナといい次女のアルベラといい三女のリリスといい、リクハルドが何を飲もうとも全く興味を示さなかったので、きっと未だにブラックコーヒーばかり飲んでいるとは知らないのではなかろうか。
本当に、リクハルドが妹にしてほしい反応を全部やってくれるクラリッサである。
「お、着いたな。ここだ」
「……………………ここ、ですか?」
「ああ。良かった、今日はやっているな」
ぎぃっ、と扉を開いて、中に入る。
すると、そのように入ってきたリクハルドに対して、給仕である女性たちが立ち上がり、頭を下げた。
そして、一斉に声を揃えて。
「お帰りなさいませ、お兄様!」
「うむ」
クラリッサは何も言えなかった。
ただただ、意味の分からない店名と、意味の分からない店員の態度と、ごく自然にそれを受け入れるリクハルドに、心から戸惑うだけである。
ガングレイヴ帝国王都、中央商店街から道一つ入ったところで、ひっそりと営業されている。
妹喫茶『ときめき☆シスターズ』に対して。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます