第13話 クララは不機嫌
「それでは、行ってらっしゃいませ、お兄様!」
「うむ、ありがとう」
「……」
クラリッサと連れ立って、妹喫茶『ときめき☆シスターズ』を後にした。
やはり、実に良い店である。店の従業員は若い娘が多く、その全員が客である自分を兄だとして接してくれるのだ。もっとも、あくまで喫茶店であり疑似恋愛のできる酒場というわけではないため、会話をするのも入店時、商品を持ってくるとき、何か金銭を払ってゲームをするとき、あとは退店時くらいのものである。
とりあえず「お兄様」と呼んでもらえれば、それだけで気持ちいいリクハルドにとって、これ以上落ち着く店はない。
だが。
「……」
クラリッサは、無言だった。
運ばれてきたパンケーキにメープルシロップをかけるときには、「一緒に美味しくなる魔法の言葉を言ってね!」と従業員が目をキラキラさせながら言っていたのだが、クラリッサは一言も何も言わなかった。それほどパンケーキが嫌いだったのだろうか。いや、嫌いならば頼むはずがないのだけれど。
ふむ、とリクハルドは首を捻る。
どうやら、クラリッサがあまり楽しめる店ではなかったのかもしれない。
「あー……クララ」
「……はい、お義兄様」
不味い、と本能が警告する。
これは、ヘレナやアルベラやリリスが、行き過ぎたリクハルドの行動に対して目を細めるときのテンションである。光を失った細めた眼差し、ただ軽蔑と不快感だけを込めた視線――いわゆる、『ジト目』である。
何をそれほど、不快に思うことをしたのか――そう妹喫茶『ときめき☆シスターズ』での自分の行動を振り返るが、別段普段と変わらないことしかしていない。
運ばれたコーヒーを従業員が「お兄様、ご一緒にまーぜまぜって言ってくださいねー」と言われるのもいつものことだし、『声だけで妹当てゲーム』に関しては百発百中の実力を誇る。『お兄様目隠しゲーム』も戦場で鍛え上げた第六感を用いれば容易いことであるし――と振り返ってみるが、やはり普段と同じである。
だが、クラリッサは何故か怒っているように思える。
そして、怒っている妹に対しては絶対に頭が上がらないリクハルドである。
どうすればいいのだろう。
「えーと……これから、どこか行きたいところとか……」
「……いえ、別に」
「そ、そうか。それじゃ……どこか、公園にでも……」
「……」
空気が重い。
妹喫茶『ときめき☆シスターズ』に入るまでは自然に繋いでいた手も、クラリッサが敢えて握ってこない。多少こちらから向かっても、あっさりと避けられてしまう。
一体何が悪かったのか――必死に悩むが、分からない。
「えーと、だな……クララ……」
そして、基本的に頭を使うことが苦手な家系に育ったリクハルドに、できることはただ素直に謝罪をすることである。
つまり、直球。
「……怒っているのなら、理由を教えてくれ。俺は、クララを怒らせるようなことを、しただろうか?」
「……」
変わらず、クラリッサはジト目である。
だが、これ以外に方法がないのだからどうしようもない。
クラリッサはじっとリクハルドを見て、それから小さく溜息を吐いた。
「……いえ、申し訳ありません。お義兄様」
「は? い、いや、何を謝……」
「私が……ちょっと、期待しすぎてた、みたいです」
「え、えっ?」
クラリッサの言葉の意味が分からず、リクハルドは眉根を寄せる。
だが、クラリッサはそれ以上、何も言ってこない。
そして、これ以上は不毛だとばかりに、その足を屋敷の方へと向けた。
「クララ!」
「――っ!」
思わず、その細いが筋肉質な腕を掴む。
そして、それと共に振り返ったクラリッサは――涙目、だった。
泣かせてしまった――そう、強い後悔がリクハルドの心を覆い尽くす。妹に喜ばれる真似はしても、決して悲しませるような真似はしないと誓っていたはずなのに。
「ど、どうしたんだ!?」
「だって……お義兄様は……妹ならば、誰でもいいん、ですよね……」
「え……?」
そこで、ようやくリクハルドのあまり賢くない頭にも、正解が思い浮かんだ。
妹喫茶『ときめき☆シスターズ』は実に楽しい場所だ。だが、リクハルドはあくまでほんの気分転換くらいにしかあの店に行くことはない。勿論、夜の街に嵌る部下のように、女の子に対して貢ぐようなことはしないのだ。あくまで、あの店の中では妹になってくれるという分別くらいはついている。
だが、そんなリクハルドの態度が、クラリッサを傷つけたのだろう。
それも当然。
クラリッサがレイルノート侯爵家の屋敷に住むようになってから今まで、ヘレナは宮廷にいるしアルベラは他領にいるしリリスは隣国にいる。今までずっと――リクハルドの妹は、クラリッサだけだったのだ。
だから、ずっと。
リクハルドが特別扱いしていたのは――クラリッサだけだった。
「すまない! クララ!」
「え……」
「違う! い、いや、違わないんだが!」
「……ですよね」
だが。
何の反論も思い浮かばない。実にその通りである。リクハルドの愛は妹に向けるものが全てなのだから。
クラリッサが養子として妹にならなければ、何の興味も持つことはなかっただろう。少し高めの値段を払うだけで、妹に扮してくれると喫茶店ですらリクハルドの愛は発動するのだ。
妹であれば、誰でもいい。
実に、間違っていない。その通りである。
「い、いや、だから、俺は……!」
ううん、と必死に頭を回転させるが、何も浮かばない。
どうすれば怒るクラリッサを宥めることができるのか――今まで、兄として慕われてこなかったリクハルドの史上、こんな風に怒られたことなど一度もないのだ。
大抵怒ってくるのが「兄上べたべたしすぎです」とかであるため、少し機嫌を直してもらえれば済む話だったというのに――。
「俺は、世に遍く全ての妹を愛しているんだ!」
「……」
「血の繋がりだとか、そんなもの関係ない! 兄として妹を守ることこそが全てだ! そこに愛を与える差異など存在しない! そうだろう!?」
「……」
そんな、リクハルドの叫びに。
クラリッサは。
「お義兄様のばかああああああああ!!!」
「何故っ!?」
背を向けて泣きながら、屋敷に向かって走り去っていった。
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