第11話 昼食
鍛冶屋でひとまず用件を済ませたため、まずリクハルドはクラリッサを連れて、食事に行くことにした。
時間的にはちょうど昼といったところだ。朝食はしっかり食べているけれど、しかし人間である限り昼には小腹が空くのが当然である。
「ひとまず、昼飯にするか」
「は、はい」
「とりあえず……そうだな。何か食べたいものとか……」
うーん、と頭の中にある行きつけの店を色々と考える。
基本的に金欠であるリクハルドは、こんなときに案内できるお洒落な店などを全く知らないのだ。大抵はがやがやとうるさい定食屋だったり、あまり治安の良くない場所にある安い居酒屋だったり、といったところである。ステイシーと飲みに行くときも、大抵はそんな安い居酒屋ばかりなのだ。
だが、ここはちゃんとお洒落な店に案内しなければならないだろう。何せ初デートだ。ここで躓いては、二度と誘いに乗ってくれない可能性がある。
「あ、あの、お義兄様……」
「ん? そうだな……それじゃ、肉料理の店とかで……」
とりあえず、頭の中にある一番まともそうな店を選択する。
あまり安い店ではないため、それほど利用することはない。だが、以前にステイシーが奢るから来いと言ったときに、迷わず選択した店だ。
自分だけで食べるのならば絶対に行かないが、今日はアントンから貰った金貨もあるし大丈夫だろう。
だが。
クラリッサはおずおずと、その両手に持ったバスケットを、出した。
「あ、あの……つ、作って、みたのですけれども……」
「え……?」
「や、やっぱり、ご迷惑でした、よね……あまり、お義兄様に、お世話になってばかりもいけないと思って……厨房の方にお願いして……こ、こんな風に作ったのは、は、初めてなのですけど……」
「……」
「ご、ごめんなさい。お、お屋敷に戻ったら、私、一人で食べ……」
クラリッサが、申し訳なさそうにそう、体の後ろにバスケットを隠す。
リクハルドは何も言えず、ただ、震えていた。
その可能性は、全く想定していなかった。クラリッサがちゃんとリクハルドのことを想って、そんな風に昼食を作ってきてくれるなど、可能性として全く考えていなかったのだ。
ゆえに。
リクハルドは――心の底から、震えた。
「うおおおおおおおおおお!!!」
「ひぃっ!? お、お義兄様!?」
「はああああああああああ!!!」
「あ、あの!? ど、どうなされたのですか!?」
「うああああああああああ!!!」
「お、お義兄様! 周りの迷惑です! み、みんな見てます!」
「……」
ひとしきり叫んで、それからリクハルドはこれ以上ない笑顔で、クラリッサを見た。
それは――まるで悟りを開いた修道士のような、慈悲深い笑みで。
「すまない、クララ」
「は、はい……?」
「あまりの感動に、叫ばずにいられなかった」
「どういう理由なのですか!?」
「愛する妹が、俺に昼食を作ってくれる……これは、夢か?」
「お義兄様! 夢ではありません!」
あまりの感動に、どこか別の世界へ意識だけ飛びそうなリクハルドが、頭を押さえながら壁にもたれかかる。
そして、無駄に見た目だけは良いリクハルドは、そんな『妹の手料理に感動してしまって心から震えている』という謎の心境であっても、その姿は絵姿で売られていてもおかしくない程度には男前だ。実際に、そんなどこか憂いをまとったリクハルドの姿に、そこを通りがかった婦人が数名胸をキュンとさせた。
されど、誰にどのような秋波を送られようとも、リクハルドの目にはクラリッサしか映っていない。
「あ、あの……で、では、お昼は、これで……?」
「ああ。俺にとって、何よりのご馳走だ。クララが心を込めて作ってくれた、俺のための昼食……それ以上の素晴らしい食事があろうか。いや、ない!」
「そ、それほど期待されても……」
リクハルドのあまりにも大きすぎるリアクションに、むしろクラリッサは戸惑っていた。
あくまで、クラリッサはリクハルドの財布に迷惑をかけないように、という理由だけで作ってきたのだ。だというのに、これほど感動されると思うはずもない。
ひとまず、そんなリクハルドは周囲を見回して、考えるように腕を組んだ。
「よし、公園に行くとするか」
「は、はい」
「芝生がある。そこで座って、一緒に食べよう」
「わ、わかりました」
リクハルドが再び、クラリッサの手を取って歩く。
そんな無理やりに繋がれた手であるけれど、しかしクラリッサは拒絶することなく握る。むしろ嬉しそうに恥ずかしそうに、頬を染めながら。
程なくして、到着したのは小さな公園である。
中央公園などの、それなりに大きな規模の公園にでも行った方が良かったかもしれない。だが、リクハルドが次に行こうとしている場所から、この公園が一番近いのだ。それに、小さいだけあって人はあまりおらず、中央公園のように観光客の姿もない。ちょっとお弁当を食べるには穴場と言っていいだろう。
「このあたりでいいか」
「は、はい。ご用意しますね」
名残惜しくも繋いだ手を離して、リクハルドは芝生の上に座り込む。
そんなリクハルドの隣で、クラリッサが膝をついてバスケットを開いた。
中に入っているのは、色とりどりのサンドイッチだ。
ハムと野菜を挟んでいるものや、茹でた卵を挟んでいるもの、チーズと肉を挟んでいるものなど、その種類は様々である。
ごくり、とリクハルドは喉を鳴らす。
「それじゃ、いただきます」
「は、はい」
そんなサンドイッチの一つ――ハムと野菜を挟んだそれに、手を伸ばして口に運ぶ。
もぐもぐ、とそんなサンドイッチを咀嚼し、そしてリクハルドは恍惚の笑みを浮かべた。
妹が、その手で作ってくれたサンドイッチ。
そこには、どんな言葉でも表現することのできない『妹の愛』という調味料が存在する。そして、そこに妹の愛が存在する以上、全ての味はかき消されるのだ。
「うまい……!」
「は、はい。あ、ありがとうございます」
「世の中に……これほど、美味いものがあったのか……!」
「そ、そんな! 大袈裟です、お義兄様……」
リクハルドの言葉に、しかし嬉しそうに頬を染めるクラリッサ。
そしてリクハルドは一つ、二つ、と続けてサンドイッチを口に運ぶ。肉とチーズを挟んだものも、妹の愛が滲み出て美味い。茹でた卵を挟んだものも、妹の愛が全てを上回って美味い。総合的に、実に美味い。
リクハルドが食べる姿を見ながら、クラリッサは幸せそうに、水筒からお茶を入れてリクハルドに差し出した。
「どうぞ、お義兄様」
「うん、ありがとう」
「私も食べます。いただきます」
ちゃんと手を合わせてそう言って、クラリッサがサンドイッチを口に運ぶ。
そして、ハムと野菜の挟まれたそれを口に運び、二度ほど咀嚼して。
「ぶっ!」
「む? どうした、クララ」
「げほっ! げほっ! み、水……!」
思い切り噎せ込んで、クラリッサがお茶を口に運ぶ。
そして、信じられないとばかりに、手に持ったサンドイッチと、バスケットのサンドイッチ、そしてリクハルドを見た。
「も、申し訳ありません! お義兄様!」
「……どうした?」
「し、塩が、こんなに効いてるなんて思わなくて……! や、やっぱり、ボナンザに手伝ってもらえば……! こ、これ以上、無理して召し上がらないでくださいませ!」
「いや、美味いが」
もぐもぐと、リクハルドは何の文句も言うことなく、延々とサンドイッチを口に運んでいる。
そんなリクハルドの姿に、クラリッサはきょとん、と目を丸くして。
おずおずと、次のサンドイッチに手を伸ばす。
「え……うわっ、こっち、唐辛子が……! こんなに効くなんて……!」
「うん。妹の愛があって美味いな」
「卵……ああっ、こっちも、塩加減が……もっと少なくしておけば……!」
「うん。こっちも妹の愛があって美味い」
「ハムと野菜……うっ、これも辛い……全部、だなんて……!」
「うん。実に美味いぞ」
クラリッサにしてみれば、とても食べることのできない、味の濃すぎるサンドイッチ。
それを、平気で食べるリクハルド――その理由はただ一つ、それを作ったのが、妹だから。
「お義兄様は……」
「うん?」
「すごい、ですね……」
「ははは。兄をもっと尊敬するがいい」
ゆえに。
クラリッサは、ただ端的にそう言うしかなかったのだが。
リクハルドは、褒められたと気を良くした。
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