第22話 リクハルドの想い
ひとまず、ステイシーへの返事は保留しておくことにした。
いきなりそんなことを言われても対応できないというのが本音である。実際、ステイシーも返事を急かすことなく、「気が向いたらでいいですよ」と言ってくれた。今すぐどうこう、というわけではないことに、心から安堵した。
結局、なんだかんだで爆弾発言が多かったために、酒を飲んでいるというのに酔っ払っている気が全くしない。決してリクハルドは酒に強い方ではなく、むしろ弱くすぐに潰れてさめざめ泣いてしまうのだけれど。
「ふぅ。店を出ると寒いですね」
「……ああ」
「随分元気がありませんね。どうなされたのですか?」
「……お前がそれを聞くかよ」
諸悪の根源に聞かれても困る。
そもそもステイシーが妙なことを言い出さなければ、こんな風に少なからず意識しなくても済んだのだ。普段通りに、妹のことさえ考えていれば幸せなリクハルドでいれたのである。
だが現状、なんだか自分の心に整理がつかない。
ステイシーのことは、頼れる同僚としか思っていなかったのだ。そこに恋愛感情を抱いたことはないし、ステイシーの方もそう感じているとばかり考えていたのだ。
それを、エスティ王国との最前線の防衛中――既に一年も前の戦争から、ずっと自分のことを想っていたと言われても。
「で、どうします? 将軍、うちに来ますか?」
「ぶっ!」
「何をそれほど驚かれるので?」
「お、お、お前な……!」
唐突なステイシーの言葉に、そう動揺してしまう。
確かに以前から、酔い潰れたらステイシーの家で世話になったことがある。さらに、こんな風にあまり酔っていない帰り道など、ステイシーの方から「うちで飲み直しますか」と言い出して一緒に行くことも少なからずあった。
だが、このタイミングでそれを言ってくるのか。
「いえ、別に他意はないですよ。あまり酔っていないみたいですし」
「……お前の方は、随分酔ってるみたいだな」
「おや、わかりますか」
うふふ、とステイシーが笑う。
常に無表情のステイシーだが、こんな風に酒が回ると僅かながら笑顔を見せてくれるのだ。そして、こんな風に笑ったりリクハルドをからかったりするのは、大抵ステイシーが酔っているときだけである。
そのあたりを分かる程度には、付き合いが長いのだ。
「うちに来るのでしたら、まぁそれなりの料理とそのあたりで購入した酒とあと私がついてきますけど」
「酔ってるな。帰れ」
「相変わらず、想定外の事態には弱い人ですよね」
「……」
リクハルドの全てを分かっているかのように、ステイシーがそう呟く。
戦場においてもそうだが、リクハルドは完全な作戦立案を好む。得た情報、こちらの戦力、地形、罠の有無――そのあたりの、斥候の持って帰ってきた最新の情報をもとに分析し、その上で絶対に勝てる作戦を立てるのだ。このあたりは、先代の『黒烏将』であった老齢の将軍、ガイウス・セルエットの影響を大きく受けているのかもしれない。そもそもガイウスが、「勝てる戦しかしようとしない」と他の騎士団から嫌われていたのだから。
彼の副官をし、そのまま『黒烏将』へと就任したリクハルドが、最も影響を受けている相手とも言える。
「あのな、ステイシー……」
「分かっていますよ。将軍がヘタレだってことくらい」
「……」
「まぁ、意識はしてもらえたようで何よりです。今日のところは、それで満足しておくことにしましょう」
ステイシーの思惑が、何も分からない。
そもそも、ステイシーに恋愛感情を抱かれるような真似を、今までした覚えがないのだ。戦場では妹の名前を叫んだり、武器、防具、馬に妹の名前をつけたり、妹への贈り物の手配を頼んだり、どこをどう見ても妹への弛まぬ愛しか見せていない。
そんな中で、ステイシーが何故リクハルドを慕うようになどなったのだろう。
「それでは、私はここで」
「……ああ」
「また明後日に。ちゃんと明日の仕事は片付けておいてくださいね」
「……なぁ、ステイシー」
「はい?」
自分が、弱気だということは分かっている。これほど直接的に好意を示されているというのに、どこか否定したい自分がいるのだ。
何故否定したくなるのか――それは、どことなく罪悪感を覚えてしまうからだろう。
妹を愛していると、ずっとそう叫んでいたから。
ずっと近くにいた、この好意に全く気付いてあげることができなかったこと――。
「俺なんかの、どこがいいんだ?」
「とりあえず顔ですかね」
「お前もかよ!」
「他に何か、女に好かれる要素があると思っているのですか?」
「……」
ない。
とりあえず、今でこそ毛髪に危機を覚えているものの昔は男前だったという、アントンとよく似た顔立ちのリクハルドだ。加えて、文官であるアントンと異なり、体は軍人として鍛え上げたそれである。さらに、大いに母の血なのだろうけれど、大陸最強の弓手と呼ばれることさえあるのだ。
だが、それは全て上辺だけのことである。
真のリクハルドは、妹狂いのヘタレでしかないのだから。
「それでは、また明後日に」
「……ああ」
宿舎に戻ってゆく、ステイシーの背中を見送る。
そして、普段ならばこのまま、リクハルドも自分の家へと戻るだけだ。軍属ということで支給された、一人では持て余す程度に広い宿舎へ。
「……」
だが。
リクハルドは、その足を自分の家に向けず。
何故か――実家へと、向けた。
「……」
理由は、特にない。
夕食は既に済ませたし、このまま家に戻って眠るだけだ。既に夜も更けて、漆黒の闇が帝都を包んでいる。こんな時間に出歩いているのは、夜鷹くらいのものだろう。あとは、リクハルドと同じ飲み屋帰りか。
だが。
なんとなく。
本当に、なんとなく。
無性に――クラリッサに、会いたかった。
ステイシーのことを、意識している自分がいるのが分かる。
そして、軍人同士の婚姻というのはむしろ推奨されていたりするのだ。軍にはそれなりに機密事項が多く、一般人や貴族の娘と結婚をするよりも、機密を共有できる軍人同士の方が情報漏洩の防止に繋がる、というのがその理由である。
ヴィクトルにも、ステイシーと良い仲ではなかったのかと言われた。
軍の中でも、ステイシーとリクハルドが恋仲ではないかと噂が流れているほどだ。
順当に軍人として歩むのであれば、ステイシーとそういう関係になることに、何の問題もない。
「……」
まだ眠ってはいないのだろう、明かりのちらほらと点いたレイルノート侯爵家の屋敷。
その正門で、いつも通りにその扉を開き、中へと入る。普段はもっと早い時間に訪れるのだけれど、今日に限っては勘弁してもらおう。
ごんごん、と玄関先のノッカーを鳴らす。
この気持ちを、理解したい。
クラリッサに対して抱いている、この感情を――。
「はい、どちらさまで……」
「俺だ」
「坊っちゃま!?」
昔から仕えている使用人が、驚いた声と共に扉を開く。
「ど、どうなされたのですか!? このような時間に……」
「入るぞ」
「え、ええっ!?」
使用人の脇を抜けて、そのまま屋敷の中へと入る。
今まで一度も行ったことがなかったけれど、場所だけは知っているクラリッサの部屋。
その扉の前に立ち。
「……うん。大丈夫。私には、リクハルド様がいてくれるから」
そう、扉の向こうから漏れる声を耳にする。
恐らく、鎧に対して話しかけているのだろう。少なからず不安そうな声は、これから宮中侯を継ぐという重圧に耐えているがゆえのものだろうか。
今すぐ。
今すぐ――クラリッサを、抱きしめたい。
ゆえに、意を決して。
「クララぁっ!!」
「――っ!? へっ!? お、お義兄様!? ど、どうして!? い、いやぁっ!」
リクハルドは扉を開き、クラリッサの部屋にそのまま入って。
その中央で、鎧と向かい合っている寝間着姿のクラリッサと。
動揺のせいか、はらりとクラリッサの手から落ちた。
リクハルドとヴィクトルが裸で絡み合っている姿絵を、見てしまった。
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