第25話 『銀狼将』の自白

「……こほん」


「……」


「い、いえ。申し訳ありません。少しばかり、珈琲が妙な場所に入ったようです」


「……」


 ちょっとだけ涙目になりながら、ティファニーがそう呟く。

 よくこのように噎せ込むことを『妙なところに入った』とかいうけれど、実際のところ妙なところではなく気管である。本来飲食物が入るべき場所ではないところに入っているわけだから、妙なところという言い方でもおかしくないのかもしれないが。

 まぁ、現状のところで気にするのは、そんな慣用句の使い方ではない。


 明らかに、何かを知っていそうなティファニーの反応である。


「……お前、何を知ってる?」


「……いいえ、何も」


「答えろ。お前、一枚噛んでるんだな?」


「まさか……何故、私がそのようなことを」


 言いながらも、リクハルドと目を合わせようとしないティファニー。

 常にポーカーフェイスで、全く動じないティファニーであるというのに、このような反応は珍しい。リクハルドでもわかるほど動揺している姿を見たのは、もしかしたら初めてかもしれないと思えるほどだ。

 一体、この女がどう噛んでいるのか。


「さて、休憩代わりでしたし、そろそろ戻らねばいけません。それでは私はこれで……」


「逃がすと思うか?」


「……ちっ」


 そう言いだすだろうと思って、リクハルドは既に出入り口の扉前に立っている。

 この執務室に出入りすることのできる場所は、この扉だけだ。他に出ることのできる場所が存在しない以上、ティファニーに逃げ場はないということだ。

 あとは、リクハルドが納得するまで聞きたいことを聞く時間である。


「……」


「……」


 無言で、睨み合う。

 ティファニーの方もどうやら逃げ場がないと悟ったのだろう。浮かしかけていた腰をゆっくりと下ろし、それからコーヒーを一口含んだ。

 どうやら、ここでリクハルドと舌戦をする覚悟を決めたようだ。


「もう一度聞こう」


「……ええ」


「俺とヴィクトルが、裸で絡み合っている絵姿について、何か知っているか?」


「存じ上げません」


 だが。

 ティファニーは頑なに、そう答える。

 どう考えてもクロであるというのに、決して真実は話さないつもりなのだろう。

 そして、そんな相手に対しての尋問は何度もやったことがある。なかなか口を割らない敵軍の捕虜を、痛めつけたことも一度や二度ではない。

 状況次第では、そんな風に培われてきた拷問技術を使ってもいいだろうか――そう、ティファニーを睨みつける。


「質問を変えよう」


「ええ」


「男と男が裸で絡み合っているような姿絵の、何が楽しいと思う?」


「私には少々分かりかねる質問ですね」


「しかも軍人だ。そりゃ、現在の皇帝陛下のように、線の細い男が絡んでいるのだったらまだ分かるさ。そういうのが好きな女というのも少なからずいるんだろう。だが、俺たちみたいな筋肉ダルマが絡み合っているような姿を見て、何が楽しいんだか。理解に苦しむな」


「……む」


「……」


 にやりと、ティファニーに見えないようにリクハルドは笑みを浮かべる。

 情報を引き出す上で、最も簡単なのは激昂させることだ。相手が怒れば怒るほど、その口は滑りやすくなる。

 敵軍であるならば、敵国を侮辱する。生まれ育った場所を馬鹿にされて、黙っていられる者などいないのだ。そして、こちらは冷静に状況を判断しながら、口が滑りそうな質問を投げかけてゆくのだ。


 そして、ティファニーが男同士の春画について一枚噛んでいるのならば、その激昂させるポイントは簡単だ。

 その趣味の否定である。


「大体、男同士だぞ? そりゃ、若い男なら春画の一つや二つは見るかもしれんが、あくまで男女の交わりだろうが。そもそも性交は、子孫を残さねばならないという本能のもとで行われるもんだ。同性同士でそんなことをやったところで、何の意味もない。それを春画で楽しむとか、もう頭がおかしいとしか……」


「……ぐ、ぅ」


「そういう絵を見て、何をやってんだかな。はぁはぁ言ってんのかね。そういう絡み合っている姿を妄想されている身としては、もう気持ち悪いとしか言いようがないんだけどよ。大体、やることやるんなら、どこに入れるんだ? ケツか? ケツの穴なのか? きったね。そんなもん楽しんでいる奴の気が知れねぇわ」


「……リクハルド」


 ゆらり、と。

 そう、ティファニーが立ち上がる。

 その幼女のような顔立ちに、怒気を孕ませながら。


「貴様……許しは、しない」


「ほう、何故俺を許さないんだ?」


「貴様はガングレイヴ帝都の女を敵に回した!」


「そこまでのことなのか!?」


 帝都の女ってかなりいるのだけれど。

 そもそもそういうのが好きな女を、リクハルドはクラリッサくらいしか知らないのだけれど。もしかすると、ステイシーもそういうのが好きだったりするのだろうか。

 だが、目の据わったティファニーは、ぎろりとリクハルドを睨みつける。


「線の細い男など、この世から滅びればいい!」


「はぁ!?」


「男に求めるのは男らしさ! それがなよなよとした男など、そんなもの男である必要がない! それならば女で構わん!」


「……ほう。それで、お前が男同士の春画を作ったと」


「そうだ!」


 自白成功。あまりにもちょろい。

 だが、激昂しているティファニーは気付いていないらしく、つかつかとリクハルドのもとへ歩いてきて、その胸ぐらを掴んだ。


「その何が悪い!」


「……どういう目的でそれを作ったんだよ」


「私とヘレナ様を両方とも男にして楽しむためだ!」


「……」


「ヘレナ様のあの素晴らしい筋肉、お美しい顔、何よりあの武勇……! どうして、女性なのか! ヘレナ様が男になってくれるのならば、私も男になっていい!」


「……いや、そこはお前女でいいだろ」


 リクハルドが、そう良識的な意見を述べるけれど、ティファニーは全く聞いていない。

 とりあえず、どこからどう流通しているのかを調べなければならないか。


「で、お前どうやってそれ作ってんだよ」


「そんなもの決まっている! 私が伝手に……」


 はっ、と。

 そこで気付いたように。

 油の切れた歯車のように、ぎぎぎっ、と音が立つかのようにゆっくりと、ティファニーがリクハルドを見て。

 その顔中に、書いてあった。

 やばい、と。


「……ええと」


「で、どの伝手からどうやってそれを売っているわけだ?」


「……そんな噂を、聞かないでもなかったと申しますか」


「おい」


 目を逸らし、リクハルドから離れるティファニーの肩を掴む。

 ここまで自白しているのだから、あとはもう最終的な結論を述べるだけだ。だというのに、随分と往生際の悪いことである。

 そんなティファニーは、悲しげに顔を上げ、そして、ゆっくりと左右に振った。


「……申し訳ありません、同士の皆」


「おい、だから……」


「だが、私はこの秘密を明かすつもりはない!」


 リクハルドが油断した、その一瞬。

 ティファニーはするりとリクハルドの腕を払い、一瞬で距離を取り。

 しかし、唯一の出入り口がリクハルドによって塞がれているという現実に。


「さらば!」


「お、おい!? ティファニー!? ここ三階だぞ!?」


 ぱりん、と。

 リクハルドの執務室の窓を、蹴破って。

 そのまま――落ちていった。

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