第34話 縁談(?)

 ファンの娘に会いに行ったら最愛の妹がいた。


 簡潔に言うならば、現在のリクハルドはそんな感じである。正直に言って全く意味の分からない状況だ。

 そんなクラリッサも、リクハルドが来たことが意外だったのか、目を見開いて驚いている。

 まさか、こんな場所で偶然会うとは思わなかった。


「あー……ええと」


「は、はい、お義兄様」


「今日は……その、どうしたんだ?」


 リクハルドとしては、ここで会えて嬉しいというのが本音である。

 だが、普段連れている侍女のボナンザも連れておらず、一人きりだ。こんな店で一人きりでクラリッサがいるなど、どういう状況なのかさっぱり分からないというのが本音である。

 だが、クラリッサはそんなリクハルドの問いに対して、顔を伏せた。


「あ、あの……えっと……」


「あ、ああ……」


「今日は……その……お、お義父様が……」


「……?」


「縁談の相手に、会うように……って」


「……」


 アントン、百回殺す。

 可愛いクラリッサにやってきた縁談を断るでもなく、こんな風に店で一人で会わせるなど何を考えているのだろう。可愛い可愛いクラリッサを、見ず知らずの男に嫁がせるなど下衆の極みにして地獄すら生温い所業である。


「……あ、あの、お義兄様?」


「……」


「ど、どう、なされたんですか……?」


「いや……親父をどう縊り殺すか考えていた」


「どうしてですか!?」


 あれで何気に立場がある男であるため、そう簡単に殺すことはできないだろう。

 だが、どうにかして事故死に見せかけて殺すことができれば、その時点でクラリッサの保護者はリクハルドになるのではなかろうか。そして保護者として一緒に住まなければならないだろうし、そうなれば使用人を除いて二人きりの生活ということだ。もうそれ結婚と判断してもいいのではなかろうか。

 まぁ、国政上アントンの一人や二人いなくなったところで、何も問題あるまい。いざとなればスラム街のいい感じに金で言うことを聞く奴に、多少の小金を与えれば襲いかかってくれるだろう。そして、あの母の夫とは思えないほどに戦闘能力が皆無のアントン程度、それで十分殺れる気がする。


「あ、あの、私は……その」


「その縁談は、受けるつもりなのか?」


「……」


 リクハルドの問いに、クラリッサが黙り込む。

 悲しげに顔を伏せるということは、それが答えにくいことだということだ。そして、縁談を断るつもりならば、笑ってそう言えばいい。それを言えないということは――クラリッサは、この縁談を受けるつもりだということだ。

 恐らくは、レイルノート家のために。

 貴族の淑女として、婚姻は家のために行うもの――そういう認識があるのだ。きっと。


「相手は、誰なんだ?」


「いえ……私も、詳しくは、聞いていません」


「聞いていないのか?」


 そんなクラリッサの言葉に、思わず目を見開く。

 そもそも、相手が誰なのか教えてもらっていない縁談など、怪しいにも程がある。アントンは良縁だと言っていたけれど、あの時点ではアントンも詳しい話を聞いていなかったみたいだし。

 それを、まるで博打のようにクラリッサに向かわせるなど、その正気を疑ってもいいほどだ。


 アントン千回殺す。


「でも……私みたいな女に、来てくれた縁談ですから」


「……どうして」


「これ以上、お義兄様にご迷惑をおかけするわけにも、いきませんから……」


「え……」


 クラリッサが、僅かに涙目になっているのが分かる。

 だが、その心当たりがまるでない。

 迷惑などかけられた覚えはないし、妹からの迷惑は全て己の望みに変わるほどにリクハルドは妹を愛しているのだ。どれほど迷惑をかけられたところで、それを快感に昇華できるのがリクハルドという男である。

 しかし、クラリッサはゆっくりと首を振る。


「私の趣味……見ました、よね」


「ああ……あれか」


「はい。自分でも分かっているんです。決して、万人受けする趣味ではありません。むしろ、嫌う人の方が多いだろう、と」


「……」


 その言葉に対しては、何も言えない。

 リクハルドも詳しく聞いたわけではないが、実際にヴィクトルと自分が裸で絡み合っている絵姿を見たのだ。何も関係のない相手が、それを見ながら悦に入っている姿を見てしまった場合、確かに気色が悪いと思ってしまうのかもしれない。

 だが、リクハルドはクラリッサの望みであるのならば、ヴィクトルと目の前で裸で絡み合ってもいいと思っているほどに理解は示している。本人に断られたけれど。

 だというのに、それがどうして迷惑と繋がるのか――。


「お義兄様は、被害者です。お義兄様がその気になれば、私は……明日には、投獄されてもおかしくありません」


「いや、それは……え?」


「武の頂点である八大将軍に対しての、名誉毀損に問われれば私には何も言い返せません。私のこと、気持ち悪いって思いますよね? 分かっています。でも、今日こうやって普通に話しかけてくれたってことは……私を、捕まえるつもりはないのだと思いました。ですから……せめて、目の前からは姿を消そうと思います」


「ま、待て待て待て!」


 クラリッサの言葉に、思わずそう制止する。

 何故そんな話になっているのだろう。リクハルドにしてみれば、名誉毀損なんて考えはどこにもない。多少変わった趣味だなとは思うけれど、それだけだ。

 捕まえるとか、投獄とか、もってのほかである。何故、愛する妹にそんな真似をしなければいけないのだろう。

 しかも、目の前から姿を消すとか――。


「ど、どうすればいい!? 俺はどうすればいいんだ!?」


「私さえいなくなれば、お義兄様にはもうご迷惑を……」


「迷惑だなんて思っていない! む、むしろ……!」


「え……」


 むしろ。

 リクハルドは、思わず頰が染まるのが分かる。

 クラリッサのずっと隠していた趣味を、初めて知ったあの日。

 リクハルドは何も言わずに、ただ屋敷を後にして、ヴィクトルの部屋を訪ねた。あの時の精神状態は、普段よりも冷静さが足りていなかったのだと思う。

 そんなもの、当たり前だ。

 リクハルドはずっと、妹のことを愛していると公言し続けていた。そして、そんな愛する妹から、自分のことを好きだと言われたことなど一度もない。


 だというのに。

 クラリッサは、本当に自由である自室での時間。

 リクハルドのことを考えていてくれたのだ。

 これほどに嬉しいことが、他にあろうか。


 そう。

 嬉しかった――のだ。


「く、クララ……お、俺が、悪かったのか? 別に、クララの趣味を否定しようと思うわけじゃない! お、俺は……」


「お、お義兄様……?」


「お、俺のことを、毎日のように考えてくれる、それが……嬉しいんだ!」


 リクハルドのそんな言葉に。

 クラリッサの両目に、大粒の涙が浮かび上がるのが分かる。


「わ、私……気持ち悪い妄想ばっかり、しますよ……?」


「してくれ! 俺のことを考えてくれるというだけで、俺は嬉しいんだ!」


「お義兄様を、心の中で、ずっと汚しますよ……?」


「クララの中で汚れていても、構わない! 妹のためならば、どれほどの汚れも俺は厭わない!」


「お、にぃ、さまぁ……」


 うううっ、と感極まったかのように。

 クラリッサが嗚咽と共に、大粒の涙を零す。

 リクハルドは耐えきれずに、そのままクラリッサを抱きしめた。


「クララ」


「は、ひ……」


「嫁になんて、行かないでくれ。ずっと、俺の妹として、一緒にいてくれ!」


「わだしも、ずっと、いっしょに、いたいですぅ……!」


 二人、そう抱きしめあって。

 そしてリクハルドは決意した。


 背中には、愛用の弓がある。

 矢もきっちりと持ってきた。

 そして八大将軍『黒烏将』リクハルド・レイルノートの、その技の冴えは弓。


「クララは、渡さねぇ……!」


 まだ見ぬクラリッサの縁談相手は。

 現れたその瞬間に――この矢で射抜いてみせる、と。

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