第3話 お家訪問 1

 月曜日の朝は、雨だった。


 天気予報によると夕方になっても雨脚が弱まることはないらしく、どことなく憂鬱な気分になる。無邪気に雨雨降れ降れ、なんてはしゃぐような歳でもなければ、濡れた街並みを愛でるような風流も持ち合わせていない。私にとって雨なんか、スニーカーの内側を濡らすだけの迷惑な代物に過ぎなかった。家が学校近くなおかげで、電車通学の生徒たちより歩く距離が短いのが不幸中の幸いだけど。


 左肩に鞄をかけて、右手でビニール傘を差しながら通学路を一人、歩いていく。


 幅の狭い一車線の道路に差し掛かる。この時間、この道はうちの学校の生徒達でごった返している。端によってはいるものの、集団で登校している方々が横並びになっているせいで、ただでさえ狭い道幅が半分くらい埋まっている。車なんて滅多に入ってこないけど、この様子を見たら閉口するだろうなぁ、と他人事のように思う。実際、他人事なんだけど。


「本庄さん」


 唐突に名前を呼ばれて、ビクッと身体が強ばるのがわかった。話しかけられるのに不慣れなせいで、誰かにいきなり呼ばれると眼前で両手をパチって叩かれたときみたいに驚いてしまう。自分の名前を声に出されると、なんともむず痒い気分になるのだ。


 一度小さく息を吸って吐いて、精神をぼっちモードから対人モードに変更。足を止めて首を回して、「何?」と端的に言葉を返す。


「おはよう。ちょっと話、いいかな」


 そこにいたのは、やはりというかなんというか。およそ日本の街並みに似つかわしくない、金髪碧眼の美少女だった。とはいえ制服のセーラー服は意外なほどよく似合っているのだから、不思議だ。やっぱり、美人は基本的に何を着ても似合ってしまうのだろうか。


 ととと、と小走りで私の横まで並んでくる西宮。けど、道を埋めてしまうのに気を使ってか、もう少しだけ前に出た。透明なビニール傘と赤色の丈夫そうな傘が、斜めに並ぶ。


「あのさ、今日って暇かな?」


 首をこっちに傾けながら、西宮が訊いてくる。


 こうして斜めから見ていると、額から鼻、唇、顎に至るラインが芸術品みたいに流麗だった。


 ついジロジロと観察してしまっている自分に気づき、さっと視線を外す。


「まあ、暇だけど」


「そっか、ならよかった。じゃあさ、放課後わたしの家に来ない? というか来てくれない?」


 話の流れからしてどこかに誘われるところまでは予想できていたけれど……、家と来たか。


 でも、考えてみれば当然か。こいつの目的は両親に私との交際を認めさせて、遠回しに許嫁との関係を断つことにあるのだ。これ見よがしに家に連れ込んで私との恋仲を見せつけてやろうとするのは、至極当然の帰結のように思える。


 だけど私、同級生の家に遊びに行くのなんて、小学校低学年のとき以来だぞ。その上、今回は恋人(同性)として振る舞わなければいけないわけで……。少し、いやかなり気が重くなる。


「一応訊いておくけど、親はいるの?」


「うん。お母さんがいる」


 まあ、だよね。そうじゃなきゃ意味ないし。でも、人の母親の前でイチャイチャベタベタするとか、いくらなんでも恥ずかしすぎない? 考えただけでも羞恥心で死にそうなんだけど。


「あ、勿論、無理にとは言わないよ。元々、わたしが強引にお願いしてるだけなんだし」


 渋る私の様子を見て、西宮が予防線のようなものを張ってくる。でも、そういうへりくだった態度を取られると、私としては余計に断りにくく感じてしまう。ここで嫌だと言ったら、こっちが独りよがりで自分勝手の悪者みたいになってしまうように思えて。


「……いや、別にいいよ。行く」


 素っ気ない態度で答える。西宮はホッと表情を緩ませて、ありがとう、と礼を言ってきた。


「じゃあ、放課後お願いね。わたし、案内するから」


 それきり、西宮が顔を正面に戻す。会話が途切れて沈黙が落ちる。パラパラと雨が傘を打つ音と、靴で水を跳ね飛ばす音、それから他の生徒たちの話し声だけが忙しなく響く。


 西宮は私から付かず離れず、少し先を悠然と歩いている。


 なんとなく、居心地が悪かった。もう用もないみたいだし意識の外に追いやってしまえばいいのかも知れないけれど、目の前を歩かれると落ち着かないというか、なんというか。


 いっそのこと走り去ってくれないかな、と思ったりするけれど、遅刻しそうになっているわけでもないのに急ぐのもおかしな話だ。じゃあ、私から足を緩めて距離を取る? それもなんだか、あからさまな感じがして嫌味だと思われそうだし……。


 どうしたものかなぁ、と内心で呻吟していると、そのとき。


「あ、西宮じゃん! やっほー!」


 背後から元気のいい挨拶が聞こえてきた。チラと視線を後ろにやると、同級生の女子が二人、早足で私を追い越していくところだった。


 今、威勢よく西宮の名前を読んだ方が……、ええと、確か真鍋だったっけ。スラリと背が高くて、丁度、西宮と並ぶくらいの背丈。陸上部だからか、スカートから覗く脚は余計な肉が削ぎ落とされてほっそりとしている。髪型は肩上くらいのボブカットで、溌剌とした目元には愛嬌があった。肌は若干日焼けしているけれど、充分、健康的と言える範囲に収まっている。


 その真鍋が、傘越しに西宮の背中をポンと叩く。横を向きながらニカッと笑うと、口元に愛らしいえくぼがくっきりと浮き出た。


「ほらほら真鍋、ここ道幅狭いんだから横に並んだら邪魔になるでしょー? 縦列縦列」


 少し遅れてやってきたのは鶯谷……、いや違う。上野……、いやこれも違うな。ええっと確か……、あ、思い出した。日比谷だ。東京の駅名として記憶していたから、混乱してしまった。


 日比谷は肩下まである髪をくるっと巻いていて、どことなくお洒落な雰囲気があった。面長で垂れ目がちな顔立ちからは、おっとりとした柔和な印象を受ける。でもこうして傍から見ていると仕草はキビキビしているし、存外、しっかりしているところがあるのかも知れない。


 結局、三人はさっきの私と西宮みたいに、斜めに並ぶという折衷案に落ち着いたらしい。私はここぞとばかりに歩みを緩め、前を行く三人から距離を取る。


 この三人は昼食も一緒に取っているし、教室移動のときなんかも纏まって移動している。所謂、仲良しグループというやつだろう。西宮は勿論のこと、真鍋も日比谷も割と見た目が良い方だし、お似合いの三人といったところか。


「そういえばさぁ、もうすぐ文化祭じゃん? 二人共、なんかやりたいこととかある?」


 列の真ん中に陣取った真鍋が話を切り出す。


 もうすぐ? 文化祭って確か九月じゃなかったっけ。まだ六月にもなってないのに、気が早すぎないだろうか。お正月を待ちきれない小学生じゃあるまいし。


「あ、真鍋と日比谷は実行委員だったっけ」


「そうそう。準備にも結構時間がかかるし、そろそろ何やるか決めとかないといけないんだよね。だから案の一つや二つ、考えておかないといけないわけ。なんかない?」


 ああ、なるほど。たとえ本番は九月でも準備やらなにやらで、やらなければならないことは山ほどある。となると、まだ先なんて悠長なことも言っていられないのか。


 しかし、文化祭。……文化祭かぁ。考えただけでも憂鬱になる。何が嫌って、私みたいな意欲のない人間も強制的に参加させてくるのが気に食わない。そういうのは、やりたい人たちだけで勝手に楽しんでいればいいのに。大学の学園祭みたいに。


「うーん、わたしは特にないかなぁ。日比谷は?」


「んー? 私も特段、考えてないかなぁ」


「えぇ⁉ ……うっわー、二人ともノリ悪いなぁ。文化祭に燃えない人生とか楽しいの?」


 余計なお世話だよ。ほっとけ。私に言われたわけではないけど、ムッとしてしまう。


 一見、如何にもつまらなそうな毎日を過ごしている人間だって、そういう奴はそういう奴なりに自分の楽しみを見つけて、日々を謳歌していたりするものなのだ。そうやって表層的な部分だけを論って人生を語るのは、横暴だと思う。


 とはいえ、私はそういう人間の枠にさえ入っていないのだから、論外ではあるのだけど。


「だって、どうせ真鍋は考えてきてるんでしょ? なら、私もそれに便乗すればいいかなーって。私は、真鍋のやりたいことに付き合ってるのが一番楽しいからさー」


 温和な笑みを浮かべながら、長年連れ添った夫婦みたいな物言いをする日比谷。それで真鍋は、おおっ、と感嘆の声を上げて、日比谷の傘の中に強引に入り込む。


「なんだよもー、嬉しいこと言ってくれるじゃん! あたしたち、ズッ友だよ!」


 冗談めかして言いながら、真鍋が日比谷の肩に腕を回す。日比谷の方も満更ではなさそうで、はいはい、なんて言いながら頬をほころばせている。


「まー、伊達に幼馴染やってないからねぇ。君の喜びそうな文言くらい、すぐに思いつきますよと。そーいうこと」


 自分の傘があるくせして、日比谷の傘に入ったままの真鍋。右肩が若干濡れていることには頓着していない。


「ほらほら! 西宮も来いよ!」


「ええっ⁉ わたしも入るの? 嫌だよー、だって絶対濡れるじゃん!」


「固いこと言うなって! 水も滴るいい女って言うし!」


 真鍋がちょいちょい、と西宮のことを手招きする。西宮は私といるときとは打って変わって、表情も明るげだし心なしか声量も上がっているように思える。端的に言うと、楽しげだった。


 当たり前か。私とは友達じゃないけど、この二人とは友達なわけだし。


「というか、ここは私の傘の中なんだけどー? どーして、日比谷が我が物顔で手招きしてるのかなぁー?」


 むむぅ、とジト目になりながら日比谷が真鍋のことを肘で小突く。


「えー? だって、日比谷のものは私のもので、私のものは日比谷のもの、でしょ?」


「でしょって、そんな約束した覚えはないよー? 別にいいけどさぁ」


 日比谷が軽く肩を竦めて、言葉を続ける。


「そういうわけだから、西宮もおいでー。三人で入るには、ちょっと手狭だけどね」


 今度は日比谷自身が西宮のことを手招きする。


「え、それ本気で言ってる? ……うーん、まあいっか! それじゃ失礼して――、って、やっぱり濡れるじゃん! 真鍋、もうちょっと端に寄ってよ!」


「え、ちょっと待って! そんなに押されたら半分以上、外に出ちゃうって!」


 西宮と真鍋が楽しげに言い合っているのを、日比谷はまーまー、と柔らかい声で抑える。


「なんかこのままだと二人共濡れちゃいそうだし、走っていこうか。ほら、行くよー」


 いきなり走り出す日比谷。「あ、待ってよ!」と言いながら西宮と真鍋も後に続く。


「……仲いいなぁ」


 なんてことを呟きながら、私はちんたらと雨に濡れたアスファルトの上を歩いてく。うちの高校は小高い丘の上に立っていて、通学路のラストは急な上り坂になっている。そこを全力ダッシュで乗り切るのは難儀すると思うのだけど。


 坂の中腹辺りで三人に追いついた。真鍋はともかく日比谷と西宮が息切れしたらしく、肩で息をしながら非常にゆっくりとした足取りで坂を登っている。案の定といったところだった。


 追い抜きざま、ちらりと横目に三人のことを見る。


 と、西宮が恥ずかしいのを誤魔化すみたいな苦笑いを向けてきた。二人の手前、変に反応するのも躊躇われて、気づかぬふりをして足早にその場から立ち去った。


 ……ちょっと不躾だったかな。愛想笑いくらい返したほうが良かったのかな。なんてことをうじうじと考えながら。

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