第31話 ゴロゴロカーンといかなくて 3

「あれ、そうだったの? じゃあ、何か悩みとか?」


 京子がぐい、と顔を近づけてきて、私の目を覗き込んでくる。例の、清水みたいに透き通ったライトブルーの瞳で。ドキリとして、思わず軽く身を引いた。


「ま、まあ……、そんなところ、かな。大したことじゃ、ないんだけど」


「ふぅん。わたしでよければ、相談に乗ろっか? 力になれるかはわからないけど」


「え? ……ううん、大丈夫。気持ちだけ受け取っておく」


 小さく首を横に振る。そう言ってくれるのはありがたいけれど、生憎、京子に話せるような内容ではないから。


 そっか、とだけ返すと、京子はあっさりと身を引いた。話題からも、物理的にも。


「……ねえ、京子。あのさ、もしもの話なんだけど」


 でも私は、別に相談するつもりはなかったのに、気づけばそんな前置きを口にし始めていた。


「もしも京子が誰かに対して、何か悪いことをしちゃったとするじゃない? 自分としては謝らなくちゃ駄目かなって思ってるんだけど、でも相手はそのことに気づいてないの。だから、正直に懺悔して真実を伝えたら、逆に相手のことを傷つけちゃう。……そんなとき、どうすればいいと思う?」


 語り終えるとともに、疑問に思う。なんで急に、こんなこと訊いちゃったんだろう。詳細を話してない以上、京子が適格な答えを導き出してくれるわけはないのに。


 自分で自分のした行動の理由がわからず、今更ながら戸惑う。


「んー、そうだなぁ……」


 京子が思案顔を浮かべながら唸る。


 私は手元に目線を落としながら、大人しく答えが返ってくるのを待った。


「わたしは、謝ったほうが良いと思うけど」


「……やっぱり、そう思う?」


「うん」


 前を向いたままの私とは反対に、京子は私の横顔をじっと見据えながら言ってくる。


「でもそれは、相手の人のためじゃないよ」


「え? どういうこと?」


 言っている意味がわからず、気づけば首を横に向けていた。


「だから、相手の人のためじゃなくて、柳のため。わたしは正直、相手側からしてみれば、隠し通せるのなら隠し通してくれたほうが良いと思うよ。でもさ、それって結構、辛いでしょ?」


「それは、そうだけど……」


 単純に嘘を露呈させないという意味でもそうだし、もっと精神的な部分でもそうだ。謝らないというのなら、罪の意識をずっと抱えたまま生きていかなければならないわけで。少し大仰な言い方だけど、要は、白木と顔を合わせる度に後ろめたさを覚える羽目になってしまう。


 それは中々、気が滅入る話ではあった。


「柳はさ、そういう罪の意識みたいなものを一人で抱え込んでるのが辛いから、わたしに話してくれたんでしょ? なら、その方が良いんじゃないかなって」


 ハッとして目を瞠る。そっか。そういうことか。私は、白木に対する罪の意識を自分だけで背負い込むのが辛いから、こうして部分的に京子に話を打ち明けたんだ。懺悔の真似事をして、少しでも気を楽にしたくって。京子に指摘されたことで、ようやく気づいた。


「まあ、詳しいことはよくわからないけどさ。やっぱり謝れるんなら、謝っておくべきだと思うよ? そっちの方がスッキリするし」


「……うん。わかった。ありがとね、京子」


「いーえ。でも、柳は偉いなぁ。投げ出したくなることでも、そうやってちゃんと悩んで」


 偉い偉い、と言いながら京子が私の頭に掌を置く。あまりに唐突な出来事に「ふぇ……⁉」と情けない声で驚いてしまう私。


「ちょ……、ちょっと、京子……⁉」


 赤面しながら、勢いよく京子の方に目を向ける。けど京子はにこやかな顔つきで、私の髪の毛を梳くようにして頭を撫でてくるだけだった。きゅ、急になんなんだ、こいつ……!


「ん? 嫌だった?」


「え……? べ、別に、嫌とかそういうわけじゃ、ないけど……」


 でも何故か京子の腕を振り払う気に離れなくて、されるがままになってしまう私。伏し目がちになりながら、大人しく頭を差し出し続ける。


「だよねー。だって柳、甘えたがりだから」


「あ、甘えたがりって……っ!」


「違うの?」


「ちがっ……、わなく、なくないかもだけど……っ」


 いくらなんでも、この状況で否定しても説得力が皆無だ。形勢が悪くなり、不満げに唇を尖らせる。……むぅ。なんか気に食わない。


 本当、京子はいつもこうだ。こっちが恥ずかしくなるようなことを不用意にやってきて、気づけば赤面させられている。でもそのくせして人並みに、いや、人並み以上に不器用なところもあって、そのせいで放っておけない気分になって。気づけば、こんな関係性になっていた。


 改めて、京子という存在の特別さを思い知る。これまでもこれからも、京子の代わりになるような人間と出会うことは絶対にないだろう。まあ、そりゃそうか。金髪だし。美人だし。可愛いし。なのに何故か、私のことを見てくれてるし。こんな人間が二人といてたまるものか。


「ねえ、柳」


 些か改まった声色だった。同時に、頭を撫でていた手も止まる。


 上目遣いに様子を窺ってみると、京子は視線を斜め下のあたりに伏せていた。


 珍しく切り出しづらそうにしている京子に、少し戸惑う。何か大事な話でもあるのだろうか。


「なに? どうしたの?」


 固まったみたいになってる京子の右手を一旦どかして、素直に京子と向き合う。どこまでも端麗で秀麗な、芸術品じみた精緻な美貌。いつもはこっちが視線を逸らすところなのに、役割があべこべになっている。まあ、たまにはそれもいいか。やられっぱなしとか、癪だし。


「えっと。柳ってさ、中学のときの文化祭とか……、何してた?」


「別に、何もしてなかったけど。出席取った後は適当に抜け出して、本読んでた」


「……ふぅん。回ったりとか、しなかったの?」


「してないよ。一緒に回る相手とかいなかったし」


 ああいうのは共に見て回る友達がいるからこそ楽しいのであって、一人寂しく出し物を冷やかしたって、特段、愉快ではないだろう。というかそもそも、一人でブラブラしていたら変に思われそうで嫌だ。「あいつ友達いないのかな? 可愛そー(笑)」的な。余計なお世話だ。


「じゃあさ。……もし、一緒に回る誰かがいたら、普通に楽しんでたりした?」


「え? んー、どうだろう。経験ないから、よくわからないや」


 でも多分、あんまり楽しめなかった気はする。周りに合わせてテンション上げて、楽しんでるフリするのも疲れるし。やっぱり私は一人のほうが基本的に気楽だから。


 だけど、今となってはこうも考えてしまう。もしも、私の隣に京子がいたらどうだったのかなって。他の誰かとなら気疲れするだけだとしても、相手が京子ならそんなこともないのかも、なんて気がしなくもなくない。


「あのさ、柳」


「うん」


 なんだかやけに決然とした表情を浮かべていたので、軽く身構えてしまう。なんだろう。何言われるんだろう、私。


「……当日、一緒に回らない?」


「――え?」


 最初、自分が何を言われたのかわからなかった。しばし呆然と見つめていると、京子は慌てたように軽く目を泳がせながら、言い訳じみた文言を口走り始める。


「あ、もちろん、柳がよかったらでいいんだけどね……! もし、気が向いたのなら、どうかなって思ったんだけど……!」


「回るって、私と京子で? 二人で?」


「う、うん、そう」


「でも、真鍋とか日比谷とかは?」


「あの二人は、実行委員の仕事があって忙しいから。それで、どうせなら柳と回りたいなーって思ったんだけど……、どう、かな? まあ、元々あんまり空いてる時間ないけど……」


 京子が気恥ずかしいのを誤魔化すみたいに、人差し指で頬を掻く。ここまできて、私はようやく状況を理解した。


 これってつまり、誘われてるってことだよね? 京子が自分から、私と一緒にいたいって言ってくれてる。他の誰よりも、私の隣にいることを優先してくれている。誰に頼まれたわけでもなく、自分の意志で。そういうことで、いいんだよね?


 ……ふぅん。そっか。そうなんだ。


「まぁ、京子がそうしたいっていうんなら、いいけど」


 ふい、とそっぽを向きながら素っ気ない声音で答える。だらしなく緩んだ口元を、京子に見られるのが嫌だったから。


「本当? ……よかった。じゃあ当日、お願いね」


 京子が吐息混じりに言う。


 いつもは気負うことなくサラッと可愛いとか言ってくるくせに、こういうときはちゃんと緊張するんだ。でも、京子のそういうところは嫌いじゃない。なんとなく卑近に感じるというか、親近感を覚えてしまって。京子にそういう側面があることで、安心してしまう自分がいる。


 でも、そっか。今年は私も、誰かと一緒に文化祭を回れるんだ。正直、まったく興味がなかったと言えば嘘になるし、こうして京子と共に見て回る約束をできたのは満更でもなかった。単純に京子の方から誘ってきてくれて嬉しい、というだけでなく。


「さ、それじゃあそろそろ、再開しない? 柳からだよ」


「そうだね。やろう」


 ソファから立ち上がって、ボールを手に取る。そうして再び、二人でごろごろかーん、とボールを投げる作業に戻る。心なしか、ボールを投げる腕が軽くなった気がする。互いにスコアが向上したのは、慣れただけの話なのか。そうではないのか。


 なんにせよ先程から気分が弾んでいるというか、心が晴れやかになっているのは確かだった。素直に言葉にするのは照れくさいけれど、京子から私のことを求めてくれたということが、誘ってきてくれたということが、嬉しかった。


 だけどそれはそれとして、白木には一度、ちゃんと謝らなければならない。人としてそうすべきというのもあるし、京子からも言われたし。


 右手にボールを持ちながら、レーンの手前で構える。


 奥に並ぶ十本のピンを一睨みしてから、大きく右腕を振りかざした。


 勢いよくボールを放つと、それは真っ直ぐゴロゴロとレーンの上を転がっていき、カーンッと気持ちのいい音を響かせながら全てのピンを跳ね飛ばした。人生初の、ストライクだった。


「おー、やるじゃん柳」


 背中から、京子の感心したような声が聞こえてくる。画面上のストライク、という表示を見て頬が緩む。遊びとは言え、上手くいくと気持ちがいいものだった。


 それを見て、思う。


 ごめんね、白木。……私、酷いことした。


 今度、顔を合わせたときには絶対に謝ろう。改めて、そう決意した。

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