第29話 ゴロゴロカーンといかなくて 1

「――や、おまたせ。待った?」


「あ、ううん。大丈夫。今、来たところだから」


 嘘だった。実を言うと、やけに心が浮き立ってそわそわしてしまうばかりだったので、今から三十分前には待ち合わせ場所の駅前に来ていた。恥ずかしいから言わないけど。


 今日の京子の私服は、意外にも可愛い系だった。デニム生地のジャンパースカートに、白いブラウスを合わせていて、夏らしい爽やかな雰囲気があった。そして何より極めつけは――


「あ……、髪の毛、結んだんだ」


 三編みの二つ結びにした、髪だった。その上に被ったキャップも相まって、美人の京子にしては珍しく子供っぽい可愛らしさで満ちていた。細い絹糸みたいな金髪が強い日光を照り返して、キラキラと輝いている。


「うん。あのままじゃ蒸れるしね。どう? 似合う?」


「う、うん。可愛い……、と、思う」


 つい目を伏せてしまう私。どもらずに可愛いって伝えられないのが、もどかしい。でも京子は私の内心での葛藤なんてどこ吹く風と言った様子で、ありがと、と涼やかな笑みを浮かべる。


「柳も可愛いよ。それじゃ、行こっか」


「あ……、う、うん。そうだね……!」


 不意打ちで可愛いと言われて、思わずたじろぐ。京子に置いていかれないよう、私も慌てて歩き出した。夏休みの駅前は、平日の昼過ぎでもそこそこの人で溢れている。時間を持て余した学生たちは勿論のこと、スーツに身を包んだ社会人の姿も意外と目立った。


 隣を歩く京子のことを、チラリと見やる。相変わらず、真っ白な肌。かくいう私も基本、家にこもりっぱなしだから焼けてないのだけれど、私の肌の白さと京子の肌の白さには何か、根本的な違いみたいなものがあるように思えてならなかった。


「いやー、今日も暑いね」


 額に滲む汗を拭いながら、京子がぼやく。うん、と相槌を打ち、それで会話が途切れる。


 何か言おうかな、と思ったけれど……、やめにした。


 私と京子は、どちらも饒舌な方じゃない。お互いに沈黙が苦にならないというか、無理して喋らなくてもいいからこそ、こうして隣を歩くのが心地良いと思えるわけで。


 二人並んで、夏の焼けたアスファルトの上を歩いていく。


 商業ビルの隙間から真夏の眩しい太陽が顔を覗かせるたび、目を細めた。


 どこからともなく降り注ぐ蝉時雨に、夏だなぁ、という当たり前の感慨を抱く。


 程なくして、入り口のてっぺんに巨大なボウリングのピンが乗っかっている建物に差し掛かる。そこそこ年季の入った、上というよりも平面に広い建造物だ。壁面に赤いローマ字で、ボウリングセンターと記されている。


 合宿の日の夜、私達は結局、ボウリングに行く約束をした。夏だし屋内なのは問答無用で確定で、となると選択肢はカラオケ、ボウリング、映画、水族館くらいしかなかったのだけど、カラオケは私が人前で歌うの苦手だし(というか歌える曲が殆どないし)、映画はあまり面白そうなのがやってなかったし、水族館はなんというか、その、デ、デートじみてないかなぁ……、と思ったので、消去法でボウリングになった。


「ふぅ、やっと着いた」


 京子が右の掌で顔をバサバサと仰ぎながら呟く。暑いのは私も同じなので、二人して強烈な陽光から逃れるように、そそくさと建物の中へと入った。


 自動ドアが開いた瞬間、冷房の効いた涼しい空気がゆったりと流れ込んできた。


 思わず「あぁ……」とか声が出てしまう。砂漠でオアシスを見つけたときみたいな気分だった。いやまあ、そんな経験ないんだけど。


 ボウリング場の入り口付近には、クレーンゲームとかワニの口をぶっ叩く有名なゲームとかが陳列された、ちょっとしたゲームコーナーがあった。そこを素通りして階段を登ると、ボウリング場に出る。右手にズラッとレーンが並んでいて、左手に受付のカウンターがある。


 夏休みだし学生で賑わっているのかな、と思ったのだけど、そんなことはなかった。


 見たところ若者の客は一組だけで、残りはご老人の団体客だ。十人くらいで集まって、和気藹々とボウリングに興じている。投げるところを横目に見ていると、結構上手くておぉ、と感心した。多分、老後の楽しみ的なやつなのだろう。


 早速、受付のカウンターに向かおうとしたところ、京子に肩を掴まれた。突然のボディタッチに若干ドキッとして、汗臭くないかなとか心配になりながらも、なに、と振り向く。


「受付用紙、こっちだよ」


「……受付用紙?」


 思わず首を傾げる。え、わざわざそんなの書くの? てっきり、受付に行ってお金を払えば、それでいいのかと思っていたのだけれど。


 京子に腕を掴まれながら、記入用の台のところまで連れて行かれた。用紙にガリガリとペンを走らせている京子のことを脇から眺める。


「はい、柳も書いて」


「あ、うん」


 京子からペンを受け取る。適当に上から必要事項を埋めていって、途中で手が止まった。


「……ねえ京子。ニックネームって、何なの?」


 あまりにも不可解な項目に思わず眉をひそめる。


 なんだこれ。なんで見ず知らずの人間に対して、渾名なんか教えないといけないんだ。


 というかそもそも、私は友達いないから渾名なんてないよ悪かったな。


「いや、ゲームのときに表示される名前のことだけど」


 あ、もしかして、天上からぶら下がってるあのモニターに表示される名前のことだろうか。


 なるほど、と私が一人で納得していると、京子が胡乱な面持ちで私のことを見てきた。


「あのさ。もしかして柳って、ボウリング初めて?」


 その発言に、ギクリとする。あー……、と曖昧に言葉を濁らせながら視線を泳がす。


「いや、そんなこと、ないけど……。小学校低学年のときに一回、家族で行ったことあるし」


「それ、行ったことないのとほぼ変わらなくない?」


 返す言葉もなかった。う、と口ごもりながら小さく首肯する。


「……だって、しょうがないじゃん。私、友達いないし。中学のとき、クラスの打ち上げとかで誘われても断ってたし。行く機会がなかったんだもん」


「あー、そっかそっか。そういうことなら、わたしが手取り足取り教えてあげよう」


 京子がやけに楽しそうに言う。なんだか小馬鹿にされてる気がして、私は少しムッとした。


「別にいいよ。ボウリングのやり方くらい、言われなくてもわかるし」


「あ、そう。じゃあ柳、靴のサイズ教えて」


「え、靴? なんで?」


 戸惑っている私に対し、京子がやっぱり、と言いながらケラケラ笑う。


「ボウリングって専用のシューズ借りるんだよ。わからないなら、強がらなくてもいいのに」


 勝ち誇ったような笑みを浮かべる京子。


 悔しいけど知らなかったのは確かだし、私はむぅ、と唇を尖らせることしか出来なかった。


 その後も、ボールには種類があるから好きな重さを選ぶんだよとか、この穴に指を入れて持つんだよとか、京子はボウリング素人である私に懇切丁寧に説明してくれた。くれたのだけど。


「あ、そうだ。ボウリングってあのピンを倒すゲームなんだけど、わかる?」


「いや、そのくらいは知ってるよ……!」


 流石にこれは、ナメられてるよね? ナメられてるというか、遊ばれてる?


 じとーっとした目を向けると、京子は楽しそうにニヤニヤ笑いながら、ごめんごめん、と謝ってくる。まったく誠意が籠もっていない。……こいつめ、素人だからって馬鹿にして。


「まー、とにかく始めてみよっか。とりあえず私からね」


 京子が私より一ポンド重いボールを手に取って、レーンの前につかつかと歩いていく。


 一投目で六本倒して、二投目で二本倒していた。京子の反応を見るからに、まずまずくらいなのだろうか。……ところで、ボウリングって二回まで投げられるんだ。知らなかった。


 でも京子には黙っておこう。言ったら、絶対喜ばれるし。

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