第14話 触れて、傷つけて、近づいて 3

「……ごめん京子。さっき、押し付けがましいこと言っちゃって。忘れて」


 膝の上をじっと見つめながら、謝罪の言葉を口にする。白木のお願いを反故にすることにはなるけれど、確約をしたわけではないし、白木としても京子に無理をさせるのは本意ではないだろう。だから、これでいい。いや、これじゃなきゃ駄目なんだ。


 というか考えてみれば、私が最初からあの申し出を断っていればよかったんだ。京子がやりたがってないんだから、別のアプローチを考えたほうがいいって。


 今更ながら自分の行動の至らなさを思い知り、後悔がじわじわと押し寄せてくる。人生というのは得てしてそういうものなのかも知れないけれど、もう少し上手くやれないものかなぁ、と。つい、そんな詮方無いことを思ってしまう。


「――いや、謝らなくていいよ。わたし、やっぱり受けるから」


「え……?」


 その一言で、私は勢いよく首を真横に向けた。そんな私とは反対に京子は顔を正面に向けたまま、平然とした面持ちを浮かべている。しばらくの間、私は何も言うことが出来なかった。


「……受ける? 受けるって、何を? 役を?」


「うん。白雪姫役。まあ、よく考えたら別にいいかなって。心底、嫌ってわけでもないし。わたしが引き受けることで何もかもが上手く回るんなら、それで――」


「ま、待って……! 駄目! 駄目だよ、そんなの……!」


 衝動的に京子の言葉を遮った。無意識に身体は横に乗り出して、京子の左手に自分の右手を重ねていた。一瞬、京子が驚いて目を瞠る。でもすぐに取り澄ましたような面持ちに戻って、上品で大人びた、鷹揚な仕草で小首を傾げた。


「どうして柳がムキになるのよ。いいよ、本当にそこまで嫌なわけじゃないから。それに、ああいうのもやってみれば意外と楽しそうだし。だから、ね?」


 まるで子供を諭す教師みたいな、やけに優しげな語り口だった。顔つきも穏やかで、でもだからこそ、本心を韜晦しようとしているのが見え透いていた。


 ……ああもう、なんなんだよ、こいつ! さっき、自分で言ってたじゃん! 私は京子に何も求めてないから、自然体でいられるんだって! 肩肘張らなくてもいいんだって! それなのに、あからさまに強がったりなんかするんじゃない……っ!


 要するに京子は今、私ではなくここにいない同級生たちの思い描く、望む自分であろうとしているんだ。それで、やりたくもない役を受けるなんて言い出した。ああもうなんなんだよ、それ! 私はもどかしい気持ちになって、京子の澄んだ両目を至近距離からキッと見据える。


「柳? どうしたの?」


「どうしたもこうしたもない……っ! 今、京子の目の前にいるのは私でしょ⁉ なら他の奴らのことなんか考えないでよ! 二人っきりなんだから私のことだけ考えててよ……っ!」


 勢い任せに言い募ったせいで、軽く息が切れる。


 京子は私の剣幕に気圧されてか、パチクリと目をしばたたいている。そうしていると、黄金色の長い睫毛が際立って見えた。場違いだけど、本当に美人だなって、改めて思った。


 今更、京子の顔があのときと同じくらい間近にあることに気づく。どちらかがあと数センチ近づけば、額と額がくっついてしまうくらいの距離。けど今は、内側から湧いてくる別の情動に全身を支配されているせいで、不思議と例の感覚はやってこなかった。


 一度、はぁー、と大きく息を吐き出して仕切り直す。


「そういうことなら、私もやる」


「え? やるって……、何を?」


「だから、役。私も京子と一緒にやる。京子だけに押し付けるなんて、絶対に嫌」


 自分でも、一体なにが私をここまで無駄な行動へと、ポリシーの対極にある行動へと駆り立てるのか、わからなかった。でももしかしたら、京子が私とダブって見えたからかも知れない。


 小学生の頃の私は今みたいに人間関係を断ってはいなかったし、無駄なことをしないだなんて信条も掲げていなかった。普通に友達もいたし、同級生と話もすれば一緒に遊んだりもした。


 理由は全くわからないのだけど、小学生の私はよく人に頼られた。相談事を持ちかけられたり、当番を変わるようお願いされたり、物を壊した同級生から一緒に謝りに行ってくれと懇願されたり、色々と。良いように使われていた、とも言えるかも知れない。


 私は、それらの頼みをよっぽどのことがない限り引き受けた。理由は……、そういう性格だったと言ってしまえばそれまでだけど、断って落胆されたり、失望されたり、嫌われたりするのが怖かったとか、そういう心理が働いていたように思う。


 そしてその結果、私は何もかもが面倒くさくなった。要は、人間が煩わしくなった。


 まあ、当然のことだ。何から何まで他人に付き合い続けていれば、自分という存在はおのずから希薄になって、磨り減って、薄っぺらくなっていく。その喪失感や空虚さは、中々に耐え難いものがある。自分という器の中にぽっかりと虚ろな空洞ができてしまって、叩けば情けない音しか出てこないし、そよ風に煽られただけでも吹き飛ばされそうになってしまう。


 そう考えると、中学入学と同時に私が本という武装を手にし、応答も淡白にして、人間を遠ざけるようになったのは至極当然のような気がしてくる。だってそうでもしなければ、あのまま自分が消えて無くなってしまうように思えたから。その恐怖、寂寥と言ったらない。


 今の京子は、どこか小学校時代の私と重なるところがあるようにも思えて。それで、なんだか居ても立っても居られない思いがしたのかも知れない。確証はないけれど。


 私と京子は、しばし無言のまま近距離で見つめ合った。或いは、睨み合った。ざぁざぁという雨の音だけが、静止した空間の中を縫うように、控えめに響き渡っていた。


「……あははっ!」


 沈黙を破ったのは京子の方だった。相好を崩して哄笑しながら、楽しそうにお腹を抱えている。その急激な変化に、今度はこっちが呆気に取られる番だった。ずずいと乗り出していた身を引きながら、ちょっと、と眉をひそめながら抗議する。


「なんなの、急に笑いだしたりなんかして。私、面白いこと言った覚えないんだけど」


「いや、こんなの笑うに決まってるじゃん……! だって、意味わかんないし! やるなって言ったそばから自分も一緒にやるとか! いやどっちだよ、って感じだし!」


 あはははは、となおも笑い続ける京子。う、確かに脈絡なかったのは否定できないけど……。


「というかなに? 二人きりなんだから私のことだけ考えろー、とか。なんか、本当の恋人みたいな台詞じゃん。柳、付き合ったら嫉妬深いタイプでしょ」


「はぁ……⁉ こ、恋人みたいって、別にそんなんで言ったわけじゃないし……!」


 指摘された途端に恥ずかしくなってきて、頬へ急激に朱が差していくのがわかった。慌てて否定する。というか、そうやってからかってくるの、性格悪いよ……!


「それに私、嫉妬深くなんかないし! むしろ執着しないタイプだから!」


「えー、うそうそ、絶対ない! 嫉妬とか独占欲とか、どう考えても強いでしょ!」


「だから、そんなことないって……!」


 ついムキになって言い返す。なんだかこのままじゃ泥沼になる気がしたので、適当に咳払いしてから、それより、と普段どおりのテンションで話を仕切り直した。


「結局、どうするつもりなの? さっきも言ったとおり、私は――」


「――いいよ、やろうやろう!」


 京子が衒いのない自然な笑みを溢しながら、つんのめって言う。思えば、京子がこんなふうに気取りなく笑ってるところを見るのは、これが初めてだったかも知れない。


「柳もやってくれるならね。柳の白雪姫役とか、ちょっと見てみたいし!」


「そっか。ならわか……、って、ちょっと待って⁉ なんで私が白雪姫役になってるの⁉」


 話の流れからして、白雪姫役は京子じゃなかったのか。


 狼狽する私を余所に、京子はいやいや、と顔の前で手をブンブン振る。


「だから言ってるじゃん、わたしより柳のほうが可愛いって。大丈夫、似合うよ」


「か、可愛いって……、だから、そんなこと……」


 可愛いの一言が飛び出したことで、気勢を削がれる私。しばし抵抗を試みたものの、結局、京子に丸め込まれてしまった。……もしかして、私ってちょろい?


「……はぁ。もう、わかったよ。私がやればいいんでしょ、私が」


 暗澹たる気分、とまではいかないけれど、憂鬱気味なため息がこぼれ出る。京子がやけに満足げな表情でよろしい、とか言う。……まったく。どう考えたって、京子の方が適任なのに。


「でも、それじゃ京子は何の役やるの?」


 魔女って柄でもなさそうだし。というか、白雪姫って他にどんなキャラがいるんだっけ。よく覚えていない。あとは王子と鏡と……、そのくらい?


「ん? 王子だけど?」


「……は?」


 しばし絶句。ぽかん、と口を半開きにしたまま固まってしまった。


「待って。今なんて?」


「だから、王子役。性別はー、まあ、問題ないでしょ。宝塚リスペクトってことで一つ」


 飄々とした態度で嘯く京子。確かに、白木本人が王子役をやる魂胆だったわけだし、なんとかなるとは思う。思うのだけど、でも白雪姫って確か最後……、キス、するんだったよね?


 私が? 京子と? ……するの、キス? うわちょっと待てマズいだろそれは⁉


「ん? どうしたの? いきなり赤面なんかして。まあ、ある意味いつものことだけど」


「い、いやだって……! 京子が王子役ってことは、私……」


「あ、もしかして」


 何かに勘づいたかのように、京子がニヤリと口角を釣り上げる。どこか妖艶な目つきになった京子にジロリと眺められ、つい後ろへ下がってしまう。


「別に大丈夫だよ、本当にキスするわけじゃないんだから! そんなこと気にするなんて、乙女だなぁ……! やっぱり、柳の方が適役だったね。わたしの目に狂いはなかった」


 うんうん、と両腕を組みながら大仰に首肯する京子。


 そういう問題、なのかなぁ……。でもなんにせよ、今更、断ることなんか出来ないし。京子を焚き付けたのは私でもあるわけだし、責任持って一緒にやるしかない、か。


 なんか、さらに厄介な状況になっちゃったな。私、演劇なんて人生で一度もやったことないよ? それなのにいきなり主役とか、気が重いどころの話じゃない。


 既に沈鬱な気分になっている私とは対照的に、京子はなおも楽しそうにニヤニヤしてる。


「……まぁ、いいか」


 そんな京子の姿を見ているうちに、無意識に口からこぼれ出ていた。おいおい。本当にいいのか、私? ……まぁ、いいのかな。私はともかく、京子は満更でもなさそうだし。


 でもそれはそれとして、白木になんて説明しよう。あっちからしてみれば、寝耳に水どころの話じゃないだろうし。ミイラ取りがミイラに、とは少し意味が違うか。


 気苦労の種は増えてくばっかりで、尽きることはないのだった。頑張れ、私。

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