第23話 猫パワー
白木に連れて行かれたのは空き教室ではなく屋外、具体的には校舎の裏だった。
影になっているから直射日光からは逃れられているけれど、蒸し暑いことには変わりない。早くも吹き出し始めた汗にうへぇ、と嫌悪感を覚えつつ、何故外なのかと問いただす。
「だって、暑さで気が紛れない? そのぶん、余計なことを考えないで済むっていうか」
「ああ、それはあるかも」
それに後舎裏なんて特段、誰も足を踏み入れないから、人に見られているという意識が教室よりも少ない。そう思うと、意外に悪くない選択なのかも知れなかった。蝉がうるさいけど。
もわっとした夏の風に頬を撫でられつつ、なんとはなしに空を見上げる。突き抜けるような色濃い青をバックに、白々とした細切れの雲がゆったりと浮いている。
それを見て、ああ夏だなぁ、と。そんな、漠然とした感慨を覚える。
「本庄さんは、たとえ劇であっても人に向かって好きっていうのが恥ずかしいんだよね? それで、上手く言えないってこと?」
「まあ、そういうこと……、なんだと思う」
私は、真鍋みたいな人種とは違うんだ。好き、なんて口の中がむず痒くなるような台詞、人間相手に吐いたことはない。要は、免疫みたいなものがないのだろう。
思えば私は昔から、自分の思いや感情を他人に伝えることが不得手だった。それは好意的な感情だけに留まらず、否定的な、底意地の悪いものも含めて。小学生の私は、嫌いな相手だろうが好きな相手だろうが、別段、態度を変えることなく同じような振る舞いで接していた。
つまるところ私は、誰かを特別扱いすることが苦手なのだ。だから、たとえ演技であっても好きと言うことが出来ない。対人関係の未熟さが、悪い方面で如実に現れてしまっている。
「そういうことなら、人間以外で臆面なく好きって言えるものを、思い浮かべてみたら?」
「人間以外?」
発表のときに聴衆をキャベツだと思え、みたいなあれだろうか。ぶっちゃけ、子供騙しな気がしてならないけれど、白木の表情を見るにあっちは至極真剣だ。わざわざ付き合ってもらっておいて「え? やだ」とは言えないし、一応、真面目に考えてみる。
「そうだなぁ……、強いて言うなら、猫?」
「あ、もしかして本庄さんって、猫飼ってるの?」
「うん、飼ってる。サバ白」
「そうだったんだ、私も飼ってるんだよね。茶トラなんだけど。写真見る?」
「あ、見る見る。私のも見る? というか見て」
唐突に猫の写真鑑賞会が始まる。私も白木も、画像フォルダの中身は大半が猫だった。
猫の話題になると、自分の愛猫の写真を見せたくて仕方なくなるのは、猫飼いの性だ。
一通り互いの猫の写真を見せあったところで、本筋に戻る。京子の台詞を白木が代わりに読む形で、練習を進めていった。脳内に思い浮かべるのは、最愛の猫の姿だ。うん可愛い。
すると、なんということだろう。意外なことに、すんなりと甘ったるい愛の言葉を口にすることができた。子供騙しとばかり思っていたけれど、効果は覿面だったらしい。
「……あ、なんか、普通に言えた」
よかった、と白木が控えめな笑みをこぼす。それにしても、こうして近くで見ていると、白木は肌が白い。京子ほどではないけれど。多分、私と同じで室内にこもりがちなのだろう。
「でも、ごめんね。わざわざ付き合っちゃって貰って」
「ううん、気にしないで。私、シナリオだから。このくらいやって当然だよ」
白木が平然と答える。それきり会話が途切れた。
しばし、二人並んで校舎に寄りかかりながら、ぼーっと蝉の大合唱に聞き入る。
「……なんかさ。白木って結構、気合入ってる感じするよね。真剣っていうかさ」
気づけば、そんな言葉を口にしていた。言ってから、少々驚く。誰かと喋るのなんて面倒くさいし、普段なら疑問に思ったところで絶対に飲み込んでいたはずなのに。
夏の暑さで脳みそが茹だっているせいだろうか。頭と口が直結してしまったらしい。
「あ、うん。……私さ、実は前々から、こういうのやってみたかったから」
私同様、白木の声も少しぼーっとした感じがする。いつも以上に覇気がないというか。
「へぇ、そうなんだ。意外」
「私って文芸部なんだけどね、こんなふうに話作ったりするの、好きなんだ。中学の文化祭のときもやってみたかったんだけど、そのときは勇気が出なくて。だから内心、今度こそはって決めてたんだ」
「へぇ……」
聞き流しているというわけではないけれど、暑さのせいで自然と気の抜けた返事になる。
でも、問題ないだろう。京子母曰く、こんなんでも聞き上手らしいし。
「うん。勿論、西宮さんのこともあるけどね」
白木の声に、少しだけ生気が戻る。さり気なく横に目線をやると、白木の頬は僅かに紅潮しているような。どっちの意味でかは、わからない。両方かもしれない。
「あ、それでね。実はまた、本庄さんにお願いがあるんだけど……」
白木が小動物じみた控えめな面持ちで、私のことを上目遣いに窺ってくる。
またお願いか、と思わなくもないけれど、わざわざ練習に付き合ってもらった以上、無下にすることはできない。なに、と白木に続きを促す。
「実は私ね、夏休みの間に一回くらい、西宮さんと遊びに行きたいなって思ってるんだけど」
おお、要するにデートか。いきなり二人っきりで外出とは、中々に積極的なところがある。これも、京子に思慕を寄せているが故だろうか。恋は人を変える、というやつなのかな。
「夏休みの最後の一週間は練習があるでしょ? それに加えて個人的に帰省する予定もあって、私、二十日から二十四日までの間しか空いてないんだ。西宮さんに、その期間でフリーの日がないか、さり気なく訊いてみてくれないかなって」
思ったよりも楽そうな依頼だった。そのくらいなら、渋るようなことでもないか。
わかった、と了解の意を示す。
「でも、誘うときは結局、自分から声をかけるんでしょ? だったら、始めから自分で訊いたほうが早くない?」
白木のお願いを受けるのが面倒くさいというわけではないけれど、自然とそんな疑問が浮かんだ。白木は、う、とばつの悪そうな顔つきになる。
「それは、そうなんだけど……。勇気出して誘ったのに予定が合わなかったりしたら、メンタルへのダメージが凄そうだなぁ、と……」
白木が誤魔化すように苦笑しながら、頬を掻く。
それもそうか。いくら恋は人を変えると言ったって、その変化はプラス方向だけじゃない。行動が積極的になるぶん、心はより繊細に、傷つきやすくなっていく。そうやって、人間はバランスというものを取っているのかも知れない。
「なるほどね。わかったよ。適当に、頃合いを見計らって訊いてみる」
「ありがとう、助かる。それじゃ、そろそろ教室に戻ろうか。皆待ってるだろうし、暑いしね」
白木が寄りかかっていた校舎から背中を離す。私も頷き、お互いに気持ち早歩きで冷房の効いた教室を目指して歩みを進めた。
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