第22話 好きなんて言えなくて

 教室に着くと、他の面子は既に揃っていた。練習をしやすいようにか、椅子と机は掃除のときみたいに教室の後ろに寄せてある。


 ちなみにメンバーは、私、京子、真鍋、日比谷、それから役者ではないけど演技指導役として白木が、後は……、えっと、女子が三人。顔は覚えているけど、名前は忘れた。……まあ多分、問題ないだろう。存外、名前覚えてなくてもなんとかなったりするものだし。うん。


「しっかし、こうして見てると本当に女子しかいないなぁ」


 うちって女子校だったっけ、と顎に手を当てながら真鍋がぼやく。


「男子としては、女子ばっかりのところに入っていくのは、気が引けるんだろうねー。ま、私はこれで構わないけど。とにかく、まずは読み合わせ、始めよっか」


 日比谷の呼びかけで練習が始まる。私としては正直、気が重い部分も多いのだけど、文句ばかり言っているわけにもいかない。内心の不安や不満は脇に置き、淡々と読み合わせを進める。


 半分くらい終わったところで一旦、練習を中断した。それで、白木が順々に演技の講評や注意を述べていく。一人、また一人と私の順番が近づいてくる。


「本庄さんは、意外と上手かったかな」


 そうして私の番になる。何を言われるのかと気が気でなかったところ、白木がサラリとそんなことを言ってきたので、軽く拍子抜けした。


「え? そう?」


「うん。あ、意外ととか言ったら失礼か。でも何にせよ、読み方とかは悪くなかったと思う。ただ、声がちょっと小さかったから問題はそこかな」


 う、そこを言われると弱い。正直、大きな声を出した経験なんて長らくないし。


 ……あ、いや待て。京子相手には何回か出した覚えがある。でも、あれは感情的になってしまったが故だし、意図的にやるとなると全くの別問題か。


「そういえばわたし達、始める前に発声練習とかしなかったよね」


 京子が思い出したかのように言う。それで一同、ハッとした。


「あー、そうだった。ごめん、私が早々に始めようなんて言ちゃったから」


「いいよ、気にしないで。私も忘れてたから。最初だし、取り敢えずはこれで良いんじゃないかな? 発声練習とかは、午後の練習を始める前にでも改めてやれば」


 落ち込む日比谷に、白木がさり気なくフォローを入れる。


 その姿を見て、思った。何だか今日の白木はいつもよりハキハキしているというか、日頃、教室で見せているようなおどおどした気弱な雰囲気が鳴りを潜めている。眼鏡のレンズ越しに覗く両目も、ぱっちりと見開かれているように見えた。


 やっぱり、好きな人の前だから気合が入っているのだろうか。


 京子のことをさり気なく一瞥すると、目が合った。


「ん? どうかした?」


「ああいや、別に、何も……」


 慌てて誤魔化そうとする私に対し、京子は何故かニヤリとした笑みを浮かべる。


「へー、柳ってば、何もないのに私のこと見てきたんだー」


「……は、はぁ⁉ なんで、そういうことになるのよ⁉ 別にそんなんじゃ……!」


「違うの?」


「ち、違くない、けど……」


 上手い反駁が思いつかず、ごにょごにょと口ごもる。


 うー、なんかムカつくなぁ、こういうの……。京子の掌の上で踊らされてる感じがあって、すっごく気に食わない。


「なんかさぁ、本庄って西宮の前だと雰囲気違うよね」


 真鍋からの唐突な指摘に、勢いよく正面を向く。


「え……⁉ そ、そんな、ことは……」


 なくなく……、なくないか。一応、自覚くらいはある。他の面々と接しているときと京子と接しているときには、差があるってことくらいは。それも、割と露骨に。


「というか二人って、いつの間に仲良くなったの? なんか、気づいたら親密になってた覚えがあるんだけど。何がきっかけ?」


 恋人(偽)がきっかけです。なんて、正直に答えられるわけもなく。


 私は助けを求めるように、チラリと京子のことを見やる。すると、京子はわかってますよ、と言わんばかりに小さく首肯して、「まあ色々」とか言って適当に誤魔化した。


 正直に話されるよりかはマシなんだけど、ああしてしたり顔されるのも、それはそれで癪に感じてしまう私なのだった。我ながら面倒くさいと思う。


「まー、なんにせよ、仲がいいのはよろしいことじゃないですか。さ、それじゃーそろそろ、続きやろっか。本庄さんは、今くらいの声量でよろしくねー?」


 日比谷が練習の再開を呼びかける。穏やかな顔立ちや声質をしているけれど、やっぱり、意外としっかりしたところがあるらしい。


 で、後半部の練習が始まったはいいのだけれど。


「……ま、待って。ごめん、無理。本当に無理マジで無理」


 印刷した台本で赤らんだ顔を隠しつつ、ぶるんぶるんと首を振る私。


 紙越しに、全員があー……、って感じの視線を向けてきている気がして、益々いたたまれない気持ちになる。本当、何やってるんだ私。


「うーん……、ここまでは結構、上手くいってたんだけどなぁ……」


 台本のラストシーンの部分を眺めつつ、白木が悩ましげな表情を浮かべる。それで更に申し訳ない気分になって、もう無理お家帰ります、とか言ってしまいそうになる。


「でも、そこまで恥ずかしがるようなこと? このくらい、あたしと日比谷は頻繁に言い合ってるけど」


「言い合うというよりかは、一方的にって感じだけどねー」


 軽く肩を竦めて、真鍋のことを横目に見る日比谷。その瞳には、他の人相手には決して向けないような色合いが込められている気がした。


「うるさーい! 細かいことは気にするな! 日比谷、大好きだーっ!」


 唐突に愛の告白をしながら、日比谷に横からぎゅーっと抱きつく真鍋。体格差のせいか、日比谷の頭が真鍋の首元の辺りに押し付けられている。日比谷は「はいはい」とため息混じりに言いながらも、嫌そうな雰囲気はない。この二人、本当に仲いいなぁ。


 要するに私はラストシーンの、女であることを告白した王子に対して投げかける愛の台詞が、こっ恥ずかしくてまともに読み上げられないのだった。


 自分が小学生じみたことを言っている、という自覚はあった。これは白木の書いた台本を読み上げているだけで、私の本心じゃない。それは周りも自分も、重々承知している。


 それなのに、いざ台詞を声に出して見ようとすると、決まって上手く言葉を口にすることが出来なくなってしまう。京子の投げかけてくる台詞が、自分が声に出す文言が、頭の中で妙な存在感を醸し出してしまって。


 ……ああもう、何やってるんだ、私。これじゃまるで、私だけが京子のことを変に意識してしまっているみたいじゃないか。


「とにかく、こんな感じのノリで一思いにエイッて言い切っちゃえば良いんだよ。ほら、同じようにやってみて。何事も練習、練習!」


 真鍋が日比谷の肩に顎を乗せながら、簡単に言ってくる。


 え、えぇ……? 今のやるの? 私が、京子に? 抱きつきながら大好きだー、って?


 恐る恐る京子の方へと視線を向ける。京子も私の方を見てきて、無言のまま「やるの?」と目で問いかけてきているのがわかった。


 ひとまず、脳内でイメージしてみる。「京子、大好きーっ!」とか言いながら、私が京子の胸にダイブしている姿を。そんな私を京子は満更でもなさそうな表情で抱きとめて、「もうしょうがないなぁ」と抱きとめながら頭を撫でる。京子があの細い指先でそっと髪の毛を梳いてきて、「柳は髪の毛が綺麗だね。可愛い」とか耳元で囁いて――


 いやいやいや、無理でしょ⁉ こんなの、どう考えたって無理でしょ⁉ というか、私はなに一人で妄想を膨らませちゃってるの⁉ 馬鹿じゃないの⁉


 みるみるうちに赤面していくのを感じつつ、やっぱ無理、とぶるんぶるんする私。


 それを見て、真鍋がんー、と悩ましげに唸った。


「まさか、本庄にこんな一面があるとはなぁ……。どっちかっていうと、真顔のままクールに好きとか言っちゃうタイプだと思ってたよ。本庄って実は結構、可愛い奴なの?」


「え、別にそんなことはないと思うけど」


 そこまで言われる筋合いはないので、冷静に反駁する。それから、ふと気がついた。


 あれ。今、真鍋、可愛いって言ったよね? それなのに、どうしてこんなに平然としてるんだろう。京子に可愛いって言われたときは、頬が熱くなって身体の芯がカアッと熱くなるような、あの奇妙な高揚感に襲われてしまうというのに。


 もしかして、相手が京子じゃないから? 京子に可愛いって言われると嬉しいけど、京子以外から可愛いって言われてもどうでもいいってこと?


 ……え、なにそれ。唐突に脳内に湧いて出た疑念に、愕然としてしまう。だって、それじゃあまるで、私が京子のことを――、ぶるんぶるんぶるんっ!


 ヘビメタのヘッドバンキングばりの勢いで、脳みそをぶん回す私。さっきまで脳裏に浮かんでいた言葉が、遠心力で遠くにふっ飛ばされていくのがわかった。よし、これで問題ない。


「あれ、思ってたより重症?」


「かもねー」


 真鍋と日比谷がぼやく。……問題ない、のか?


 なんとなく悶々とした気分になりながら、京子のことを横目に見る。改めて美人だと感じた。性別とかの垣根を超えた、根源的な美しさを湛えているような気がする。


 京子は別格というか特別なのだという事実を、否応なしに思い知らされた。


 要はそういうこと、なのかな。よくわからないけれど。


「とにかく、わたしと練習してみよっか。何度も言ってるうちに、慣れてくるかも知れないし」


 気を使って、京子が口元に笑みを浮かべながらそんな提案をしてくる。それで、ばつの悪い思いになった。周りに気を使わせてしまっていることがわかって。


「……ごめん、迷惑かけちゃって」


「いいよいいよ、気にしないで。たまには、わたしからも何かしないとね」


 そんなわけで、その後もしばらく最後のシーンを練習していたのだけれど、一向に改善することはなかった。失敗の回数が重なる度に、内心の焦りが増していく。どうしよう、早くなんとかしなきゃ。私、皆に迷惑掛けてるのに。けど、焦れば焦るほど舌と唇が辿々しくなるばかりで、悪循環に陥っているのが自分でもわかった。焦燥感と羞恥心。その二つに両側からぎゅうぎゅうと板挟みにされて、心身が押し潰されていくような心持ちがする。


 ……もうやだよ。こんなの、やりたくない。こんな恥ずかしい思い、したくない。私、なんでこんなことやってるんだろう。もう辞退しちゃいたい。今ならまだ間に合うんじゃない?


 そんな投げやりな思いが沸々と胸中に浮かんできて、この場から走って逃げ出したくなる。皆に迷惑をかけているのが気まずくて、ただ息をするだけでも呼吸器が傷つけられていくような錯覚をする。教室内の空気が、知らぬ間に毒ガスに置き換わってしまったような息苦しさ。


「――ねえ、本庄さん。一回、私と二人きりでやってみることにしない?」


 出し抜けに白木がそんな提案をしてきた。


「……あ、うん」


 半ば放心状態だった私は、思考することなく自動的に肯定の言葉を口にしていた。


 白木に面倒をかけるのは申し訳ないけれど、こうして私一人が時間を浪費してしまうのはもっと心苦しい。私としては、ありがたい提案だった。


「どうせなら別の場所でやろっか。他の人がいるとやりづらいでしょ?」


 言いながら、白木が扉に向かって歩き出す。冷房の効いた教室から出るのは嫌だけど、他のメンバーの目が気になるというのは確かだ。大人しく、白木の後についていく。


「頑張ってね、柳」


「……うん」


 最後に京子とそんなやり取りをしてから、サウナのように蒸し暑い廊下へ足を踏み入れた。

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