第4話 お家訪問 2

「それじゃ、準備できたら行こっか」


 放課後、数少ない持ち物を鞄にぽいぽいと放り込んでいると、唐突に声をかけられた。


 顔を上げると、西宮が意気揚々の体で正面に佇んでいる。未だ教室に残っている面々が、何事かと私達のことをジロジロと観察してきて落ち着かない。


 なんせ私は、日頃から必要最低限の会話しかしない、ぼっちなのだ。明らかにクラスの中で孤立している人間に、西宮みたいな金髪美少女が話しかけているともなれば、訝られるのは無理もない。珍しい取り合わせどころの話じゃなかった。


 ……西宮め、恨むぞ。声をかけてくるなら、せめて校門を出てからにしてくれればよかったのに。ん、と控えめに相槌を打ち、手早く帰り支度を済ませる。真鍋と日比谷がいなかったのは不幸中の幸いだろうか。いたら、声かけてきそうだし。


 そそくさと教室を後にして、学校を出る。外は相変わらずの雨模様だった。大抵の生徒は部活やら予備校やら寄り道やらに勤しんでいるので、下校時刻直後の通学路というのは閑散としている。私と西宮の間には特にこれといった会話もなく、縦に並んだまま黙々と駅を目指す。


 西宮の最寄り駅には、乗り換えを一回挟んで三十分ほどで到着した。海にほど近くて商業施設や高層のオフィスビルなんかが立ち並ぶ、この辺では比較的発展した地域だ。


「うち、こっちだから」


 駅を出て、赤色の傘を開きながら西宮が左手を指差す。西宮の後に続いて、見慣れない街の中を歩いていく。


 五分ほど歩いて住宅街に差し掛かったところで、西宮が唐突に私の横に並んできた。


「ねぇ、腕組もっか」


 私は面食らって、思わず足を止めた。出し抜けに何言い出すんだ、こいつ。


「ちょっと、なに驚いてるの? このくらい当たり前でしょ、恋人なんだから」


 西宮が軽く下唇を尖らせながら、私のことを例の水鏡みたいな瞳でじっと見つめてくる。ぐい、と顔を近づけてくるものだからなんだか気恥ずかしくなって、私は一歩後ろに下がった。


「いやでも、何もこんなとこから腕を組まなくたって……」


 歯切れ悪く口ごもる私に、京子はなおも顔面を近づけてくる。


 ああもう、だから近いって……! そういうの苦手だって自分で言ってたくせに……!


 こうして間近で見ると、やっぱり西宮は凄く綺麗だ。私の方が可愛いなんて言ってたけど、あんなの絶対嘘っぱち。こんな、フランス人形じみた美少女より私の方が見目麗しいなんて、どう考えてもありえない。この美人め。


「だからって、家の前に着いた途端、これみよがしに腕組むのも変でしょ? それに恋人としての距離感っていうか、心構えみたいなのも作っておかないといけないし」


「そ、それはそうかもだけど……」


 え、えぇ……。本当に腕組むの? 確かに、昨日の時点でやっちゃってはいるけど、改めてやるとなるとだいぶハードル高いっていうか……。


 私がオロオロと逡巡していると、西宮がぐいっと私のことを抱き寄せてきた。


「ちょ、ちょっと、西宮……⁉」


「いいから、早く傘閉じて。相合い傘して行こう? 大丈夫だよ、今この辺、誰もいないし」


「で、でも……」


「それから、西宮じゃなくて京子ね。私も柳って呼ぶから。わかった、柳?」


 互いの髪が触れ合うくらいの距離で、西宮改め京子が念を押してくる。


 ……仕方ない。こうなったら覚悟を決めて、本気で恋人のフリをするしかないか。


 私は抵抗するのを諦めて、大人しく腕を組んで相合い傘をしながら、京子と一緒に雨降りの街を歩きだす。当然、距離は近い。服越しに京子の体つきを感じてしまって、落ち着かない。


 というか京子の髪の毛、やっぱりサラサラだ。こうして間近で見ていると、まるで金色の砂みたい。それに、ほんのりいい匂いがしてくるし。……ああもう、やっぱり恥ずかしい。


 つい、そわそわと忙しなく辺りを見回す。そんな私とは違って、京子の方はあくまで泰然としていた。いつもどおりの美麗な彫刻みたいな面持ちを崩さずに、一歩一歩、上品な歩き方で住宅街を進んでいく。


 そんな京子の姿を見ていると、やけに緊張している自分が馬鹿みたいっていうか、滑稽っていうか、変なんじゃないかって思えてしまう。……ちょっと腕組むくらいでドキドキするのって、おかしいのかな。私の意識しすぎ? なんだか不安になってくる。


「着いたよ。ここがわたしの家」


 京子が足を止めた。目の前に現れたその家を見上げて、でっか、と呟く。


 忘れてた。そういえばこいつ、お金持ちなんだった。黒塗りの外車があって、外国人の許嫁もいるくらいなんだし、当然、家も相応の大きさを誇るに決まってる。


 でも私、今からこの家入るの? なにもスネ夫や花輪くんばりのお屋敷というわけではないけれど、現実的な範囲においては充分に豪邸と言っていいレベルの邸宅だった。


 敷地は通常の一軒家の四倍はある。外周は高さ二メートルくらいの赤レンガの塀に囲まれて、住居は三階建て。門から玄関までの距離がやけに長くて、右手の奥によく手入れされた庭がある。京子に腕を引かれながら恐る恐る足を踏み入れると、左手にガレージがあるのに気がついた。中には車が三台、横に並んでいる。……うわぁ。文句なしの金持ちじゃん。


 というか私、今からお金持ちの親の前に出て恋人のフリをしなきゃならないんだよね? もし粗相とかあったら、「なんですこの礼儀作法のなっていない下賤の民は! あなたなんかに、うちの娘はやらないザマス!」とかなんとか言われるわけでしょ? 


 うわ帰りたいてか帰ろうよし帰ろう。


 本気で踵を返そうとしたものの、生憎、右腕は京子とガッチリ組んでしまっている。今更、逃げたりなんかできるはずもなかった。軽率にイエスと言った自分を深く呪う。


 玄関の軒に入る。傘を閉じると、京子は迷いのない動作で鍵穴に鍵を差し込んだ。


 ちょっと、早いって……! 心の準備する時間とかくれないかなぁ……!


 心臓がドクン、ドクン、と緊張で早鐘を打っているのに気づいた。隠したいとも思ったけれど、今、離れたら余計に不自然な気がする。結局、目を伏せたまま扉が開くのをビクビクと待ち続けることしかできない。


 だが、十秒経っても解錠音が聞こえてくることはなかった。不審に思って顔を上げると。


「……京子?」


 京子は差し込んだ鍵を固くつまんだまま、棒立ちで固まっていた。秀麗な顔も微かに引きつっている。丁度、例の金髪美少年に言い寄られていたときみたいに、さり気なく。でも確実に。


 それで気づいた。緊張しているのも怖いのも、何も私だけってわけじゃないんだ。言い出しっぺとはいえ、京子は実の母親に無断で恋人(同性)を連れ込もうとしているわけだし、不安になるのは当然だ。むしろ一緒に暮らしていて逃げ道がないぶん、私より辛いかも知れない。


 と、私にジロジロ見られているのに気がついたのか、京子が慌てたように口を動かし始める。


「あ、ご、ごめん! 変に時間かけちゃって! すぐ、開けるから……!」


「――いいよ、ゆっくりで」


 言って、京子の左手に、右手の指先を絡ませる。そのまま、キュッと力を込めた。


 京子の掌から、温かい熱がじんわりと伝わってくる。チラリ、と反応を窺う。


 京子は最初、驚いたような顔つきで私のことをまじまじと見つめてきたけれど、すぐに口元を緩めて破顔した。反対に、私はサッと顔を伏せる。なんだか、あの顔で見られるのが落ち着かないというか、照れくさくって。


「ありがとね、柳。やっぱり、本当は優しいんだ」


「別に。……一応、恋人って体なわけだし。それだけ」


 私、昨日から京子に手を引かれてばかりだったし。たまにはこっちからも何かしないと、釣り合いが取れないし。やられっぱなしは性に合わないから。それだけだ。


 京子が一度、深呼吸する。よし、と呟いてから威勢よく鍵を回して扉を開き、ただいま、と声を出す。私も京子に続いて家の中に入った。お邪魔します、と挨拶してみたけれど、中まで聞こえたかどうか。広い玄関で靴を脱いでから、再び京子と恋人繋ぎをする。


「おかえりなさい。……ねえ京子。その、あのときのこと、なんだけど――」


 左手の廊下から現れた京子母が、ぎょっと目を剥く。私もぎょっとしそうになるけど、なんとか堪えた。この反応から察するに、やっぱり挨拶は聞こえてなかったみたいだ。


「あ、あなたは、確か……。京子、急に家に連れてきてどういうつもりなの? お付き合いしてるって、本当なの? あなたたち女同士でしょう? それなのに何を考えてるの?」


 前のめりになりながら、詰問するみたいな調子で矢継ぎ早に言葉を発する京子母。その矛先が京子に向いていることに内心で安堵している自分がいて、何だか嫌な気分になる。やっぱり卑怯者だな、私って。わかってたことだけど。


「だ、だから、言ってるじゃん……。柳はその、わたしの、こ、恋人で……」


 気まずそうに顔を俯けながら、京子が一歩後ろに下がる。そんな彼女の左手を、私は改めてキュッと握った。京子も握り返してくる。それで、少しだけ勇気が湧いてきた。一人じゃ無理でも、二人ぶんをかき集めれば、なんとか。


「は、はじめまして……! 私、京子の、あいやっ、京子さんのクラスメイトの本庄柳と言います……! その、実は京子さんとは、前々からお付き合いさせて頂いていて……!」


 映画か小説で見聞きした文言を必死で脳内からかき集め、それっぽい台詞を紡ぎ出す。途切れ途切れだし、声も掠れて上ずってるし、不格好なことこの上なかった。でも、これが私の精一杯。これ以上は私みたいな根暗には荷が重い。


 バッと勢いよく頭を下げる。でも、繋いだ手を離したりはしなかった。いや、できなかった。そんなことをしたら、私はすぐに硬直して動けなくなるのがわかってたから。じっとりと手汗の滲んだ掌から京子の不安や恐怖が伝わってきて、怖いのは自分だけじゃないんだなって、京子も私と同じ感覚を共有しているだなって思う。それで初めて、声を発することができる。


「本庄さん? ……あなた、どういうつもりなの? あなたのご両親はこのことを知っているの? そもそも、何をしにここまで来たのかしら? 悪いけど、交際を認める気はないわよ?」


 声を荒げるでもなく、京子のお母さんは淡々と、落ち着いた声色で私のことを責め立てる。


 でも、それが逆に恐ろしかった。京子母の発する一言一言が、まるで神託みたいな耐え難い重圧を伴って、私の総身を押し潰してくるのを感じた。


 え、えっと……、この後は、どうすればいいんだろう。何を言ったらいいの? いやわかんないよ、そんなの! だって私、こんなの経験したことないし……!


 頭の中が真っ白になって、口をもごもごさせるだけで言うべき言葉が出てこない。そうしている内にも沈黙がどんどんと私の頭上に降り積もって、全身をギュッと押し固めてくるのがわかった。時が経てば経つほど、何をすればいいのかわからなくなってくる。


「と、とにかくそういうことだから! 行こ、柳!」


 京子が私の手を無理やり引っ張ってトンズラする。正面にある階段をドタドタと足音を立てながら、まるで悪戯が見つかったときの小学生みたいに駆けていく。


 背後から、京子母が私達を飛び止める声が聞こえる。でも、それだけ。京子母はサザエさんよろしく、大声を出しながら追いかけてきたりとかはしなかった。この辺に品の良さを感じる。

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