第2話 金髪美少女 2

 出鱈目に街中を走り回っていた私と西宮は、結局、駅から少し離れたところにあるカラオケに落ち着いた。両者ともに肩で息をしながら汗を流していたせいで、受付の店員からは変な目で見られた。冷房がよく効いた店内は、長距離走の後の火照った身体には少し寒いくらいだ。


 一番短い一時間のプランを選んで、指定された部屋の中に入る。


 これでも私は、腐っても華のJKだ。たとえ友達がいなくとも、カラオケに入るのが初めてということはない。これで人生二回目だ。二回目なので、ちょっと落ち着かない。


 こう、隣の部屋の人の歌声が若干聞こえてくるところとか、音響がやけにうるさいところとか。そして何より、目の前に得体の知れない美少女が腰掛けているところとか、特に。


 なんせ私が友達ゼロ人の陰キャなのにも関わらず、西宮の方は明るく外交的で友達もいておまけに超絶可愛いという、文句なしのクラスの中心的人物なのだ。面と向かえば気が重くなるのは必定だった。乾いた喉を潤すために、或いは気まずさを誤魔化すために、運ばれてきた烏龍茶をちびちびと飲む。


「それで、なんていうか……、一体何なの? 急に」


 何をどう質問すればいいのかわからなかったので、曖昧な言葉で問いかける。


 視線をグラスから西宮へ向けたところで、あ、と軽く見入ってしまう。


 愁いを含んだような表情で机の上に視線を落としている西宮には、まるで精巧な彫像みたいな筆舌に尽くし難い美しさがあった。照明の白い光に照らされて、黄金に溶けるみたいな細い睫毛の影が、水晶体の上にそっと落ちている。西宮の瞳は僅かに銀色が混じった青色で、水鏡みたいに清澄な印象を受ける。色白の肌に細い糸のような黄金色の長髪が映えていて、このまま美術館にでも運んで展示したくなるくらいだった。


「まずは、ごめんね。急にこんなことに巻き込んじゃって」


 西宮がゆっくりと顔を上げる。色艶の良い唇は厚く、摘みたての苺みたいにも見えた。


 しおらしい殊勝な態度で出てくるものだから、私としても殊更に糾弾するわけにはいかない。大人しく相槌を打ちながら、西宮の説明に耳を傾ける。


 話を聞くと、どうやらあの美少年は本当に西宮の許嫁だったらしい。


 ……許嫁、ねぇ。そういうのって、本当にあるんだ。そんなもの、フィクションの中だけの存在だと思っていたのに。なんだか、改めてこの金髪美少女との住む世界の隔絶を思い知らされた気分。お嬢様だという噂は聞いたことがあったけど、まさかこれほどとは。


 しかし西宮は、あの金髪美少年のことがそれほど好きではないらしい。あの人も、京子に比肩するくらいには整った容貌をしていたし、礼儀正しそうだし、一体何が不満なのかと私は首を傾げざるを得なかった。


「だってあの人、何かとグイグイ来るし……。わたし、そういうのってあんまり得意じゃなくて。距離詰めてくるの早すぎっていうか、もっとわきまえて欲しいっていうか」


 いきなり人を恋人扱いする奴の言うことか? という反駁はぐっと飲み込む。


 意外な返答だった。西宮は教室でも明るく談笑していることが多いし、四月に適当なグループを作って誰かとつるみだすのも早かった。あまり、距離感とか気にするタイプには見えないのだけれど。


「だけど親はなんだか乗り気みたいだし、あっちもあっちで、わたしのことは変に気に入っちゃってるみたいだし……。本当、どうしてわたしなんかに」


 はぁ、と憂い顔でため息を漏らす西宮。当然、メチャクチャ様になってる。


「……あの、それ嫌味?」


 今の発言を録音して学校中にばらまいたら、全女子の三分の二以上が敵に回りそうだけど。


 なんだ、わたし「なんか」って。美人のくせに。


「え? いや、そんなんじゃないって。だって正直、わたしなんかより本庄さんとかの方が可愛いし……」


 ……いやこれ、完全に嫌味だよね? 自虐風自慢だよね?


 私は少しムッとして、目の前に腰掛ける金髪美少女のことを軽く睨んだ。睨もうとして、目をしばたたいた。


「――綺麗」


 件の金髪美少女がテーブル越しに身を乗り出して、私の頬に白い、ほっそりとした指先を這わせてきた。私は冗談でも身体を触られるのに慣れてないので、ついゾクリとしてしまう。全身がピクッと強ばるのがわかった。けど目と鼻の先にある西宮の瞳に捕らわれて、指先一つ動かせない。されるがまま。頬が、みるみるうちに紅潮していくのを感じる。


「本庄さんって、よく見ると凄く整った顔してるよね。小顔で顎がシュッとしてるし、目もキリッとしてるし、肌も綺麗だし。桜色の唇も綺麗。隠れ美人ってやつかな?」


 そう言う西宮の顔つきに、嘘やお世辞を言っている様子はない。ってことは、西宮は本気で私のことを褒めてるの? 私みたいな陰気な女なんかより、何倍も何十倍も可愛いくせに?


 美人だなんて言われたのは初めてで、どう反応すれば良いのかわからない。恐ろしいほど滑らかな指先の感覚を意識しながらも、え、えっと……、ともごもご唇を動かす。


「あ、ごめん。つい触っちゃった。こういうの嫌だった?」


 西宮がスッと身を引く。今更、心臓が高鳴っていたことに気がついた。


 ……ちょっと、なに愚直にドキドキしてるのよ、私。相手は女だぞ。美人だけど。


「でも本庄さんって、こういう反応見てると意外と可愛いところあるんだね。わたし、本庄さんってもっとクールっていうか、淡白な人なのかと思ってたよ」


 び、美人の次は可愛いときたか……。そういうの、お世辞でも言うのはやめてほしいんだけどな。照れくさいっていうか、むず痒いから。なんて言えば良いのかわからないし。


「……別に。そもそも、そっちの方が美人じゃん。嫌味にしか聞こえない」


 頬杖を付き、顔を逸らしながら素っ気ない声で答える。……本当。なんなのよ、こいつ。


「それより、話を元に戻してよ。許嫁が苦手なのはわかったけど、なんで私が西宮に恋人扱いされなきゃいけなかったわけ? 嫌なら嫌って、本人にはっきり伝えればいいじゃん」


「それは、そうなんだけど……、なんだか言い出しづらくって。本当は恋人がいるってわかれば、あっちも諦めてくれるかなって。本庄さんを見た瞬間、咄嗟に思いついたんだけど」


 どもりがちに西宮が言う。その気持ちは、わからなくもない。親も相手方も乗り気となれば、水を指すような発言をするのは気が引けてしまうものだろう。


 でも、それはそれとして。


「だからって、いきなり抱き寄せてきて恋人って、それはなくない?」


 詰問するみたいな少しきつい口調になっているのがわかった。でも仕方ないと思う。何の了承もなしに面倒事に巻き込まれて平然としていられるほど度量が大きくはないし、内心の不満を完全に押し殺すことができるほど大人でもない。私は所詮、心も身体も未成熟なお子様だ。


「う、うん。……ごめん。本当に」


 西宮が消沈して顔を伏せる。それきり西宮は黙りこくってしまって、気まずい沈黙が流れ始める。それで、さっきの発言を少し後悔した。私も私で西宮の演技に乗っかってしまったくせして、ちょっと言い過ぎたかも知れない。でも素直に謝罪するのもなんだか躊躇われてしまって、振り子みたいに目を右へ左へとやることしかできなかった。


 西宮、何か言ってくれないかなぁ、と思う。元凶というか、事の発端はそっちなわけだし。


 でも、雰囲気壊したのは私だしなぁ、とも思う。けど、どんなふうに話を切り出せばいいのか、わかんないよ。


 結露したグラスの側面に指を這わせて、意味もなく水滴を拭き取る。こういう時間、私はものっすごーく苦手だ。胃がキリキリと音を立てて傷んでいくのがわかった。


「あ、あの、本庄さん……!」


 沈黙を破ったのは西宮の方だった。どこか決然とした面持ちでこっちを見てくる。


 それで、安堵と不安が入り混じったような不思議な心持ちになった。また妙なお願いを西宮にされるんじゃないかって、漠然とした予感があって。


「その、一つお願いがあるんだけど」


「……訊くだけ訊くけど、なに?」


 西宮のやけに改まった態度からして粗方、予想はついていた。西宮は意を決するみたいに一度、すぅと息を吸う。それから、ぷっくらとした形の良い唇を開いて、言った。


「わ、わたしの、恋人になってくれないかなぁ……、なんて?」


 私より背の高いはずの西宮が、チラ、と上目遣いに私の反応を窺ってくる。


 ……まあ、そうくるよね。話の流れからして。


「あ、勿論、恋人って言っても本当の恋人じゃなくて、仮のっていうか偽りのって意味なんだけど……! わたしの両親が許嫁のこと諦めてくれるまで、恋人のフリしてくれないかなって」


「いやでも、私、女だよ? そういうことなら、男子に頼んだらどうなの?」


 ひとまず、正論を突きつけてみる。男子からしてみたら夢みたいなシチュエーションだろうなぁ。こんな可愛い女の子と、偽の恋人関係になるなんて。ラブコメみたいな展開だ。


 まあ、それが今まさに、私の眼前で繰り広げられているわけですが。女同士だけど。


「それは、ちょっと……。いくらなんでも恥ずかしいし、当てもないし」


 弱々しく言いながら、視線を逸らす西宮。


 当てはいくらでもあるでしょー、と思わなくもないけれど、恥ずかしいというのはまあそうだろう。いくらなんでも、好きでもない男子と手をつないだり腕を組んだりするのはハードルが高いし。


 そういう意味では同性である私が適任……、って、いやいや待て待て。なに、納得しかけてるんだ、私は? 恋人のフリなんて、女の子同士でも恥ずかしすぎるって。誰かと手を繋ぐのだって、妹を除けば小学生以来やってないっていうのに。


「けど、そんなことしたらご両親も余計に反対するんじゃないの?」


「それは……、文句のつけようもないくらいわたしと本庄さんがイチャイチャしてるところを見せつけて、思い知らせてやるー、みたいな?」


 誤魔化すみたいな苦笑を浮かべる西宮。今考えましたと言わんばかりの物言いだった。この場当たり主義め。


 私は、んー、と低く唸りながら、気難しげな表情を浮かべる。


 やりたくない。超絶やりたくない。だって私は、あくまで突発的にこの事態に巻き込まれただけなのだ。本来なら、こいつとなんか何の関係もない。そんな私をさらなる面倒事に引き込もうだなんて、いくらなんでも厚顔が過ぎると思う。ふざけてるの、って言ってやりたくなる。


 でも、このとき私は既に、この後どういう展開になるのか予想がついていた。悲しいことに、私は昔からそういう人間なのだ。


「無理言ってるのはわかるんだけど、お願い……! 今更、演技だったなんて言えないし、本庄さん以外に頼れる人もいないし……!」


 西宮が深々と頭を下げて、懇願するみたいな調子で言う。金色の繊細な髪の毛が、勢いでぶわっと舞った。黄金色した鱗粉が、室内に撒き散らされるかのよう。


 私のポリシーは、無駄なことをしないこと。面倒事を避けること。けどそれは、あくまで外付け。十六年間の学習の成果なのであって。私個人の性情というわけではないのであって。


 はぁ、と巨大なため息が無意識にこぼれ出る。そのまま、憂鬱な気分のまま呟いた。


「……わかったよ。やればいいんでしょ、やれば」


 西宮が顔を上げる。自分から頼んできたくせに、信じられないとでも言いたげな顔つきをしていた。それが、ぱあっと明る気な、心の底から安堵したみたいな穏やかな表情に変わって、ありがとう、と改めて頭を下げてくる。


 本当、私は昔からこうなのだ。頼み事を断るのが苦手。だから意図的に人間関係を断ってる。


 それなのに、まさかこんな流れで厄介事に介入する羽目になるなんて。自分の運のなさにつくづく泣いてしまいそうになる。私の前世は一体どんな悪行をしたというんだ。


 それきり話すこともなくなって、まだ時間は残っていたけど早々に店を出た。料金が勿体ない気もするけれど、私と西宮は友達なんかじゃない。せっかくだから一曲歌っちゃおー、なんて流れになるわけもなく。……いやまあ、友達じゃなくても恋人(偽)なわけだけど。


 店を出た瞬間、どろっとした生温かい空気が全身を包み込んできた。その心地悪さにうへぇ、と顔をしかめて足を止める。見上げた空は透き通るような青色だった。


「それじゃ本庄さん、またね。今日は、本当にごめん。あと、これからよろしく」


 ニッ、と口角を軽く釣り上げた西宮が右手を突き出してくる。瞳の色は、空を薄めたみたいなライトブルー。しばらくして、ああ握手か、と気づいた。別に、わざわざそんなことする必要もない気がするけど。大仰すぎて、逆に不自然っていうか。


「あ、うん。……よろしく」


 でもそれを無視するほど捻くれてもいないので、若干辿々しい仕草になりながらも西宮の手を取った。柔らかくて、すべすべで、温かい。つい、ドキッとして赤面してしまいそうになる。


 だけど、今からそんな調子じゃこの先が思いやられるし、何より西宮に悟られたら恥ずかしすぎる。軽く目を逸らしつつ平然を装って、右手に軽く力を入れる。……力を、入れる。


「ちょっと、西宮? 手、いつまで握ってるの?」


「え? ご、ごめん! なんか、タイミング見失っちゃって……」


 あはは、と苦笑しながら手を離す西宮。なんだこいつ。自分から手を出してきたくせに。


「それじゃ、わたしはもう行くから。本庄さんの方も気をつけて帰ってね」


 それだけ言うと、西宮は黄金色の髪の毛をなびかせながら、小走りで休日の雑踏の中へと消えていった。そのことに、ちょっと安心。いきなり恋人のフリをしてくれなんて言ってくるくらいだし、その勢いで家に泊めてくれ、とか頼まれるんじゃないかと心配してたから。数十分一緒にいただけでもどっと疲れたのに、お泊りなんてことになったら目も当てられない。


 それにしても、恋人……、恋人、か。


 改めて、ため息。重く淀んだ呼気が、湿っぽい外気の中にぬらりと溶けていくのを感じた。


 これ、絶対に胃が痛くなる案件だよね。西宮の両親とかに、どう思われるかわからないし。


 というか、あっちの親から家に電話とかされたらどうしよう。なんて言い訳すればいいんだ、私は。素直に話したところで、逆に誤魔化してると思われる気がするし。


 ……改めて、ため息。


 私の心は、梅雨にふさわしいどんよりとした雨降り模様。だけど世界はそんな私のことなどお構いなしに、燦々と眩い陽光を、アスファルトの上に撒き散らし続けるのだった。

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