ライトブルーに住まわせて

赤崎弥生(新アカウント「桜木潮」に移行)

第1話 金髪美少女 1

 友達が一人もいない人間に、恋人はできるのだろうか。


 街行く人々にそんな問いを投げかけたら、十中八九できない、と返ってくるんじゃないかと思う。理由は簡単だ。だって、誰かと付き合うためにはその相手が必要なわけで。相手と出会うためには交友関係が必要なわけで。つまるところ、友達が必要なのであって。


 結論、友達がいない人間に恋人はできない。なぜなら、恋人の候補となる人間に出会うことができないから。


 現実は、少女漫画でもなければ恋愛小説でもない。食パン咥えて走ってたら角で激突、あらあら運命の出会いがそこにー、なんて偶然があるはずもなく。そもそも、食パン咥えて走るような行儀の悪い人間とぶつかったって、顔をしかめるだけだろう。


 というわけで、ここに世の中の真理が一つ。友達がいない人間に、恋人はできない。


 だけどそういう真理が存在する一方で、世の中の真理とやらには往々にして例外が存在するのも、また確かなのであって。例外がある時点でそれは真理ではないのでは、とかいう小難しい理屈は無視して、要するに友達のいない私にも恋人というものはいるようだった。


 というか私は今まさに、その恋人に手を引かれ、街の中を全速力で突っ走っている最中だった……、ってちょっと待てどういうことだ、それ。左手の指をこめかみにグリグリと押し当てながら、ううむ、と自分の置かれている状況を整理してみる。


 まず私は、こいつから告白された覚えもない。告白した覚えはもっとない。私は健全優良な女子高生なので、酒を飲んで酩酊している間にうっかり、なんてことも絶対ない。


 なのにどうやら私は、こいつの恋人ということになっているらしい。なんだそれ。


 まあ、この際それはいい。いやよくないけど。超絶よくないけど、一旦脇に置いておく。


 というのも、そんなことが些事に思えるくらいに重要な問題が私とこいつにはあるからで、つまるところそれは、私は女でこいつも女、という大問題なのだった。


「ちょ、ちょっと、西宮……! 走るの、速いって……!」


 年中運動不足の私のことなど顧みず、全速力で手を引っ張ってくる自称恋人に苦言を呈する。


「あ、ごめん! でももうちょっと我慢して! 今足を緩めたら絶対追いつかれるから!」


 ほんの少しだけ速度を緩めて、自称恋人さんが振り返る。


 バサリ、と金色の長髪が大きく揺れて、黄金の蝶々が鱗粉を撒き散らしているような錯覚をした。向けられた顔は彫りの深い外人顔で、身長もスラリと高い。身につけているシンプルなブラウスもスカートも、上質であることが一瞥しただけでわかった。芸能人だと言われても即座に納得してしまうくらいの、超美人。無意識に息を呑む。やっぱり綺麗だな、こいつ。


 だけど対する私は、ただの陰気な女子高生。当然ながら人と会う予定なんてなかったから、ズボンもパーカーも着古したやつだ。肩にかかるくらいの長さの髪は当たり前のように真っ黒だし、眼鏡だって黒縁で飾り気がない。こんな漫画のキャラみたいな美少女に手を引かれては、見劣りするどころの話じゃない。ああもう、本当に何なんだ、この状況。


 五月も後半へと差し掛かり、連日雨続きだった空は久々の快晴。夏の足音を予感させるような強い日差しと、梅雨の真っ只中であることを思い知らせるようなモワッとした空気。この二つが合わさって、外には何とも生温かくジメジメとした、心地いいとは言い難い大気が充満していた。にも関わらず人通りはそこそこ多く、皆、久々の太陽に惹きつけられるように外出してきたのがよくわかる。


 かくいう私もその一人で、家から歩いて近所のデパート内の本屋まで足を運び、平積みしてある文庫本を内容も確かめずにレジに持っていって会計を済ませ、どうせなら近場の公園で読んで暇を潰そうかと思ったものの、雲霞の如く溢れるカップルや家族連れにうげってなって、もういいや大人しく家に帰ろうと駅前のロータリーをだらだらと歩いていたのだけれど、そこでちょっとした出来事に巻き込まれ、こうしてろくに話したこともないクラスメイトの金髪美少女と街を疾走しているところだった。うん、わけがわからない。


 一応、私の目から見てそのちょっとした出来事がどんなものだったか、説明しておくと。


 私がダラダラと家路を辿っていると、駅前の道路の前に黒塗りの車が二台止まっているのに気がついた。ベンツだかアウディだか知らないけれど、如何にも金持ちが乗ってますって趣の高級車。別に私は車に興味があるわけでもないし、それ自体はどうでもよかった。


 でも流石に、その近くで金髪美少女が金髪美少年に言い寄られているともなれば、物珍しさで横目に見るくらいのことはしてしまう。美少年の側にはパリッとしたスーツ姿の、漫画とかに出てくる執事みたいなお爺さんが、美少女の側にはその子の両親と思しき夫婦が一組。母親の方は金髪だったけど、父親の方は純正の日本人らしく黒髪だった。


 うわぁ、って思った。高級住宅街でもなんでもない東京のベッドタウンで、こんなドラマじみた光景が見られたりするんだって、びっくりした。


 でも、それだけ。お金持ちの方々の優美な生活に憧れてるわけでもないし、そんなことよりさっさと帰ってベッドの上でダラダラしよう、と。そんな出不精極まりない思考に、脳内は一瞬で切り替わった。正確には、切り替わろうとした。


 顔を正面に戻そうとした瞬間、私は気づいてしまったのだ。美少年に微笑みかけられている女の子が、少し困ったような顔つきをしていることに。それでつい、歩みを止めた。


 勿論、何もあからさまに嫌悪感をむき出しにしているとか、そういうわけではない。表向きには、金髪美少女の方も美少年に合わせてにこやかに微笑み返しているように見える。


 でもその子の顔は無理やり笑顔を顔面に貼り付けたみたいに、少しだけ表情が強張っている。身体も微かに後ろに引いて、硬くなっているのがわかった。あの子、本当は嫌なのかな。


 二人とも保護者同伴な辺り、ナンパされてるってわけではない。というか、あの美少年の品の良さそうな雰囲気からして、そんな俗悪なことをしてるわけじゃないのは一発で理解できる。


 知り合いか何かなのだと思う。もしかしたら許嫁とか? いや、それは流石にないか。


 なんにせよ、美少年と美少女は確実に見知った仲だ。


 けど相手が知り合いだろうがなんだろうが、その女の子が無理して愛想を振りまいているのは確かだった。それなのに、執事らしきお爺さんも、相対している美少年も、後ろに佇む両親さえも、その子が内心で嫌がっていることに気づいていない。


 なんだ、それ。胸中に、ムッとした反感が頭をもたげる。やめてやれよ、と。なんで気づかないんだよ、と。そんな文句が頭の中に沸々と浮かんできた。


 だけど悲しきかな。私は典型的な現代人だ。反感を覚えたからといって、正義の味方よろしく颯爽と女の子を助けに入るかと言われれば、そんなこともない。私も所詮、臆病で常に自分のこと最優先の卑劣な人間だ。赤の他人の事情に首を突っ込んだりなんか、するわけない。


 だって、面倒だし。無駄だし。厄介事に巻き込まれたくはないし。


 曲がりなりにも十六年、人として生きてきた私には、一つのポリシーが存在している。


 それは、無駄を避けること。面倒事からは率先して身を引き、エネルギーを出来る限り節約して毎日を過ごす。それが私の生き方であり、信条だった。


 だからまあ、高校入学から一ヶ月以上経っても友達は一人もできないし、部活にも入らないし、学業にも行事にも熱を入れたりなんかしない。一日一日を、味のなくなったガムを吐き捨てるみたいな気軽さで、消化していく。それが私の人生だ。


 物悲しい青春だなぁ、と染み染み思う。思春期特有の青臭い感傷とかではなく、素直に。


 でも、別にそれで構わない。根拠のない希望を胸に日々を熱心に生きたって、結局の所、疲れるだけ。傷つくだけ。なら、最初からリタイアしておいた方がいい。


 この十六年間で私が学習したのは、そういうことだ。


 さて、最初から気づかないのと、気づいているのに見捨てるの。一体、どっちのほうが酷いのかな。両方か。なんて詮方無いことを考えながら、止めていた足を一歩、前に動かす。


「――あ! ちょっと!」


 鈴の音みたいによく通る、澄んだ声だった。反射的に足を止めたのは、なぜかその声に聞き覚えがある気がしたからだ。なんだろう、と興味本位で振り返る。と、金髪美少女が「やっぱりそうだ!」と言いながらこっちに向かって突っ走ってきた。


 ここで私は、ようやく思い至る。あれ、なんかあの子、どこかで見覚えがあるような。


 いや、当然だ。あいつ、私のクラスメイトだ。名前は西宮京子。人の名前を覚えない私がフルネームで記憶しているのだから、うちの高校であいつのことを知らない人はいないと思う。


 だって、金髪だし。美少女だし。クォーターだし。人当たりよくて明るいし。これで有名になるなという方が無茶だ。


 でもちょっと待て。それはそれとして、どうして西宮は私の方に向かって走って来てるんだろう。いや、そんなわけないか。自意識過剰だ。きっと、私の後ろに友達が或いは野良猫でも見つけて、咄嗟に走り出してしまっただけで――


「……え、えぇ⁉」


 そんな希望的観測は、一瞬にして打ち砕かれた。


 西宮は私の横で足を止めると、いきなり腕を絡ませて密着してきた。


 は? な、なに、この状況? 唖然としてるのは私だけというわけではなくて、美少年も、執事も、ご両親も、皆一様にぽかんとした顔つきで私と西宮のことをじっと見つめている。


 冷静なのは当の本人だけ、いやそれも違う。冷静な人間が、唐突にこんな奇行に走るわけがない。どう考えても正気じゃない。何考えてるんだ、こいつ?


「ごめん、本庄柳さんだよね? クラスメイトの」


「え? う、うん。そうだけど……」


 西宮が囁き声で問いかけてくる。私も声を潜めて返した。


「悪いけど、私に合わせて」


「合わせる? 何を? ……ていうか、いきなり何なの?」


 戸惑う私のことなど捨て置いて、西宮はなおも私に身体を寄せてくる。組んでいた腕を解き、私の肩に腕を回してぐいって抱き寄せてきた。


 ちょ、ちょっと⁉ なに、このやけにべったりした距離感は⁉ 胸とか普通に当たってるんだけど⁉ ……うわ、おっきい。やっぱり海外の血が入ってると、大きくなるものなのかな? 私なんかまだまだ発展途上でちょっと羨ましい……、って今はそんなことどうでもよくて!


 ふるふる、と西宮の腕の中でかぶりを振って、脳内の邪念を振り払う。柔軟剤のほんのりと甘い香りが鼻腔を刺激してきて、なんだか変な気分になる。


「京子? あなた、急に何を」


 一足先に我に返った西宮母が、戸惑い気味な視線を向けてくる。


「この人、本庄柳って言うんだけど! わたしのクラスメイトで、恋人だから!」


 ……はぁ?


 一瞬、何を言っているのかわからなかった。恋人? 私が、西宮と? いやでもそんな覚えまったくないし、一度も話したことないし、そもそも私達って女同士ですよね?


「ね? そうだよね? 柳? ね?」


 何がね、だよ。私は「いや何言ってんの病院行ったら」と、冷然と突き放そうとした。


 でも西宮はやけに鬼気迫る表情で、水色の瞳を哀願するみたいに潤々とさせながら私のことをじっと見つめてくる。……う、と内心で唸る。こんな美少女に顔を近づけられると、女同士でもちょっとドキっとしてしまうから止めて欲しいのだけど。


「……う、うん。私はその、西……、京子の恋人……、です」


 結局、折れた。


 思い返してみると、中々に迫真の演技だったかも知れない。


 たとえ嘘でも往来で恋人宣言(しかも同性!)するのは照れくさく、自分でも両頬がカアッと赤くなるのがわかった。伏し目がちで、語勢も後半に行くにつれてだんだんと弱まっていって、その様子はある意味、相手の両親の前でいじらしくする恋人っぽかったような。


 私のその発言で、理性を取り戻しかけていた西宮母の目から再び生気が消え失せた。人形みたいに黙然と突っ立っている。


 まあ、それはそうだろう。娘が何の前触れもなく、街中の女と恋人宣言してきたんだから。


「と、とにかく、そういうわけだから!」


 西宮が、茫然自失とする三人に向かって叫ぶ。どういうわけだよ。金髪美少年が、待って、泣き叫ぶような声で言って、私達の方に近づいてくる。同時に西宮が踵を返した。


「走るよ、柳!」


 強引に私の手を掴み、容赦のない全力疾走。呆気にとられながらもぼうっと突っ立ってたら転ぶので、私も反射的に走り出してしまう。


「は、走る⁉ なんでよ⁉」


「え、えーっと……、駆け落ち、的な?」


「はぁ⁉」


 このときばかりは、私も大声で叫んだ。駆け落ちって、今から? こんな、ろくに話したこともない奴相手に? しかも女の子と?


 背後から、私達のことを呼び止める声がする。でも西宮は、なおも私の右手を力強くキュッと握って走り続けた。


 ……ああもう、本っ当に何なの? 途轍もなく面倒な事態に巻き込まれそうな予感に暗澹となりながらも、私はぜぇぜぇと息を切らして、必死で西宮との駆け落ちに励むのだった。

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