第29話

 話をしたせいで、かえって頭は混乱した。何が何だか分からないまま、ただイライラとした反感ばかりが募る。

「ああもう、どうでもいいや」

 僕は久々にゲーム機を取り出してセットする。何か気晴らしが必要だった。全てを忘れてこのもやもやした気分を変えたかった。要するに、僕は現実逃避をしたかったのだ。

 だけどネットに繋いだ瞬間、妙な違和感があった。普段ならば運営会社からと、大して人数もいないフレンドから来るイベント参加のお誘い。その程度しかメールなんて来ないはずだった。なのにメールボックスには300を超える未読が入っている。なんかのバグだろうか。

 振り返れば分かる。僕の心の奥底ではその時、確かに警報が鳴っていた。そんなはずはない、これは何かがヤバい事態に違いないと。だけど僕は無意識に自分を誤魔化しながら、いつもの手つきでメールボックスを開いていた。


『死ね』

 そのタイトルが目に入った。

『日本から消えろ』『猫殺し』『お前らを島ごと焼き払ってやる』

 そんな言葉が延々と並ぶ。

 どうして。まず浮かんだのはその疑問だった。なんで僕のアカウントがこんなに大勢の人に知られているのか。そして僕が島に住んでいることまで知られているのか。

 こういったことは話には聞いていた。対処の方法について聞いたこともある。だけど自分の身に降りかかった時、そんなものは頭から吹き飛んでいた。

 連なった文字から滲み出る悪意が僕を金縛りにする。目にするべきではないのに、僕はメールのタイトルを一つずつ確かめてしまっていた。

 こんなにも剥き出しの敵意をぶつけられたことは今までになかった。最初は平静を保っていたつもりだったが、いつしか手がぶるぶると震えだしていた。それでもタイトルを確認する作業を止めることができない。


『自分が悪いのに被害者面すんな、バカ』

 そのタイトルを見た瞬間、僕は何があったのかを理解した。先日のあの会話だ。フレンドに語ったあの愚痴。あれがどこかに漏れている。

「なんでだよ・・・・・・」

 弱々しく僕は呟く。友達だと思っていたのに。何度も一緒にゲームしたのに。

 画面を閉じるべきだ。そんな当たり前は分かっていたのに、僕はなぜか釘付けになったようにスクロールバーを動かしけてしまう。その中にふと、ごく当たり前に見えるタイトルがあった。『宿泊予約の依頼』。ゲームのアカウントにそんなメールが届くこと自体がおかしいのに、僕はついその中身を見てしまった。

『開けたってことは当たりだな。お前、南浜の宿の人間だろ。そのうち殺しに行くから楽しみに待ってろ』 

 恐怖に駆られた僕は意味不明の叫びを上げて立ち上がった。そのまま家の外に向かって走り出す。海沿いの道路まで来たところで息が切れた。気持ちが悪い。腹の奥から何かがこみ上げる。僕は防波堤から身を乗り出して、海に向かって吐いた。

 胃の中が空になっても、痙攣するようにそれを続ける。身体が、内部に入り込んだ毒を排除しろと叫んでいるようだ。

 どれぐらいそうしていただろう。消耗しきった僕は道ばたに座り込んだ。

「なんでだよ・・・・・・」

 同じ問いを繰り返す。情けなさと悔しさと恐怖。負の感情に押しつぶされそうになりながら、身体を丸める。

「どうしたの?」

 頭上から声が掛けられた。見上げると、マスク姿の若い女性が僕を見下ろしている。

「大丈夫? 真っ青だけど」

 優しい、そして知らない声顔だった。

「すみません。えっと」

 僕はのろのろと立ち上がろうとする。身体に力が入らない。

 女性が手を差し出した。僕はそれに縋りながら身を起こす。

「どうしたの?」

 彼女はもう一度、優しく聞いた。

 僕の感情があふれ出す。ぼろぼろと涙がこぼれた。

「なんで、こんなことになっちゃったんだろう・・・・・・」

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