第32話
「どうして、ここに居るって分かったの?」
「君の叫びで、猫が逃げ出したんだと見当がついた。だとすれば、そのうちにここに来ることを思いつくだろうと思ってね」
公民館の直ぐそばにある空き地に、宿の軽自動車が停められている。
「仕事、あったんでしょ」
「どうせネット会議だ。車の中でも不自由は無いよ」
叔父さんは助手席に放り投げられたノートPCを後席に移した。
「とは言え、いきなりログアウトするわけにもいかなくてね。来るのがちょっと遅れてしまった」
助手席に乗るように促す。僕は素直に車に乗り込み、シートベルトを締めた。
先ほどの会話を思い出して僕はうつむく。なぜか今になって身体が震えてきた。車がゆっくりと動き出す。僕は嗚咽を漏らし、泣いた。
ハンドルを握りながら、叔父さんが平板な声で言う。
「この病気は人間には悪影響を及ぼさない。だから君の人生はまだまだ続いて行く」
僕に対して向けられたはずのその言葉は、どこか思い出を語っているように聞こえた。
「この先、十年後ぐらいに。この猫コロナウイルスのせいで自分の人生が狂わされたという人が、君の周りにも出てくるだろう。そして、それを冷ややかな目で批判する人も」
流れる景色が、涙で歪んでいた。
「大地震、水害、経済危機。テロや戦争、そして疫病。いつの時代でも、人は個人の力ではどうしようもない時代の流れに遭遇する。しかしどんなに理不尽であっても、他人は君の人生について責任を取ってはくれない。全てを自分で背負うしか無いんだ。自己責任というのはね、そんな風に自分自身を戒めるための言葉なんだ。他人を傷つける為に使う言葉では無い」
「違う、違うんだよ」
ぼろぼろとこぼれる涙を僕は必死に拭う。
「あの人に怒鳴られたから泣いているんじゃないんだ」
叔父さんは黙って、僕を待った。
僕自身の感情はただただ混乱していて、何を言えば良いのか分からなかったのに。なぜかそれは素直に口から流れ出た。
「僕は、今まで自分だけはこの島の本当を知っていると思っていたんだ」
そう。僕は何も知らない島の外の人達とは違うのだと。自分だけはこの島について正しいことを知っていると思っていた。心の中では島の外の人達を、何も知らずに好き勝手なことを言う人々と馬鹿にしていた。
「だけど僕も同じだった。ここで何が起きているのかよく知りもしないで。自分の周りだけを見て、何もかも知っているように思い込んでいたんだ」
あの獣医師が見せた島の人々に対する怒り。彼等はきっと、とても実現不可能なことを求められている。発症した猫を隔離してこれ以上病気を広めないように。治療法が分からない中、自分達の身も十分に守れないままで。それでも、必死に。
そんなことすら知らないまま、僕は今まで。
その先を言葉に出来ないまま、僕はただ涙を流し続けた。
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