第31話

 照りつける日差しの中、僕はあちこちを駆け回った。今までに外でハルを見かけた場所、海岸近くの公園や魚市場の周辺などに向かう。

 簡単に見つかるなんて偶然がまずあり得ないことは分かっていた。本気で追いかけっこをしたら、僕がハルに追いつけるわけがないということも。それでも奇跡が起こることを祈って、僕は思いつく限りの場所に向かった。もし役場の人間にハルが捕まってしまったら。そう考えると、居ても立ってもいられなかった。


 だけど空しく時間ばかりが過ぎていく。


 ひょっとして。ひょっとしてもう捕まえられてしまったのかも。そして僕はあることを思い出す。捕まえられた猫は役場が管理しているはずだった。

 獣医師達がいるあの公民館。


 僕は疲れた脚を引きずるようにしながら、島の公民館へ向かった。頼み込めば、なんとかハルを返してもらえるかも知れない。そんなことを考えながら。

 公民館の周辺にはロープが張られ、立ち入り禁止の表示が幾つもぶら下げられていた。僕はそれを無視して入り口へと向かう。

 僕はふと、何かの匂いを感じた。とても嫌なそれが、近付くにつれてどんどんと強くなっていく。入り口にカギはかかっていなかった。僕はそれを勢いよく開く。


「!」

 僕はそれを見た。狭いカゴに閉じ込められた猫たちが、廊下一杯に並べられている。十分な清掃がされていないのだろう。糞尿の悪臭が充満し、どの猫も弱り切っている。

「ひどい・・・・・・」

 かろうじて水と餌は与えられているようだったが、ただそれだけだった。カゴとカゴの距離も余りに短い。僕はぞっとした。この中には感染している猫だっているはずだ。こんな扱いをしていたら、捕まえた猫にウイルスを広めているようなものじゃないか。

「何をしている! ここは立ち入り禁止だ」

 廊下の向こうから誰かが近付いてきた。僕はその人の顔を知っていた。

「君か」

 歓迎会の時、僕に声をかけてくれた獣医師がそこに居た。

「帰りたまえ。外の掲示が見えなかったのか」

 冷たく、高圧的な言い方に僕は反発する。

「何をしているかって。そっちこそ何をしているのさ!」

 僕は廊下中に放置された猫を指し示した。

「この島を、猫を助けてくれるんじゃなかったの? どうしてこんなヒドイことを」

 獣医師は冷たい視線で僕を見た。

「この状況に問題があることは分かっている」

「だったら、どうして」

「この島の役場は、私達が限界だという声も聞かずに、猫を捕まえてはここに連れてくる」

 その声に含まれている秘めた怒りに打たれ、僕はその顔を見上げた。深い疲労が滲み出たその顔。よく見れば、あのときよりもずっと痩せているような。

「役場だけじゃない。君はこの島の人間のどれだけが勝手に飼い猫を公民館の前に捨てているか知っているのか? 連日連夜。毎日だ」

「そんな、まさか」

 だけど僕はその言葉が真実であると直感していた。ハルを家の中に留めておくのは大変なことだった。嫌がって暴れる猫たちを家に置き続けることができず、あるいは病気の恐怖に負けて最後には投げ出してしまう。そんな人が誰もいないと言い切れるだろうか。

「ああ、確かに酷い状況だ。だが、それを招いたのは君たちだろう。自分達の島で起きたことだというのに、他人に苦労を押しつけて、自分達はおろおろするばかり。そのくせ被害者だという意識ばかりを振りかざす」

 激しい感情が僕に向けられた。

「私達は休息も許されず、それどころか周辺の店で買い物一つすることすらできない。私はボランティアとしてこの島に来たが、島の奴隷になったつもりは無い!」

 獣医師は僕の眼前に仁王立ちになった。鋭いその声。

「この有様も、私に言わせれば全てこの島の人達の自己責任だ。為すべきことをせず、他人にばかり解決を求めた君達の」

 何も、何も言葉が出てこない。

 僕は必死に口を噛み締める。心が砕けるかと思えた。

 だけど、その時。

「それぐらいにして頂けませんか」

 背後から穏やかな声が掛けられた。非難するでもなく、諭すでも無く。ただ、淡々と事実を告げる口調で。

「この子はここに猫を捨ててはいない。そして、この子はこの島の代表する立場でもない。そうでしょう?」

 背後から、ぽんと肩に両手が乗せられた。言葉では無い何かが、冷たくなった僕の心に染みこんでいく。

「あなたの主張は尤もです。しかし、あなたの感情をこんな子供にぶつけても意味は無い。そうではありませんか?」

 重ねられた疑問形。獣医師の男性は目をつむり、そして言った。

「そうだな。悪かった」

 くるりと僕に背を向ける。

「ここはウイルス感染の危険がある。立ち入り禁止だ。とっとと出ていきたまえ」

 叔父さんは軽く一礼をすると、僕の手を取って公民館の外へと導いた。

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