第33話

 家に辿り着いた頃。少し僕は落ち着きを取り戻していた。

「だけど、あのままなのはやっぱりマズいよ。猫たちが」

 あの人達ではなく、この島の責任として。放置すべきではないと思った。

「かつて人間でも起こったことだ。あまりに大量の患者が病院に集まることで医療現場が限界に達し、病室どころか廊下にまで患者を並べざるを得ない状況が生まれる。そしてその中には、猫コロナ以外にも様々なウイルスや細菌に感染している個体が居るんだ。密閉された空間の中、空気は病原体のカクテルと化してしまう。体力が低下した猫たちがそんな環境に放置されれば、あっという間に混合感染が広まり始める」

 医療崩壊。その言葉を僕も知っていた。

「セーフティの罠だ。安全な治療を確実に遂行するために、病院は患者を受け入れる義務を負わされている。そして人々も安全な治療を求めて病院に向かう。しかし現実の能力を超えた要求が為された結果、安全であった筈の病院が最も危険な場所に変わってしまう。このまま放置すれば、猫コロナウイルスによる死亡数のグラフは本当に急激な上昇カーブを描くだろう」

 叔父さんが軽く溜息を吐く。

「そしてマスコミが嬉々としてそれを報道し、不安に駆られた人々が安全を求めて更に病院に過大な要求をする。最悪だ」

「どうすればいいんだろう」

 二つの意味を持った僕の質問を、叔父さんは正確に理解した。

「まずは一つ目だ。役場を通して手を回しておく。もしあの猫が見つかったら、連絡が来るようにしておこう」

「そんなこと、できるの?」

「私は政治家の部下として働いていた経験があるんでね。この程度の特権を行使することに躊躇はしない」

 ニヤリと笑うその顔は、まさに悪徳政治家の秘書そのものだった。

「二つ目だが、あの猫たちの現状は今のところ手出ししようがない。人員も予算も不足している上に、それを改善しようとする機運も無い」

「僕たちがボランティアをすれば」

 少しはマシにできるかも。そう思ったが、叔父さんは首を横に振った。

「県も町も、人間の感染者を出来るだけ増やしたくないんだ。極論を言えば、この島の猫が全部死んでしまった後、数ヶ月かけて人間が全員陰性になるのを待てばこの騒ぎは終わる。そんな風にも考えているだろう」

 残酷な考え方だ。だけど町長は言っていた。島の人達を守るにはやむを得ないのだと。ウイルスを怖れて猫を捨てる人達もいる。いや、僕自身だって。自分が生きるか死ぬかとなれば、ハルを見捨てないと絶対に言い切れるだろうか。

 だからどんなに残酷な考え方であったとしても、それが正しいとして強行する人々が必ず生まれるに違いない。

「どうしようもないの?」

「なんとかするために急いでみる」

「叔父さんじゃなくて、僕に、何かできることが」

 だけど叔父さんは、首を横に振った。

「君はまだ幼い。まだ力に限りがあるのは、仕方の無いことなんだ」

 車が家に着いた。

「まずは猫が居なくなったことについてお姉さんと話し合いをする必要があるだろう。派手な喧嘩にならないよう、私も協力する。そこからだよ」

 そうだった。僕がハルを逃がしてしまった事実は変わらない。僕はその責任を負うことから始めなければいけなかった。

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