第8話

 島の封鎖から二日目か三日目。国会の話し合いとやらはまだ始まってもいなかった。姉は島内からの悲鳴のような電話と島外からの嫌がらせ対応に忙殺されている。父と母は心配事だけは山のようにあるのに、打てる手立てが何もないといった様子だった。

 今のままではいけない。それだけは分かっているのに、どうすればいいのか、何をすることができるのか。その道筋が見つからないのだ。

 そして僕はと言えば、することが何もなかった。やっていることといえば、細々とした家の手伝いぐらい。学校は春休みで、時間は余っている。とはいえ家族がこんな様子では、まさかゲーム三昧というわけにもいかない。いや、隠れてちょっとはやっていたんだけど、罪悪感を抱きながら遊んでも気分は晴れなかった。


 そんなとき、叔父さんがまたしても妙なことを言い出した。

「今のうちに出来ることをしておきたい。手伝ってくれないかな」

 なぜだか分からないが先日のやり取り以降、叔父さんは僕のことを気に入った様子だった。本音を言わせてもらえれば、迷惑な話だけど。

「アルバイト代も出そう。こんな状況だ。他にやることも無いだろうし、幾らかでも収入があればご両親も助かるんじゃないかな」

 家族で唯ひとり無為に過ごしている罪悪感を抱いていた僕にとって、その言葉は胸に刺さった。人の心の弱みを突いた嫌な交渉術である。提示されたアルバイト代は結構な額で、僕はついついその誘いに乗ってしまった。


 さて、と叔父さんは口調を改めた。

「これからしばらくしたら、感染状況の調査が始まるだろう。そのために、まず何が必要となるか分かるかな?」

 いかにもセンセイ、といったその態度。健全な高校生としては反感を覚えざるを得ないのだが、アルバイト代を貰う以上はケチをつけるわけにも行かなかった。なるほど、お金というものは人間同士の関係を変えるものだと妙な納得をする。

 ともあれ、少し考えてから僕は答えた。

「PCR検査をするためのキット」

 それなりに自信を持った回答だったが、叔父さんは首を横に振る。

「確かに道具も重要だけど、それをするために必要なものがあるんだ」

 言われて僕は首をひねる。

「わかんないよ」

「ウイルス自体のサンプルさ。ウイルスのDNAが判明していなければ検査もできないだろう」

 なんだか意地悪なクイズ番組のような答えだ。

「でも、ニュースでやってたじゃん。新種のウイルスが見つかったって。検査だって直ぐに始められるんじゃないの?」

「新型のウイルスらしきものが見つかったのは確かだ。だけど私達は定期的に生ワクチンを打って、ある意味でコロナウイルスを定期的に体内に取り入れている。これら従来型のウイルスと今回の猫コロナを区別する精度を上げるには、大量のサンプルが必要になるんだよ」

 僕は話をよく飲み込めない。

「だって見つかったんだからさ。DNAの違いは分かっているんでしょ」

 叔父さんは暫し沈黙した。

「例え話をしよう。日本人と中国人を見分ける方法にはどんなものがあるかな」

 またクイズか。仕方なく僕はそれに付き合う。

「パスポートを見る」

「精度は高いけど、パスポートを持っていない人もいるよね」

「日本語をしゃべっている」

「まあまあ有効だけど確実とは言えない」

「日本のテレビや漫画に詳しい・・・・・・けど、そういう中国人だっているか」

「そうだね」

「うーん、でもさ。そういう風に幾つかの条件を調べて、全部クリアしてれば大抵は日本人なんじゃないの」

 そして僕はある疑問に気づいた。

「そもそもさ、日本人と中国人の違いって、最後には国籍だけでしょ。結婚とかしちゃうと日本人が中国人になったり、中国人が日本人になったりしない?」

 叔父さんが大きく頷く。

「PCR検査も同じなんだ。まずはウイルスが持つ様々な特徴を調べ、それらの特徴が多く見られれば陽性と判定するという仕組みになっていてね。サンプル数が多ければ多いほど、そのウイルスだけが持つ特徴を見つけて検査精度を上げることが出来る。だから今のような初期段階では、出来るだけ多くのサンプルを入手出来るかが非常に重要だ」

 へええ。

「ちなみにウイルス同士も遺伝子を交換できる。結婚して子孫を残せる、と表現してもそれほど間違っていない。現実世界のウイルスは常に混ざり合っているんだ。だから猫コロナウイルスを他のウイルスと厳密に区別するのは非常に難しい。というより、ある意味不可能だ」

「不可能って。それじゃ検査なんてできないじゃん」

「君が言ったように、日本人と中国人を100%確実に判別出来る検査は存在しない。それと同じさ。間違っている可能性もあるけれど、どうにも日本人っぽく見えるからそういう検出結果にしておく。PCR検査の信頼性というのは、実のところその程度だよ」

 僕は驚いた。遺伝子を調べるという言葉から感じる、物凄く厳密なイメージとはなんだか話がかけ離れていた。

「それに遺伝子自体は調べられても、そもそも【私達が探しているウイルスは何か】という問題がある。因みにCOVID-19を引き起したウイルスが何か知っているかい」

「新型コロナウイルスでしょ」

「実は、新型コロナウイルスという名のウイルスは存在しない」

「え、そうなの? みんな、新型コロナウイルスって呼んでたじゃん」

「インフルエンザという病気に対し、その原因となるウイルスは複数のタイプが存在する。A型とかB型とか聞いたことがあるだろう」

「それは、あるけど」

「COVID-19とは病気の呼び名だ。そしてCOVID-19の原因となるウイルスも一種類ではないんだ。新型コロナウイルスとは、人体に深刻な症状を引き起こす少なくとも三系統以上のコロナ型ウイルスが互いに交雑しながら、あるいは他のウイルスからも遺伝子を交換しあいながら変質していった巨大な潮流を指す言葉で、初期に中国で流行したウイルスとアメリカで最後の大流行を引き起こしたウイルスはある意味別物だ。特定の遺伝子が変異したことでPCR検査をすり抜けるようになった亜種が存在することや、従来型のコロナウイルスによる感染・死亡者数を取り除くかどうかで各国の統計情報に大きな影響を生じたことなどからも分かるように・・・・・・」

 僕は手を振って叔父さんの長すぎる講釈を止めた。放っておけば一時間でも二時間でも話を続けそうな勢いだったのだ。

「はいはい、もういいから。サンプルが必要なのね。それで、どーすんの。島の人に協力をお願いして鼻とか喉に綿棒突っ込むわけ?」

「私達が人間からサンプルを採るのは難しい。医師資格も無いし、勝手に始めたらいろいろ法的な問題が生じるだろう」

「うん」

「だから、猫からサンプルを採る」

 なるほど。それなら勝手にやっても、飼い主以外には怒られないだろう。

 いや、ちょっと待てよ。

「結構難しくないかなぁ。猫を捕まえて喉に綿棒突っ込むんでしょ?」

「いや、それは不可能だ。やってみて良く分かった。引っかかれて怪我をするのが落ちだろう」

 良かった。僕もやりたくはない。例えハルだって嫌がって暴れるに決まってる。

「それに綿棒で検体を採取するやり方は意外と難しいんだ。まず綿棒が触れた部分にウイルスが存在している必要がある。運良く喉や鼻の奥で増殖してくれていればいいが、気管支で増えているようなケースだったらそれだけで駄目だ。採取した後に綿棒を汚染させずに管理・運搬するのも意外に難しくて、素人がやるにはハードルが高過ぎる」

「僕たち素人だよ」

「そうだ。だからもっと簡単な方法でいく」

 そう言って取り出したのは割り箸と冷凍食品用の保存袋だった。

「コロナウイルスに感染した場合、排泄物にウイルスが残ることが知られている。今回も例外ではないだろう。猫の糞を集めて調べれば、この島の感染状況について大まかなことが分かるかもしれない」

 うええ。

「猫のうんち探すの?」

 僕だってハルのトイレの世話はする。だけど好んで拾い集めたいわけじゃない。さすがに嫌な顔になってしまったが、僕の反応を無視して叔父さんは説明を続けた。

「綿棒で採取できるのは粘膜のほんの一部だが、糞ならば質量が段違いだ。検査ではなくサンプル収集が目的なのだから、量は多い方が良い。糞の内部は汚染され辛いから、ウイルスがそのまま残りやすいしね」

「汚染されないって・・・・・・もとからキタナイよ」

「ここで言う汚染という言葉は、感情的な綺麗、汚いの意味では無いよ」

 そりゃあ、理屈ではそうなんだろうけど。

「あんまり嬉しい作業には思えないね」

「だからアルバイト代を出すんじゃないか」

 そう言って割り箸と袋を僕に突き出す。

「この島と、ひょっとしたら世界を救うかもしれない大事な仕事だよ」

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