第7話
翌日。突然の報道に僕たちは驚き呆れることになる。
『新型インフルエンザ等対策特別法改正のため、臨時国会を招集することとしました。これは現在発生している新たな状況への対策を議論するためのもので、動物の病気であっても国民への影響が著しく大きいと見込まれる場合、緊急事態宣言の発令を認めるという趣旨での改正を行うものと見られています』
「昨日と言っていることが違うじゃん!」
昨日のニュースでは、現時点では発令するつもりは無いと言っていた。なのに今日は法律を変えてそれをやると言う。やるつもりが有るのか無いのか。憤慨する僕に叔父さんがまたしても訳の分からないことを言う。
「いや、だからね。最初から【法改正しなければ対応出来ない】と言っていたんだから、話としては首尾一貫しているんだけど」
ワイドショーのコメンテーターが僕の心を代弁してくれた。
『政府のこの支離滅裂な対応はどうしたことでしょう。昨日は何もやらないと言い、批判されたら慌てて方針を変える。こんなことではとても信頼できませんよ』
うんうんと頷く僕と父。叔父さんの屁理屈などどうでもいい。
『政府として迅速な対応を行う方針です』
その言葉を聞いた父が少し安心した声を出した。
「良かった。まずは直ぐに補償の問題をなんとかしてもらわんとな。このままじゃ来週の資金繰りにも困りそうなんだ」
叔父さんは沈痛そうな表情をそっと浮かべた。父に気づかれぬよう顔を背けて。僕は隣に座ると小声で聞いた。
「何なの、今の態度。気になるじゃん」
「参考までにこれから何が起きるかを説明するとね」
叔父さんはお悔やみの言葉を述べるような顔をした。
「これから法律を作るための手続きがスタートする。運が良ければ今日、遅くとも数日中に閣議決定がされるだろう」
うん。
「次に国会で審議をするんだが、そのためには色々と準備が掛かる。おそらく審議が始まるのは来週だ」
来週。少し時間がかかるのか。
「それから衆議院と参議院で、それぞれ一週間程度は与野党の議論が行われる。細かい調整と法律の修正が行われ、やっと法改正の決定だ」
「そんなにかかるの?!」
遅い、遅すぎる。
「まだ先があるんだ。具体的な業務は国じゃなくて地方自治体が行うことになっているから、法改正の後に今度は各自治体が予算とその使い方について地方議会の承認を得る必要がある。そこまで終わってからやっと実際の業務が行えるようになるんだけど、普通ならここまで三ヶ月以上。今回は緊急の取り扱いをするだろうけれど、それでも最低一ヶ月はかかると見た方がいいね」
「ちょっと待ってくれ。補償が入るまで一ヶ月も待たされるってことか?」
話を耳にした父が勢い込んで聞いてくる。しまった。僕が大声を出したから父の注意を引いてしまったようだ。
「補償の申請受付が始まるのが一ヶ月後なので、実際の支払いは更にその後です。審査無しという訳にはいかないでしょうし、金融機関への振込依頼にも時間がかかります。二ヶ月で完了したらむしろ早いと思いますね」
あんぐりと口を開けた父に代わり、僕が疑問をぶつける。
「一体、なんでそんなに時間が掛かるのさ?」
「そういう決まりだからとしか言い様がない」
「緊急事態でしょ! もっと早く進める特別のやり方とか、ほら、マイナンバーを使ってどうにかするとか」
「マイナンバー制度を利用出来るのは事前に法律の承認を得た業務だけと定められている。今回の猫コロナウイルスは全く新しい種類の危機だから利用出来ないんだよ」
「な、なにそれ」
「ちなみに利用の承認を得るには一年以上かかる。非常事態にこそ有用な制度なのに、突然発生した非常事態には柔軟に使用できないという意味不明な代物なんだ」
「でも、前回は使ってたんじゃないの?」
「何やら奇妙な法解釈で利用可能ということにしたけれど、本来の考え方からしたらどう考えてもあれは法律違反だ。なぜか誰も指摘しなかったけど、今回も同じようにするという訳には行かないだろうね」
僕は思わず声を張り上げた。
「どーしてそんなことになってんのさ!」
「個人情報保護の観点からだよ。戦争に匹敵するような非常事態であっても政府の独断専行による決定を許さず、勝手に個人の情報を閲覧させず、二重三重のチェック機能で縛る。この国の政治制度はそれが正しいという理念の下に構築されているんだ」
「なんでそんな馬鹿馬鹿しいことを」
「いや、別に馬鹿馬鹿しくは無いんだよ。一回二回の伝染病による損失など些細なもので、権力の暴走による損失の方がずっと恐ろしい。それはそれで一つの高い見識だからね」
横目でワイドショーの画面をチラリと眺める。
「問題はそういう高い見識によって決まったはずの制度が、現実の障害に遭遇するとあっさり放棄される点なんだ。まあ、日本の法律というのは余りにも理念を優先するきらいがあるから、一種のバランスが取れていると評するべきなのかも知れないが」
長い割に意味不明の説明だと僕は思った。
「良くわかんないんだけど」
腹立ち紛れに僕は言う。
「寄ってたかってひたすら手間のかかるやり方にして、話を進めるのを遅らせて。いざとなったら面倒くさくなって決めたことをみんな放り捨ててるってこと?」
叔父さんは実に楽しそうな笑顔を僕に向けた。
「簡単に言えばその通りだね」
「この国の政治家って、みんな馬鹿なの?」
なぜか叔父さんの笑みが大きくなる。
「その結論は少々安易だが、多くの点で馬鹿げていることは否定しないよ」
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