第6話

 それから数日のことについては記憶が混乱している。あまりに多くのことが一度に起こり、順番を思い出せないのだ。だけどとにかく、翌日の朝一番に母が大騒ぎを始めたことは覚えている。

「大変よ。連絡船が運休するんですって」

 今朝になって突然に張り紙がされていたらしい。港では出勤や通学が出来なくなってしまった人達が困り果てているそうだ。そんな中、二日酔い気味の顔をした叔父さんが寝間着姿のまま居間に現れた。

「どうも。おはようございます」

「遅いよ。大体、こんなときに酔っ払うってどうなのさ」

「私だってどうかとは思うけど、今後のことを考えたら、町の有力者の機嫌を損ねる訳にはいかないからね」

 母が差し出したコップを受け取り、一気に水を飲み干す。

「夕べのうちに、船会社に抗議が来ていたんだろう」

「抗議って、どこから」

「全国に居る猫の飼い主からだよ。放置してウイルスが各地に拡散した場合、船会社はその責任を問われかねない。運休するのが当然の経営判断ということになる」

 まあ大変どうしましょ。お米が足りなくなったら困るわと母が騒ぎ出す。

 昨日は足りるって言ってたくせに。

「大丈夫です。昨夜のうちに町と県庁の担当者で話をしておきましたから。少なくとも生活物資が止まることはないはずです」

 叔父さんによれば、船会社は結局のところ責任を自分で取りたくないだけだ。だから県庁が正式に依頼する、言い換えれば県が責任を取ると明言すれば運行を再開させるのは難しくない。自信たっぷりにそう断言する。

「人間や動物の運搬はともかく、生活必需品の輸送については問題ないでしょう。数日後には流通は戻ります」

「でもねぇ。買いづらい品も出てくるでしょうから。ちょっとお店に行ってくるわ」

 母は不安そうな顔のまま出かけていった。

「今から行ったら大変だろうね」

 叔父さんは言い、その予測は正しかった。島のホームセンターの駐車場が満車になるという前代未聞の事態が生じ、渋滞の発生など全く考慮してない周辺の道路は大混乱になっていたそうだ。


 次に思い出すのは、怒り狂った表情で帰宅した父の顔だった。

「大変だ。島の船が入港禁止にされた」

 漁協の船が本州の港に向かったところ、接岸を拒否されたらしい。

「ウイルスに感染していない証明が無い限り、魚も売り物にならんと言っている。魚にウイルスが感染するのか? そもそも問題のウイルスが何かも分からんというのに、どうやって感染していない証明をしろというんだ」

 前回のパンデミックで大きな被害のなかったこの島と違い、本州の人達の反応は素早かった。僕たちにとっては過敏と言ってもいいほどに。その頃には既に農作物も全ての取引が停止されていたという。そして昼頃からかかってくる宿泊のキャンセル電話。うちの民宿の僅かな予約は、あっという間にゼロになった。


 そして船の運休は、島に残された観光客にとっての悪夢だった。

「島から出られないって、どうしたらいいんですか!」

 隣の宿から口論の声が聞こえてくる。

「私達だって予定があるんですよ。誰が責任を取ってくれるの?」

 騒ぎを聞きながら僕は思う。責任と言われてもなぁ、と。僕たちだって巻き込まれた側なのだ。文句を言いたくなる気持ちは分かるけど、そういうのは国とか県とかの偉い人にぶつけて欲しい。

 全体では100人近い旅行者が島に取り残されているという。彼等がいつ島を出ることが出来るのか、それまでの宿泊費用を誰が負担するのかといった難しい問題については、まだ何も決まっていない。


 夜遅く、ふらふらになった姉が帰ってきた。疲れ果てた様子で居間のテーブルに座り込む。さっきまで毛繕いをしていたハルが、姉の傍らに寄って鳴いた。

「ハルうぅ~」

 姉はハルを抱きしめてほおずりを始めた。

「ひでーんだょお、あのクソ野郎共~ か弱い女の子に好き勝手言いまくってさー お前じゃ話にならないって言うならいちいち嫌味言ってくるんじゃねー!」

 罵詈雑言を吐きながら優しくハルの身体を撫でる。しばしのモフモフタイムを過ごした後、すっきりした顔でその手を離した。

「ありがとね」

 ハルは何事も無かったような顔で元の位置に戻り、再び毛繕いを始める。

 落ち着いた姉に僕たちは話を聞いた。役場の電話は一日中鳴りっぱなしで、ウイルスとは何の関係も無い部署に居る姉も応対にかり出されていたらしい。

「何にも話せることはないって説明してるのに、こっちが犯罪を隠蔽してるみたいな口調でネチネチネチネチ。脅しめいたこと言い出す奴までいるし」

 県庁が対応することを早々に決めたため、マスコミ関係の取材はそれほど激しくなかったらしい。今後の発表は全て県庁で行うから個別の取材には応じないと回答し、それでもしつこい連中がいた場合、これ以上続けたら会社ごと県庁会見場への入室許可を取り消すと、県からマスコミ本社に警告を出すことになった。島内部からの電話も同様だ。前日の間に顔役と連絡をつけておいたおかげで、怒鳴り込む人はほとんどいなかったという。

「だけど島の外から嫌がらせ電話がバンバンくんの。もう言いたい放題」

 愚痴をぶちまけながらビールをあおる。

 ああ、こりゃあ相当にストレス溜まったな。

「わたしたちが悪のウイルスを開発したんじゃねーっつーの! こっちだって被害者だよ。あ、叔父さんどーも」

 叔父さんは、グラスが空いたタイミングで実に自然にビールを注いだ。その手つきと態度から、この人はビールを注ぐことに慣れまくった人なんだと良く分かる。

「でもさあ。昨日あんなニュースが流れてびっくりして、こんな大騒ぎになってるけど。なんだか実感湧かないよね」

 なにせ、僕たち自身の周囲におかしなことは何も起こっていないのだ。ハルだって元気なままだし、島中に猫の死体が転がっている訳でもない。本当にウイルスが広まっているのか、疑問を抱きたくなってくる。

 つけっぱなしのテレビから政府の会見映像が流れていた。大臣だか官房長官だかが、見え見えの虚勢を張っている態度でマイクに向かっていた。

『政府としては、現時点で緊急事態宣言の発令を行う考えはありません。報道されたウイルスの特性が明確になっていないことと、更に根本的な問題として政府は猫の病気によって緊急事態宣言を発令する権限を有しておらず』

「まったく無責任だよねー」

 酔いの回り始めた目つきで姉が毒づく。叔父さんが言い訳のようにフォローした。

「いやまあ、質問が【今すぐ緊急事態宣言を出す考えはあるのか】だから、しょうがないんだけどね。法律的には出せませんとしか言い様がない」

 映像が切り替わり、スタジオの司会を務めるタレントが話を始めた。

『法律だから、という一言で終わりにして、非常事態の対応をしないなら政治家などというものは存在する意味が無いんじゃないかと思うんですよね、僕は』

 ゲストの一員がその後に続く。

『危機が迫っているにもかかわらず、政府の動きは鈍重で決断を下そうとしない。何かが起こってからでは遅いことを理解していないとしか思えませんね。そんな下らない法律なら、守る意味なんてないじゃないですか』

 叔父さんが軽く首を横に振る。

「マスコミが政治家に向かって法を逸脱しろと言いだすのはどうなのかなあ」

「だってさ、いざという時の対応をするために政治家が居るんでしょ」

「非常事態に備えた法律を事前に作っておくのが政治家の仕事だよ。何かある度に超法規的行動で対応するというのは、とんでもない間違いだ」

 何やら小難しく意味不明なことを言い出すが、結局の所、役立たずであるという結論は変わらないじゃないか。スマホで見れば先ほどの会見はネット上でも批判の嵐で、その無策ぶりと危機意識の薄さに対する怒りの声でお祭り状態になっていた。

「でもさーやっぱり無能じゃん。自分達がエラいって普段ふんぞり返っているんだから、こういう時ぐらいもっとしっかりしろっていうの。違う?」

 酔いと怒りを込めた視線を向けられ、慌てて叔父さんは姉にビールを注いだ。

「日本の政治家がもっとしっかりすべきだという点はその通りだと思うよ、うん」

 あからさまなまでの態度の変化。日和りやがったな、こいつ。

「だよね~」

 姉の機嫌が治る。父も加わって二人で憂さ晴らしのように政治家への文句を言い合い始めた。実害を受けているだけあって内容は実に辛辣だ。叔父さんは適当な相づちを打ちながら、二人に対して酌をし続けていた。

 やがて見計らったようなタイミングで叔父さんは腕時計に視線を移す。

「すみません。これからネットで打ち合わせがあるので」

「ああ、そうか。それじゃ最後に一杯だけどうですか」

 父がビール瓶を手にする。叔父さんの困ったような顔。そこに母が割り込んだ。

「もう飲み過ぎなんだから、二人とも止めなさい。明日も仕事でしょ」

 母の声で家族内の政治談義はおしまいになった。

 うまいなあと僕は感心する。今のは絶対に母が口を出すタイミングを見計らっていた。なるほど。さすがは権力者に取り入る仕事をしていだだけのことはある。


 ささやかな宴会がお開きになった後、僕は歯を磨こうと廊下に出る。途中の部屋を通り過ぎるとき、開けられたドアの向こうでノートPCに向かって何やらぶつぶつ言っている叔父さんの姿が見えた。

 視線を戻して洗面所に向かう途中、妙なことに気づく。

 日本語じゃなかったな、今の。

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