第5話

 帰宅した時間には、県庁での緊急記者会見なるものが始まっていた。

『人間が重症化する可能性はない、と考えて良いのでしょうか』

 記者の質問に対し、眼鏡を掛けた高齢の男性が答える。

『それは感染の状況や慢性疾患の有無などによって異なります。しかし、健康な人が重層化する可能性は極めて低いのではないかと推測されます』

『絶対ではないんですね』

 やりとりを聞いていた叔父さんが呆れたように呟いた。

「絶対の保証なんて在るわけないんだけどなあ。ワクチンだって100%じゃない」

 僕たちが定期的に打っているワクチン注射にも副作用はある。学校で配られたパンフレットには、何万人に一人かは発熱し、死亡する可能性もゼロではないと書かれていた。

『県はなぜこの事実を伏せていたのでしょうか。隠蔽していたのではないか、という声もありますが』

『公表するには情報が少なすぎたからです。付け加えて言えば、現時点でもこのウイルスの性質には不明な点が多く、調査中であるとしか申し上げられません』

『不明な点が多いとしても、危険があるならば公表して早期の対策を取るべきだったのではないでしょうか』

 その意見はもっともだと僕は思った。それについては父も同意見だったらしい。

「まったくだ。ぐずぐずと隠したまま調査している場合か。直ぐにでも対策を取るべきだろうが」

「あのう」

 叔父さんが遠慮がちに声を掛ける。

「この人達が言う対策というのは、要するに【この島を封鎖しろ】ということなんですが」

「なに?」

「この様子では明日には移動の制限が始まると思います」

「ちょっと待て。どうしてそういう話になる。まずこの島の人間の安全を確保するのが先じゃ無いのか」

「彼等はまず、自分達の安全を確保するように主張しているんですよ」


 画面の中では、まさにそういった話が始まっていた。

『やはり島ごと隔離してしまうのが一番確実なのではないでしょうか。ウイルスの性質が分からない以上、それしか手段はありませんし』

『連絡船の運行を停止させ、人と猫の往来を止めるべきです』

『ネット上では、飼っている猫を心配する声が溢れかえっています。人々の不安を鎮めるために、なんらかの対応を取るべきなのでは』

 ヤジにも似た発言に、眼鏡の男性は困った表情で答える。

『現時点では、県が直接命令する法的根拠がありません』

 怒ったような口調で記者から質問が飛んだ。

『法的根拠がないのなら、国に緊急事態宣言の発令を依頼すればよいでしょう。県としてそういった努力もしないのですか』

 勢いに押されながらも、男性は必死に弁明を試みる。

『緊急事態宣言の発令は、国民の身体や健康に著しく重大な被害を与える恐れがある場合に限られています。判明している限りでは、これは人間に対して大きな影響がある病気とは言えません』

 会場が騒然とする。

『現在の法体系は人間の病気を前提としています。動物の病気を理由に人権に関わる制限を発することは許されておりません。勿論、県としても対応を検討しているところはありますが・・・・・・』

『県は何もしないということか!?』

 そこから先は滅茶苦茶だった。順番も何も無視しての質問が会場から湧き上がり、何を話しているかがまるで分からなくなる。


「ねえ、これどーすんの」

 姉が絶望的な表情で呟いた。

「明日、仕事行きたくないんだけど。島中から役場に人が押し寄せるよね、これ」

 そりゃあそうだろう。先ほどの父の反応が良い例だ。なぜこれまで説明がなかったのか、今後どうするのか。怒り心頭になった人々が窓口に殺到するに違いない。

「ほ、ほら。ホームページに説明を書いておくとか」

 僕の提案は即座に却下された。

「この島の人達はそんなもの見ずに電話かけてくるの。老人ばっかりなんだから」

 うん、そうだよね。過疎化の進む島なんてそんなものである。

「確かに対策が必要だ。今夜のうちに動いた方がいい」

 やけに落ち着いた態度で叔父さんが口を挟んできた。

「対策って、どうすんのさ」

 疑わしげな僕の声。しかし叔父さんの声は妙に自信に溢れていた。

「政治家の下で働いていたことがあるからね。経験がある。こういうトラブルの対応にはセオリーがあるんだ」

 叔父さんは父に向き直った。

「この島の地区会長のような方は何人いらっしゃいますか?」

「全部で13ある」

「その方達に役場の部課長から連絡をして、『役場でもまだ情報は無いから電話をしないように』と周囲に伝えることはできませんでしょうか」

「そりゃあ、頼めばなんとかなるかも知れんが」

「漁協や農協を通じてもアナウンス出来るのでは」

「そうだな。島の人間は大抵どっちかに関わりがある」

「あとはマスコミ対策ですね。放っておくと、一日中役場の電話を鳴らし続ける」

「そうなの?」

 僕は疑問を呈した。役場に電話したって何にもならないことぐらい、分かりそうなものだとおもうけど。

「報道を見る限り、今回のネタは一社だけのスクープだった。そうなると、どういうことが起きるか分かるかい?」

 僕は首を横に振る。

「わかんないよ、そんなこと」

「特ダネを他社にさらわれた記者達は上司に怒られる。怒られた記者は二度と他社のスクープを許すわけに行かない。そして、そのための対策を取っている証明として電話を掛け続けるんだ。そんなことをしていても何も新しいネタは得られないと分かっているのに」

 な、なんだそれは。馬鹿馬鹿しい。

 叔父さんは以前にあった災害の事例とやらの説明を始めた。

「小さな町の若者が増水で行方不明になった際、それが全国的なニュースになった。そうしたら数十人しかいない町役場に数百人のマスコミ関係者が押し寄せて、ひっきりなしに新しい情報がないかと問い合わせをし続けたことがある。町役場はその応対に忙殺され、肝心の行方不明者の捜索が不可能になってしまった」

 ひどい話だ。だけど今、それは他人事ではなかった。

「マスコミの目的は記事を書いて注目を集めることだからね。取材を受ける側の迷惑なんて知ったことじゃないし、厳しく言ってしまえば事態の解決にも感心が無い」

「うん、それは分かった。でも、叔父さんがなんとかできるわけ?」

「彼等の要求を一言にまとめれば、【スクープからウチを外すな】だ。だから今後の情報は全て記者会見で公開し、個別取材は応じないと公表すれば満足する」

「どうやってやんのさ」

「県庁に知り合いが居る。島の広報担当、或いは保健担当の課長さんを紹介して貰えれば、話し合いの場を設けるぐらいはできると思うよ」

 はいはーいと姉が手を挙げた。

「保健福祉課長なら、いつもの飲み屋にいると思う。ここから15分で着くよ」


 役場の課長に話をするならば、叔父さんや姉ではやりづらい。漁協で役職についている父が一緒の方が良いという話になり、三人は近所の居酒屋に向かった。

 二時間近くが過ぎた後で、姉だけが戻ってくる。

「どうだったの?」

「いやあ、なんかスゴかった」

 姉はしきりと感心している。

「政治家の秘書をしてたっていうのはハッタリじゃないね~」

 居酒屋で酔っぱらっていた課長を見つけると、叔父さんはその場で県の担当者を携帯で呼び出して、電子会議を始めたらしい。やがて話が進むと県庁側の課長が登場し、町役場側は部長どころか町長まで居酒屋にやってきたという。

「話をまとめるのが上手いんだよね。エラい人のプライドを傷つけずに巧みに誘導するっていうか」

 マスコミの取材に対応するには専門家が必要だということになり、会見は県庁を通して行うこと、そして町への個別取材は拒否するという方針が決まったらしい。県内の主要な新聞やテレビ局への通知は県が行い、役場側は島内への周知を担当することになった。

「地区会長への連絡は部課長が行うことになったんだけどさ。文書も必要だって話になって、ウチからそれを送れって」

 姉は僕に手書きの文書を見せた。そのまま家の電話機に向かう。

「いまどきFAXなのぉ?」

 呆れる僕に、諦めに満ちた声が返ってくる。

「お年寄りが多いから、回覧板に出来るようにしないとダメだって言うんだもん」

「メールでデータを送ったって同じじゃん。プリントアウトぐらいできるでしょ」

「そういう正論はあの人達に通用しないの」

 21世紀になってから24年が経過しているというのに、こんなことで大丈夫なんだろうか。

「県庁が全面的にサポートしてくれるという話になったのはいいんだけどさ、安心した町長が酒盛り始めちゃって。お父さんと叔父さんも付き合わされてる」

 話を聞いた僕は、なんだか急に不安になってきた。まだ何も始まってすらいないのに、偉い人達があまりにも呑気過ぎるように思えて。

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