第4話

 軽ワゴンの運転席に座ると叔父さんはラジオを付けた。いくつか局を変えて、猫ウイルスの報道をしているニュースを見つける。

「道、分かるの?」

「ホームセンターに行けばいいのかな。この島には一カ所だけだよね」

「確かにそうだけどさ」

 僕は口を尖らせる。

「なんかド田舎って言われているみたいで嫌だな、その言い方」

 それは悪かったと叔父さんは真面目に頭を下げた。勝手な話だがそういう態度を取られるのもなぜか面白くなく、僕はそっぽを向いた。ラジオからは先ほどのテレビとほぼ同じ内容が流れている。

「人から猫に感染する病気なんて、聞いたことないけど」

「動物では症状が軽いのに、人間には致死的な病気は珍しくないよ。逆パターンがあるのはむしろ当然で、意外と昔から多かったんじゃないかな」

「でも、そんな話今まで聞いたことないし」

「存在していなかったんじゃなくて、気にしていなかったんだろう。医学が人間以外の病気を広範囲にカバー出来るようになったのは、そんなに昔のことじゃない」

 二つ目の信号を曲がった。そのまま海沿いを少し進むと、ホームセンターの無意味にでかい駐車場が姿を現してくる。

「叔父さんってさ」

 僕は先ほどから抱いていた疑問をぶつける。

「この猫の病気のこと、知ってたでしょ」

 一瞬の沈黙。しかしはぐらかすことなく、叔父さんは答えた。

「やっぱりそう思う?」

「バレバレ。妙に落ち着いているし、なんか裏の話にも詳しそうだし」

 ふうと息を吐いてから、叔父さんは車を駐車スペースに停めた。

「実はね、半月ほど前から研究者の間では情報が流れていたんだ。ワクチンのDNAを取り込んで変異したとおぼしきウイルスがあるって。まだサンプルが少なすぎて、確定的な証拠は無い状況だったんだが」

「だから、この島に研究に来たの?」

 ひょっとしたらこの人は凄い研究者か何かで、この島のピンチを助けてくれるのではないか。そんな僕の淡い期待はあっさりと打ち砕かれた。

「いや。私はそういう分野の専門家じゃない。たまたま君たちが民宿をやっている島だったから、それなら暫く滞在しても不自然じゃ無いし、上手くやればサンプルの回収ぐらいは出来るだろうと話を持ちかけられてね。ええと、簡単に言えばアルバイトをしようとしたんだ」

 手袋をしたままハルに近付こうとする姿を思い出した。

「だからあんな下手くそなやり方で猫を追いかけてたわけ? あんなんで上手く行くはずないじゃん」

 その言い方に叔父さんは傷ついた顔を見せる。

「しょうがないじゃないか。・・・・・・私は猫に好かれない性質なんだ」

 うわぁ、拗ねたよ、この人。


 こりゃあダメだ。全然期待できそうにない。そう思いながら僕は車から降りた。

 カートを引いて店内に入る。この時間にしてはやけに混んでいた。とは言え棚の商品にはまだ余裕がある。

「もう既に、異変を感じて早めに動きだした人もいるだろう。明日の夕方には、手に入らない品が出てくるだろうね」

 叔父さんはメモに記された品々をカートに載せていく。使い捨てマスクや消毒用アルコールなどを買うのは理解できたが、僕にはどうにも良く分からない品もある。大量のフリーザーパックに保冷剤と割り箸。そしてコーヒー豆のでかい袋を積んでから、叔父さんは次のコーナーに向かった。ふと見れば、カートにうずたかくトイレットペーパーを積んだオバサンが通路を通り過ぎていく。

「大人って、どうして何かあるとトイレットペーパーを爆買いするんだろう」

 数年前の騒動が起きた時も、物凄く不思議に思っていた。そりゃあ無くなれば困るかも知れないけれど、あんなに買い占める必要なんてあるんだろうか。

「面白い問題提起だね。真面目に考えると、水道さえ使えればトイレットペーパーが無くても衛生状態を保つのは難しくない。逆に水道が使用できない状況でトイレットペーパーだけがあっても無意味だ。ラップのように汎用性に富んでいる訳でもないから、緊急事態においてあまり重要度が高い物品とは思えない」

 叔父さんはそう言って大きく頷く。

「しかし海外でも見られる現象だから、何か心理的な理由があるのかも知れないね。例えば、そうだな。トイレットペーパーは軽い割にサイズが大きいのが特徴だ。大きな荷物を運ぶと【準備をしている】という安心感を人に与える効果があるという仮説はどうだろう。保存が利くし値段も大したことがないから【無駄になるかも知れない】いう警戒心も湧きづらい。うん、論文の題材にしても面白そうだ」

 妙な食いつきに僕は引く。いえ、そこまで大真面目に考えなくても結構です。

「ああそうだ。忘れずにあれも買っておこう」

 そう言って叔父さんはDIYコーナーに向かった。棚から巨大なブルーシートを引っ張り出す。

「ウイルス対策に、ブルーシートって役に立つの?」

「いや、全然」

「じゃあ、なんでそんなもの」

「君の家の屋根は、古くて傷んでいるよね」

 完璧な事実ではあったが、その指摘は僕の心をいささか傷つけた。

「余計なお世話だと思いますけど~」

「今年も梅雨の時期には大雨、そして夏には大きな台風が来るだろう。万が一事態が長期化したとき、入手できなければ困るんじゃないかな」

 なんだよ、それ。

「それって、今考えるようなこと?」

 腹立ち紛れに毒づいた僕に、叔父さんは真剣な顔を向ける。

「ウィルスの広まった島には台風が来なくなるわけじゃないだろう。危機が起きた際、目の前の問題だけに囚われるのは危険だ。未来に備えるためには広い視野が必要だよ」

 ムカつく。とりあえず僕はこの人を嫌いになることに決めた。


 会計を済ませてから隣接する薬局に向かい、薬を受け取る。車に乗り込んだとき叔父さんが僕が抱えた薬の紙袋を指さした。

「あと、これは話半分に聞いて欲しいんだが。あるいは今その薬を飲むのは控えた方が良いかもしれない」

 また妙なことを言い出してきた。僕は呆れた声を出す。

「悪玉コレステロールを下げないと病気になっちゃうでしょ」

「日本で悪玉と呼ばれるタイプのコレステロールは、免疫細胞の活動を活発にさせる効果がある。数値を下げると癌や感染症への抵抗力が落ちてしまうから、ウイルス感染を防ぐという意味では低ければ良いという話にはならないんだよ」

 僕は驚いて薬の袋を見た。

「コレステロールの善玉・悪玉という表現は動脈硬化を問題視する循環器系専門家からの評価であって、それ以上の話では無い。そんなことは十年以上前から分かっているんだが、この国では未だに一部の見解ばかりが重視されている」

「それじゃ、これって」

 見慣れた袋が、急に違ったものに見えてきた。 

「公平に言っておくよ。コレステロール値が高いことによるリスクも確かにある。そして私は医療については素人だ。君のお父さんの健康状況に詳しいわけじゃないから、トータルでどちらを優先すべきかは分からない。しかし、そんな事実も知っておいた方がいいと思ってね」

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