第3話
夕飯前の僅かなひと時は、僕にとって重要な時間帯だ。裕福と言えない我が家には大型画面のテレビは一つしかない。そのため迫力あるゲームを堪能できるのは、一階の居間が空いているこの時だけ。団体客が来た時には宴会場にもなる広い畳の部屋に僕はゲーム機を持ち込んだ。テーブルに座る叔父さんに声を掛ける。
「テレビ使ってもいいですかー?」
「ああ、構わないよ」
僕は叔父さんに軽く頭を下げると、ゲーム機を接続した。対戦型だがアクション性は低いから、Wifiで十分だ。
ほどなくマッチングが開始された。このゲームは心理戦が熱い。互いに同じポイントでカードデッキを組み、半リアルタイムでそれを移動させつつ戦っていく。
互いのカードは伏せられた状態で始まり、敵のカードとぶつかって戦闘するか、魔法などの大技を使うと表に変わる。正体がバレる危険を冒して先手を取るか、あえて相手の動きを待つかの選択が重要だ。課金すれば色々有利だが読み合いで十分補えるレベルで、そのバランスの良さから人気が高い。
一戦目は相手がいきなり大技を仕掛け、僕のメインカードを破壊されて負け。どうやら相手は速攻で博打を打つタイプらしい。それなら。二戦目で僕は手を入れ替えた。一枚だけレベルの低いカードを混ぜて、余ったポイントで他のカードを強化する。
「なかなか面白そうなゲームだね」
背後から叔父さんの声が聞こえた。
「うん、結構人気あるよ」
「その手は、何かの作戦かい? 一枚だけ他とバランスが取れていないけど」
なかなか指摘が鋭い。ひょっとしてゲーマーなのだろうか。
「そそ。見てて」
対戦が開始された。互いが陣形を整えるなか、僕は例の一番弱いカードを最後尾に配置する。普通ならば魔法使いか回復役の位置。
「こうすると、相手はこれを重要なカードだと思い込む可能性が高いんだ」
相手のカードが光った。攻撃に加わった三枚がオープンされる。特殊能力が複合で発動して僕のカードを吹き飛ばした。最後尾にあった、一番弱いカードを。
「囮か」
「そそ。これで相手は大技を無駄に使ったうえに正体まで晒してくれたから。次はこっちの番」
僕は余裕を持って次のコマンドをセットした。相手のキーとなるキャラクターを全力で狙い撃ち。見事に撃破。後は余裕の勝利。
「ふむ」
叔父さんが興味深げな声を出した。
「それは一種の必勝法なのかな?」
「いえ、全然」
僕は簡単に解説をした。
「偵察ってコマンドがあるから、それで相手の正体を見極めればいいだけ」
「相手は、どうしてそうしなかったのかな」
「偵察をするとその分だけ手が遅くなるから。手間が面倒だから、さっさと攻撃しちゃった方が早いって人が多いよ」
口で言うより画面を見せた方が早そうだ。僕はサービスで偵察をメインにしたデッキを構築する。
再び対戦が始まった。僕は偵察コマンドを使用した相手カードの正体を暴く。四回中、三回成功した。
「確実じゃないんだね」
「うん。偵察は空振りすることもあるし、スキル枠を偵察で埋める分だけ、こっちの攻撃や防御も低くなっちゃう」
僕は正体の分かった相手の魔術師を破壊した。だけど相手も攻撃スキルの優位を活かしてこちらのカードを破壊する。それ以上の手を打てず、最後には単純な力比べになってしまった。こうなると地力で劣るこっちの分が悪い。
「駄目だ~」
僕はコントローラーを投げ出した。
「成程。偵察をしても、結局は正攻法で戦うしかないこともあると」
「そそ。相手のキーカードをちゃんと見つけられる保証もないし。どっちかと言えばポイントを絞ってここぞって時に使う感じかなあ。上手く使える人って上級者」
僕は次の対戦に備えてデッキを組み直す。だけどその途中で、ニャアという声をあげてハルが僕の膝の上に乗ってきた。ゲームなんかやっていないで私を構え。明確な意思を秘めた瞳で僕を見上げる。
はあ。しょうがない。僕はコントローラーを置いてハルを撫でた。こいつは電源ボタンの位置を知っている。無視して機嫌を損ねたらかえって面倒なのだ。
叔父さんの視線を感じて、僕はハルをガードする。下手くそに撫でようとして手を出されても迷惑だ。
そんな僕の意図を察した叔父さんが苦笑交じりに問いかけてきた。
「その子は、この家の猫なのかな?」
「元々は野良猫。いまでも半分はそうかな」
僕は簡単に説明をした。
この島が猫島として知られるようになったのは、僕が小学生の頃だ。最初は観光客が増えると喜んでいたのだが、そのうちに旅行客が島に猫を棄てる例が続出してしまった。その中の何匹かが猫エイズに感染していたらしく、病気が広まって沢山の猫が死んでしまったのだ。
「子供としてはちょっとトラウマになるぐらいの死体が転がってたんだ」
「それは・・・・・・何というか、大変だったろうね」
「以前からもなんとなくこの猫はこの家で世話をする、みたいな風習があったから。それを機会にみんなが自分の担当の猫に避妊手術やワクチン接種をするようになって。あれこれの面倒を見ている内に野良猫だか家猫だか分からなくなっちゃって」
ともあれハルはウチの家族として迎え入れられることになった。
ちなみに今では外部から猫を持ち込まないよう、島の連絡船では基本的にペットの乗船を禁止している。
「ウチに居着いた時期が春だったから、ハルって呼んでる」
「成程ね」
そう言いつつ、叔父さんはハルから距離を取った。
「叔父さんってさ、猫が好きなの? 嫌いなの?」
どうもその辺りが良く分からない。猫に好かれたいとか言ってちょっかいをかける割には、何というか熱意が感じられないのだ。
「本音を言えば犬の方が好きかな」
それは意に染まない仕事をしているような顔だった。
「そのせいもあって、どうも猫には好かれないようだ」
その意見については全面的に賛成だったけど、それにしても変な態度だと僕は思う。政治家の秘書をしていたという経歴からして頭は良い人なんだろうけど。率直に言ってしまえば、変人に分類されるタイプじゃないだろうか。
まあ、首になったことをメインに考えると、挫折したエリートという表現もできるんだよな。そういう人間はやはり色々と心に問題があるのかも。
らちもなくそんなことを考えていると、玄関から声が聞こえた。
「ただいま~。あ、叔父さんどーも」
役場の仕事を終えた姉が軽い調子で挨拶をする。叔父さんに対して懐疑的な母と僕に対し、父と姉はどこかで馬の合うところがあるようだった。単に酒を飲めるという共通項があるだけなのかも知れないけれど。
残念ながらもうテレビを独り占めはできそうになく。僕は不完全燃焼のままゲーム機を片付けた。漁協に勤める父も今日は早めに帰宅。テーブルに夕食の皿が並べられ始める。一応は親戚扱いの叔父さんは、部屋ではなく居間で皆と一緒に食事を取る。父と姉がビールを勧めるが、休肝日というものが存在しない二人ほど酒に強いわけではないらしく、やんわりとそれを断っていた。
「お父さん、ほどほどにしてくださいね。コレステロール値が高いんだから」
母の小言とそれを聞き流す父と姉。たわいない会話と笑い声。僕は寄ってきたハルに刺身を一切れ食べさせた。
いつもとは少し違う、しかし普段と同じ夕食の光景。そんな雰囲気が一変したのは、BGM代わりのテレビから流れ出す速報の音だった。誰も見ていなかった難しすぎるクイズ番組の映像が途切れ、緊急速報のテロップが流れる。
『突然ですが、緊急ニュースをお知らせします』
真面目な顔をした女性アナウンサーが告げた。
『速報です。昨日、―――県の島で、かねてから懸念されていた、猫・人感染型コロナウイルスが発生していたことが判明しました』
流れる映像。他人事のように眺めていた僕たちは一斉に驚きの声をあげる。
港、小さな繁華街。そして役場。見慣れたその景色は、間違いなく僕たちの住むこの島のものだった。
え? え? どういうこと?
僕から一切の思考が失われる。家族も同様だ。何を言われているのか全く分からない。いつもと同じ夕食を食べている最中に、突然にウイルスが流行してますなんて言われたら、誰だってそうなってしまうだろう。
『この島は、一部では猫島と呼ばれており、多数の猫が無秩序に生息しています。そのため、専門家から猫同士の感染が急速に広まる懸念が指摘されています』
いやいやいや。ちょっと待って。そんな言い方はない。確かにフリーダムな雰囲気はあるけれど、島の人たちが共同で面倒を見ているだけだってば。観光のネタでもあるから役場も協力しているし。だけど僕が内心で呟いた反論を無視して、テレビのキャスターが語り続ける。
『このウイルスの特性として、猫と人の双方に感染する性質を持っているようです。専門家の方から、ご意見を伺いたいと思います』
画面の右半分が画像の粗いWebカメラに切り替わった。本棚を背景にした男性の姿が映る。こう言ってはなんだが、叔父さんよりも遙かに学者っぽい風貌。
挨拶と自己紹介の後、白衣の男性が語り出す。
『COVID-19が流行した際、既に人と動物の間でウイルスの交換が行われる可能性は指摘されていました。動物から人への感染例が公式に報告された例はありませんが、人からペットへ感染したと思われる例については記録があります』
男性は手書きのボードを取り出した。感染経路の矢印は、人と人の間では双方向、人と猫の間では猫への一方通行になっている。
『ところがこのウイルスは猫から人、そして猫から猫への感染が発生するようです』
図にその方向の矢印が書き加えられた。
『発見されたきっかけは、体調不良になった島の住人から従来とは違うタイプのコロナウイルスが検出されたことでした』
女性アナウンサーが心配そうな顔をする。
『心配ですね。病気の広がりによっては、前回のような大きな被害が発生するということでしょうか』
学者の先生は首を横に振った。
『可能性はゼロではありませんが現時点では高くありません。実はこのウイルスは人体にとってあまり有害ではないらしく、感染していた方も軽症で、現在は回復しています』
『では、何が問題なのでしょうか』
『猫です』
断定的な声。ハルがニャアと鳴いて僕に刺身の追加をねだる。
『男性の飼っていた猫が相次いで死亡しています。調査の結果、猫は肺炎症状と臓器不全を起こしていました。その原因がこのウイルスではないかと疑われています』
僕はびっくりしてハルを見た。猫の肺炎?
『COVID-19のウイルスが人から猫にうつることは以前から知られていましたが、従来のものは人間に病気を引き起こす一方、猫に重篤な症状を引き起こすことはありませんでした。ですが今回発見されたウイルスは、人よりも猫にとって致命的である可能性が指摘されています。これは今までに見られたことのない現象です』
「ちょ、ちょっと待て」
怒ったような声で父が言う。
「なんでいきなりこんなニュースをやってるんだ。役場はどうなってる。どうして何も言ってこないんだ」
キツい視線を向けられた姉が、困惑した表情になる。
「知らないよ。わたしだって何も聞いてない」
「そんなはずがあるか!」
興奮しかけた父を、叔父さんが宥める。
「割り込んで恐縮ですが、そういうこともあるかも知れません」
「なぜだ、どうして分かる」
「保健所を管轄しているのは県庁ですから」
経歴のせいか、妙なことに詳しい。
「県でまだ調査中の段階だったとすれば、島の役場にまで連絡が来ていないことはあり得ると思います」
叔父さんは溜息をついてから付け加えた。
「まだ不確実な状況でスクープされたのでしょう」
「しかし、コロナだと言っているぞ。そんな重大なことなら」
「コロナウイルス自体はありふれた存在です。ええと、つまりですね」
叔父さんは宙を見てしばし考え、そして言った。
「これは猫にとっての伝染病ですが、人間にとっては只の風邪なんです」
「だからなんだ」
「猫のエイズが流行ったとき、役場の動きはどうだったでしょうか」
その指摘に、父はううむと考え込む。
「ひどく遅かったのでは? ペットの病気という話になってしまうと、公的組織の動きはどうしても鈍くなる」
叔父さんの言葉に応えるように、画面の中の専門家が語り出した。
『今回のウイルス、仮に猫コロナウイルスと呼びますが、この遺伝情報は前回のパンデミックを発生させた新型コロナウイルスよりも、むしろCOVID-19用ワクチンとして使用されているそれに遺伝情報が近いとみられています。つまり人間にとって弱毒化されたウイルスということになるわけです』
『だから人には大きな影響が無いということなんですね』
『はい。ですからその点は安心材料なのですが、別の問題が発生します。人間はこのウイルスに感染してもほぼ自覚症状が無いでしょう。そのため普通の生活を続け、次々にウイルスを広めてしまう可能性があります。ですがそれによって感染した方が自宅に戻って猫と接触した場合―――』
『飼っている猫が病気になってしまうわけですね。ペットと同居している方にとっては深刻な問題です』
『はい。日本全国で飼われている猫は一千万匹いると言われ、その影響は極めて大きいと言わざるを得ません』
部屋の会話は止まり、テレビの音声だけが響き続けた。
家族全員の顔に、どうすればいいんだ? という疑問が張り付いていた。当然だ。突然、島に新型ウイルスが広まっていると言われても困惑するだけだ。これからの行動をどうするか考える前に、今何が起こっているのかを理解できていない。
独り冷静な叔父さんが残ったご飯をかきこみ、茶碗をテーブルに置いた。
「ご馳走様です」
日常感に満ちた言葉が強烈な違和感を持って響く。
「済みませんが、車をお借り出来ないでしょうか」
突然の申し出。だけどそれはひどく具体的な行動で、僕たちの意識を平常のそれに戻す効果があった。なにはともあれ、脳が理解できる内容だったのだ。
「こんな報道がされた以上、色々と混乱が生じるでしょう。遠からず買い占めが始まる。今のうちに生活必需品を揃えておいたほうが良いと思います」
叔父さんはメモ帳を取り出すと、几帳面に品目を書き始めた。使い捨てマスク、消毒用アルコール、ビニール手袋などなど。
他に何か必要なものはありませんか、そう問われた母が戸惑い顔で言う。
「そうねぇ・・・・・・お米はまだあるから、トイレットペーパーぐらいかしら」
叔父さんは一瞬だけ手を止めたが、何も言わずにそれをリストに追加した。
「ああ、そうそう。お父さんの薬。まだ薬局は開いているかしら」
「処方箋は?」
「大丈夫。行けば分かるから」
叔父さんは微妙な表情になった。島の外の人達にとって顔パスで薬が出されるのは奇妙なことなのかも知れないけど、そんな顔されてもなぁ。ここではそれが当たり前なのだ。
「ですが申し訳ない。私が行っても出してはくれないでしょう」
ああ、そうねぇと母は暢気な声で笑い出す。僕は立ち上がって右手を挙げた。
「僕が行くよ。一人じゃ荷物も多いでしょ」
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