第24話

 ある日。夜中の2時に僕の部屋がノックされた。扉を開けると、そこには残業続きで疲れ果てた顔の姉がいた。

「どうしたのさ、こんな遅くに」

 姉はそれには答えず、深刻な顔で僕に聞いた。

「ハルは戻ってる?」

「うん、たぶん」

「明日からハルを外に出さないで。わたしの部屋に閉じ込めていいから」

 なぜと聞く僕に、姉は答えない。

「話せないんだってば。いいから。言うとおりにして」

 GPSも外してどこかに捨てるよう言い残し、姉は自分の部屋に戻っていった。ただならぬ様子に不安を抱いた僕は、相談をしようかと叔父さんの部屋に向かう。

 だけど部屋の中からは、激しい言い争いの声が聞こえていた。どうやらネット会議中らしい。それも相当に重要そうな。

 どうすることも出来ず、僕は自分の部屋に戻った。

 どうにも嫌な予感を抱えながら。


 

 翌朝。朝の7時50分に、防災無線から声が流れだした。

 連なったスピーカーから流れ出す割れた音が、輪唱となって島を駆け巡る。

「本日8時、町長から重大な発表があります。島民の方は、テレビ、ラジオ、インターネットなどを点けてください。チャンネルは・・・・・・」

 インターネットは点けるって言うのかな。下らない疑問が頭に浮かんだが、そんなことを考えている場合ではない。

 父と姉は仕事に出ていて不在だった。洗濯物を干していた母が部屋に戻ってくる。

「まあまあ、何があったのかしら」

 僕はテレビを点けてから叔父さんの部屋に向かった。

「叔父さん! 起きて!」

 十秒ほどの間を置いて、眠そうな声が聞こえてきた。

「ん。ああ。何かあったのかい」

「テレビで町長から発表があるって。叔父さんは何か知ってるの?」

 布団を跳ね上げる音。慌てた様子で叔父さんは部屋から出て来た。

「ちょっと待ってくれ。話が見えない」

 上はワイシャツ、下はスウェットといういかにもWEB会議用の服装だ。

 こんなときになんだけど、うちも一応宿だからさ。そういう格好で布団使わないで欲しいんだけど。

「いいから来てよ。放送するって言ってる」

 テレビでは、猫コロナウイルスの震源地である町長からの緊急発表というテロップが流れていた。映像を見た叔父さんが眉をひそめる。

「定例発表の手順を踏んでない。県庁を通してないな」

 普段ならば県庁に会場が設けられるはずだった。だけど今回は島の役場が映っている。


叔父さんはスマホを取り出してどこかに電話した。短い会話の後にそれを切る。

「やはり県も知らないようだ。町長の独断らしい」

 何かを悔いるような声。程なく町長のリモート会見が始まった。

『島民の皆様、そして全国の皆様。この度は私達の島で生じたウイルスについて多大なご心配をお掛けしていることについて、まずはお詫び申し上げます』

 心労からなのか、げっそりとやつれたような顔で画面に向かって頭を下げる。役所に連日連夜届く苦情の量は、それはもう大変な数に上っているそうだけど。

『この島では古くから猫と人が仲良く生活をしていました。近年では猫島とも呼ばれ、観光客の皆様からも愛されておりました。私個人としても、猫には様々な愛着があります』

 カメラに向けられた町長の目。その中に、僕はなんかヤバそうな雰囲気を感じる。

『しかしながら私は町長として、ここに一つの決断を下します。この非常事態においては、猫よりも人の生活を優先せざるを得ないのです』

 町長は決断までの悩みを振り払うかのように、声を強めた。

『私はここに、町独自の決断として、島の猫の捕獲及び隔離を開始することを宣言します。残念ですが場合によっては、感染している猫を駆除することになるでしょう。それもやむを得ないことだと考えております』

 駆除。ついに発せられたその言葉に、僕は強い恐怖を覚えた。

『反対意見があるのは承知しています。ですが島の人々を守るため。そして日本全国にこの病気を拡大しないため。何卒ご協力をお願いいたします』

 再び深々と頭を下げてから、町長は話を続けた。

『なお、島の人々の不安を解消するため。同時に人間同士の感染を防ぐ一助として、島の各世帯に対し、マスク2枚を配布することを申し伝えます。感染予防を徹底することで、島を再び安全な・・・・・・』

 叔父さんが天を仰いだ。

「駄目だなこれは。一種の錯乱状態だ」

 その意見に賛成だった。ハッキリ言ってしまえば支離滅裂だ。今更マスクを配ってどうしようと言うんだろう。

「あっちこっちから苦情をぶつけられ続けて、精神状態が少しおかしくなっているんだろう。言っても仕方ないことだが、町長に対するフォローをしなかったのは失敗だった」

 沈痛な顔。画面からはどこかヒステリックな町長の声が響き続ける。

「マスクの配布自体はまあいい。資源と人材の浪費だが、島の状況を悪化させる訳じゃないからね。むしろ問題は島の人々に対する信頼が失われることだ。あの放送を見たら、誰だって疑いを抱くだろう」

「疑いって、なんの」

「この島の人間が正気かどうか、さ」

「僕たちは関係ないじゃん。あれは町長が少しおかしいだけで」

 叔父さんは残念そうに首を横に振った。

「町の指導者があれだ。だとしたら、あの人を選んだ人々も同罪だと決めつける人達が出てくる。その点は間違いない」

 そんなぁ。

「僕たちまで一緒にされるなんておかしいよ」

「この場合、事実がどうかは関係ないんだ。ウイルスの存在にストレスを感じ、そのはけ口を探している人々。彼等はそのイメージを自己正当化の理由とし、島を攻撃する態度を益々強めてくるだろう」

 い、いや。そうかも知れないけどさ。叔父さん、なんか冷たいよ。どうしてそんな冷静に論評してるのさ。

「なにより不味いのが、猫に対して駆除という言葉を使ったことだ」

 たしかにあれは僕もびっくりした。

「でも、島の外の人達だって散々言ってたじゃない。猫を捕まえて閉じ込めろとか、ヒドイ奴は全部殺してしまえとかさ。そういうことを言われ続けたから、仕方なく町長は猫を捕まえるとか言い出したんじゃないの」

「私に言わせれば、あれはプレッシャーに負けてサイレントマジョリティの存在を見失った最悪の選択だった。いいかい」

 叔父さんは重大な秘密を打ち明けるように言った。

「世界の半分は猫の味方だ」

 うん、知ってる。

「今、この島はそれを敵に回した」

 数秒後。僕はその意味を理解した。顔が青ざめるのが分かる。

「残る半分は元から敵で、こちらに寝返ってはくれない。となればこの先どうなるか。誰にでも分かる事だろう」

 それって世界中が僕たちの敵になるって意味じゃないか。

 僕は思わず泣きそうになる。

「おかしい、ヘンだよ。どうして僕たちばっかりそんなものに巻き込まれて」

 だけど叔父さんはむしろどこかテンションの上がった表情を見せる。

「起きてしまったことは変えられない。問題は今後だ」

 無神経なその口調。

「これからは大変なことになるだろう。私は県庁に連絡して対策を検討する」

 叔父さんは、廊下に出たところで一度振り返った。

「この家の猫。ハルと言ったかな。町長がどこまで本気か分からないが、念のために避難させておいた方がいい。外を出歩いているときに捕まったら、きっと面倒なことになる」

 駆除という言葉が再び僕の脳裏に走る。

「わかったよ」

 混乱したままで、僕はそう答えた。

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