第25話

『猫よりも人の生活を優先せざるを得ない』

 張り上げられる町長の声。

『感染している猫を駆除することになる』

 何度も何度もその映像は繰り返された。バランスを欠いたことが明らかな顔から発せられたその言葉は、恐怖に駆られて猫を追い立てる悪役のそれに相応しかった。

 マスコミ各社は町長が猫の駆除を決定したと大々的に報じ、前段に置かれた【場合によっては】という部分は完全に無視された。その結果生じたのは、SNS等による島への大避難だ。いわく、『島の猫を救え。出なければ島民に殺される』『自分達が原因で病気を広めた挙げ句、猫に責任を転嫁して皆殺しにしようとしている』『罪があるのは猫じゃ無くて人間の方だ。島の人間こそ捕まえて抹殺すべきだ』

 ああもう。そのほかネットを見れば幾らでも見つかるけど、いちいち書き残す気にもなれない。


 僕は会見の一部だけを切り取って繰り返し放送するテレビ局に苛立ちと怒りを覚える。町長の発言を歪めて、まるで悪意に満ちたものであるかのように見せる必要がどこにあると言うのだろう。猫エイズの時に島全体で猫を保護することを決めたのは町長だった。猫が好きな人であることは、僕だって知っている。あの会見だって、前後を見れば本当はそんなことをしたくないというニュアンスが伝わるはずだし、いきなり駆除するとも言っていない。大体、猫を捕まえろとか駆除しろという意見は、テレビだって散々言ってきたことじゃないか。こんなことをして、一体誰の得になるんだ。そう思った時、以前の話が思い出された。

『彼等の目的は注目を集めることだけだ。事態の解決には感心が無い』

 コレか。これがそれなのか。

 町長の発表の後、ネット上はもの凄い勢いで荒れまくっている。駆除に賛成の立場、反対の立場。島の猫など全部殺してしまえという人から、島へボートで押しかけて猫を救出すべきだという人まで。そしてどちらの派にも、共通した認識があった。【島の人々は無能で自分勝手な連中の集まりである】というのがそれだ。

 だから自分達が解決策を示してやると言わんばかりに、そして島の人間にはどんな罵詈雑言を投げつけても許されるという暗黙の了解の下に、絶え間なく書き込みが行われ、呟きが垂れ流され、役場には受けきれない電話がかかり続けている。だけどそんなものが過熱すればするほど、解決の方法は見えなくなるばっかりじゃないのか。

 SNSでは猫の死体が並ぶ写真があちこちにアップされ、島では猫の虐殺が始まっているというデマが流されている。本当は、まだ猫の駆除はおろか捕獲すら始まっていない。猫の死体が並ぶ写真は、以前の猫エイズの時に撮られたものだった。だけど役場や県がどんなに否定しても、事実を隠蔽しているという一言で全て片付けられてしまった。

 こんなの間違っている。

 そう思う。だけど僕にはどうしようもない。


「なかなかハードな状況になってきたね」

 僕は驚いて振り返ると、いつの間に部屋に入っていた叔父さん片手を挙げた。そのままずかずかと台所に入り、やかんを火をかけた。手引きのミルに、随分と減った袋から豆を入れる。ごりごりという音。コーヒーサーバーにドリッパーをセットしてから無造作に湯を注いだ。

「そういうのってさ、お湯を細くして注ぐとかしないの」

 心理的に疲れていたのか、僕はどうでもいいことが気になってしまった。

 ネットで得た知識をもとに聞いてみる。妙に首の長いやかんみたいので、糸みたいにゆっくりお湯を入れるのが正しいとかなんとか。

「コーヒーの淹れ方に教科書的な正解はあるよ。挽いた豆の大きさは均一に。最初は少し蒸らす。熱湯は使わず、湯は細くゆっくりと入れて温度を均一にする。他にも色々とね」

 叔父さんはそう言いながら、やっぱりぞんざいにやかんを傾け続ける。

「所詮は飲めば一瞬で消えてしまう嗜好品だ。自分のやりたいようにやるのが一番さ。時には失敗して折角の素材を台無しにすることもあるが、それが楽しいんだ」

 やがて華やかな香りが流れてきた。

「どうぞ」

 黒い液体が入ったカップが差し出された。僕はそれを素直に受け取って口に含む。

 コーヒーなんて苦いばかりだと思っていたけれど、ちゃんと香りと味があるということを最近になって僕は知った。

「上手く行ってないの?」

 僕はそう切り出す。普段は自分の分を作ったらさっさと部屋に戻るのが常だ。わざわざ僕の分を作ったということは、少し話をしたい気分なのだろう。

「ああ。県庁に対する工作は失敗した。粘ったんだが、国の意向もあるから私の意見は聞き入れて貰えそうにない」

 叔父さんはそこで少し口調を変えた。

「それはまあいいんだが、問題はもう一つのほうだ。そちらも上手く行かなかった」

「なにがさ」

「実は、この島と同じウイルスが海外にも無いか調べていたんだ」

「どういうこと? そんなものあるわけないじゃん」

「ウイルスの突然変異が発生するにしてはこの島の規模は小さい。実は他から持ち込まれていたという可能性は低く無かったんだ。もしそうだったら、この島が原因だとする全ての議論を白紙に戻せたんだけどね」

「違ったんだ」

「少なくとも、同一と言えるウイルスは見つからなかった」

 そうなんだ。まあ、そんなに上手く行くとは思っていなかったけど。

 叔父さんが話題を変える。

「明日から、猫の捕獲が始まる話は聞いているかい?」

 僕は頷いた。これから先、首輪があったとしても家の外で猫を見つけた場合は捕獲の対象となる。捕まえられた猫は、獣医師達の居る公民館に連れて行かれるという話だった。隔離が目的であるため、捕獲された猫を飼い主が連れ戻すことは暫く許されないという。【暫く】という期間が具体的にいつまでを指すのかは、誰にも分からなかった。

 まるで会話を聞いていたかのように、ハルがガラス窓を前足で押して、ニャアと鳴いた。外に出たいからカギを開けろと催促している。

「ごめんな、散歩は駄目なんだ」

 僕はそう言ってハルを抱き上げる。だけどハルは身じろぎして僕の腕から逃げ出し、不満そうに去って行ってしまった。台風や梅雨の長雨を別にすれば、ハルは家の中に閉じ込められ続けた経験がない。

 いつまで我慢をしてくれるのか、不安だらけだ。


「それで、これからどうするつもりなのさ」

 僕の問いかけに、叔父さんは難しい顔をしてコーヒーカップを軽く振った。

「自分だったら何とか出来る、みたいな口ぶりだったじゃん」

 正直なところ叔父さんが口で匂わせるほど優秀には見えないし、この猫コロナ騒ぎを解決できるだなんて本気で思ってはいない。でも他に何もないとなれば、ひょっとしてという希望を持ってしまう。溺れる者は藁をも掴むというやつだ。

「正攻法はどうやら駄目そうだ。だから一発逆転を狙ってみる」

 一発逆転? 何をどうしたらそんなことが出来るのか、見当もつかない。僕は自分自身でも信じていないことを口に出してしまった。

「なんとかできるならさ。お願いだから頑張ってよ」

 意外なことを言われたように叔父さんは首を傾ける。

「ふむ。期待されているならば仕方ない」

 叔父さんはカップを飲み干した。

「やれるだけのことはやって見せようじゃないか」

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